これから先もまだ愛しあう予定だった恋人たち | ナノ

「食器も全部詰めちゃったから、あなたの分しか用意出来なくてごめんね」

朔子は、俺がいままで出会ったどんな女よりもいい女だった。しかしそう言ってコーヒーの入ったマグを差し出した朔子の腕は出会った当時よりも随分と細いものになっていて、顔も背中も、全てがぼろぼろに疲れ果てているようだった。それなのに最後まで笑顔を絶やすことなく俺と向かい合って座ろうとする朔子の姿を見ていると、申し訳なさといとしさの相俟った、決して言葉では表すことの出来ないような気持ちで胸がいっぱいになった。いっそのこと、あなたのせいだと言ってくれたほうが楽なのに、朔子は最後までわたしが弱いからと俺のせいにしようとはしなかった。朔子をこんなになるまで追い詰めてしまったのは紛れもない俺なのに、朔子は最後まで絶対に俺を責めようとはしないのだ。手持ち無沙汰な右手が、頻りに持った煙草の灰を落とそうとする。俺のそんな様子を見て、朔子が静かに話し始めた。

「たくさん迷惑かけちゃって、ごめんね」
「お前が悪かったことなんて、ひとつもあれへんよ」
「本当にごめんね」

ごめんね。朔子と一緒に暮らした4年と半年、俺は一体何度朔子の口からこの言葉を聞いたかわからない。もう一緒に暮らすことは出来ないと言われたときでさえもそうだった。わたしが弱いから、勝呂くんに迷惑かけたくないから、悪いのはわたし。知らず知らずのうちに朔子にとってそういう環境を作り出してしまったことが、朔子をここまで追い詰めてしまっていた原因だったのかもしれない。もっと、どこか行きたいところはあるかとか、食べたいものはあるかとか聞いてやることが出来ていたら、朔子がこの家を出ていくこともなかっただろう。朔子のものだけが抜き取られたようになくなったこの部屋で、いまさらそんなことに気がついたって、あの日の心から笑う朔子は二度と帰って来ないのだけれど。

「次は、俺みたいな駄目なやつやなくて、ちゃんとした男に、幸せにしてもらいや」
「…ごめんなさい」
「朔子?」
「あなたの望む奥さんになれなくて、ごめんなさい」

とうとう朔子の目からは涙が零れ顔を手で覆うようにして泣きだした。俺はその言葉に、なにも言わなかった。なにも言えなかった。なんと言ったら彼女が行かないでくれるのか、わからなかったからだ。決してうまくはない右手の煙草の煙だけが、唯一なにも変わらない様子でゆっくりと俺の肺を汚していく。今日が終わるころにはもう朔子はこの家にはいない。朝洗濯をする姿も夕方手際よく夕食を作る姿も、どこを探しても見つけることは出来ないのだ。朔子は、いまでも俺が出会ったどんな女よりもいい女だと思っている。思っているのにみっともないほどなにも生み出すことの出来ない無能な唇で強いて言うのなら、俺の望む妻の像なんて、心のどこを探したってそんなものはなかったというのに。

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