愛と遭難 | ナノ

side YAGYU

毎月二十日を、わたしは勝手に彼の日と呼ぶことにしている。べつにくだらない語呂合わせなどではなく、毎月二十日になると必ずと言っていいほど携帯に彼からの連絡が入るためだ。なんでも彼の家には毎月二十日に携帯代の請求書が届くらしいのだが、ろくに仕事もしていない彼が携帯代に食費、光熱費に水道代、その他もろもろの請求額を支払えるような余裕があるはずもなく、どれだけ切り詰めても生活していくには無理だと感じたとき、彼はわたしに俺を買わないかと連絡を寄越すのである。わたしは今月もまた届いた彼からの連絡に、二つ返事でそれでは明日と返し、いつものように財布のなかに何枚かの一万円札を挟んでおいた。明日のいまごろには、このうちの何枚かは彼の手のなかにあるだろう。まるで野良猫に餌付けをしているような関係が、かれこれもう3年も続いている。

「では、わたしが先にシャワーを浴びてきてもよろしいですか?」
「おう、大人しく待ってるき」

その日も、いつも通りの待ち合わせ場所、時間、ホテル、やり取りでさえもいつもと全く同じだった。わたしはそれでは失礼しますと言って、テーブルの上に一万円札5枚と眼鏡をわざとらしく置き、なにかから逃げるようにしてバスルームの戸を閉めた。すぐにシャワーの蛇口を右に大きく捻る。服は着たままでよかった。本当にシャワーを浴びるつもりなど、最初から毛の先ほどもないからだ。バスルームにはシャワーが刺すように床を打つ音だけが響いている。初めて俺を買わないかとはなしを持ち出してきたときの彼は本当にぎりぎりの生活を送っていて、空腹感は煙草で紛らわし炭酸の入った飲み物で胃を膨らましているような状態だった。そんなやつれたふうな彼をとてもじゃないが抱く気にはなれず、わたしはコンビニで弁当と飲み物を買ってそれを彼に差し出した。いま思えばそのことが、この始まりも終わりもない世界の入口だったように思う。彼がきちんと働けばいいだけだと常識を掲げられてしまえば、きっとわたしはなにも言い返せない。しかしわたしから言わせてしまえば、いつしか差し出していたものが弁当から金に変わり、金額も何百円から何万円へと変わっただけの、ただそれだけの話なのだ。
しばらくして、ばたばたと音がしたと思えば今度はばたんと部屋のドアが慌ただしく閉められる音がした。おそらく彼がテーブルの上の金の存在に気づき、罪悪感に押し潰されそうになりながら金を持って帰って行ったのだろう。まるで野良猫に餌付けをしているような関係が、かれこれもう3年も続いている。そんなわけでわたしは彼を買っているというのに、不思議なことに彼を一度も抱いたことがない。世間では、わたしのようなひとを金蔓と呼ぶのかもしれないが、彼が少しでもまともな生活を送れるのなら正直、金蔓でもなんでもいい。ただ、一緒に住むことが出来たなら彼が生活費に悩むことも、こうしてかびくさいホテルを取る必要もなくなるのになどと思っては、神は高望みだとわたしにお怒りになるでしょうか。と言っても、うちは仏教ですが。

side NIOH

時々、自分が本当に柳生をすきなのかわからなくなるときがある。それと同時に自分にとてつもない恐怖を感じるときもあった。俺は自分で送ったにもかかわらず全く記憶にない、俺を買わないかというメールに返ってきた柳生からの、それでは明日という返事をじっと見つめる。携帯の向こうで柳生はいまどんな顔をしているのだろう。まだこんな関係になる前は、いまどんな顔をしているか知りたかったとたったそれだけの理由で会いに行くことが出来たかもしれない。しかしいまの俺は一日一日を柳生に生かされているような状態だ。会いに行くなんてそんな図々しい真似、とてもじゃないが俺みたいな人間が出来ることではない。本当は明日だって、出来ることなら会いたくはないのだ。
ちょうど一ヶ月前にホテルから金だけを持って逃げたとき、もう柳生には二度と連絡しないと、固く心に誓ったはずだった。なのに、気付けば俺はまた性懲りもなく柳生に、俺を買わないかなどとメールを送っているではないか。俺はきっと病気だ。金だけを持って逃げるなんてそんな犯罪紛いな真似がよくないことだと、頭ではちゃんとわかっているのに、働くことより生かされるほうが楽だと知っている体が連絡をやめることが出来ない。薬が悪いものだとわかっていて、やめることの出来ない中毒者と同じなのだ。

「では、わたしが先にシャワーを浴びてきてもよろしいですか?」
「おう、大人しく待ってるき」

いつものホテルで、いつものように柳生が先にシャワーを浴びようとする。外した眼鏡と一緒に何枚かの金を置いたのをちらりと横目で確認すると、俺はまた自分が怖くなってベッドにうずくまった。しかし弱い俺はすぐに負けて、わなわなと震える手でベッドから起き上がった。そのままよろよろとした足取りでテーブルへと向かい、シャワーの音が止まないのを確かめて震える手で五枚の金を握り締めた。金を手にしたあとはもう走るだけだった。俺はホテルを出て追って来るはずのない柳生から逃げるようにして、決して明るくはない外灯のある公園まで走った。公園に着き、ふうふうと肩で息をしながらまたやってしまったという罪悪感を感じる裏側で、また一ヶ月は生きることが出来ると安堵感を感じている自分がいることが、ひどく悔しかった。
しようと思えば、俺の犯罪紛いなこの行動を警察に通報する機会などいくらでもあったはずだ。しかし柳生がそれをしなかったのは、俺がそれをするまでもない駄目な人間だからだ。いま柳生は、どんな顔をしているのだろう。柳生に生かされているようなこんなみっともない関係になってもう3年近くになるが、会えない柳生の顔を想像することも、もう癖のようになってしまった。いつか柳生が言っていた言葉を思い出す。仁王くん、わたしたち仏教に神はいないんですよ、だから神頼みなんてものは存在しないんです、と。だけど、もうだめなんじゃ。こうでもしなければ、俺はまたきっとお前さんを頼ってしまう。俺は金を握り締める力を緩め、金が足元へはらはらと落ちるのも気にせず手を合わせた。神さま、どうかお願いじゃ。柳生が、どうか柳生が、明日には俺を、きらいになりますように。

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