愛を煮詰めて苦くして | ナノ

爪を燃えるような赤に塗った彼女が、ただいまも言わずに首に巻いたストールを外すと、家で使っているものとはまるで違う安っぽいシャンプーの匂いが零したように部屋中に広がった。銀さんと出かけたの、映画を観てご飯を食べてそれからホテルのいつものコースよ。聞いてもいないのに今日のことをべらべらと喋る唇には、出かける前には引かれていたはずのルージュが引かれてはおらずアイラインもマスカラもないところを見ると、ホテルで落としてそれっきりということなのだろう。こういうときのためなのかなんなのかは知らないが、彼女の鞄のなかにはいつも小さな容器に詰め替えられたクレンジングオイルが入っている。いつも使っているものしか使いたくないだなんて、俺は彼女を、つくづく変な女だと思う。

「そんな目で見ないでよ、銀さんと寝ただけよ。やらしいほうじゃなくて、文字通りの、睡眠」
「あのひともやることがほんと変わってる。彼氏の前で他の男の話をするっていうのも、普通、あんまりないと思うけどね」
「普通?よくわたしに普通なんて言葉使えるわね、あなたわたしの性癖知ってるでしょ?」

普通が欲しいなら、帰って頂戴。猿飛さんが吐き捨てるようにそう言って毛糸と鉤針を手に、俺の座っているほうとは真反対のソファの左端へとどさりと腰を落とした。同じ空間にいるのにわざわざ右端と左端に座るカップルなんて日本中のどこを探したって、俺たちくらいのものだろう。寝室だって別々だし、休みの日だって一緒にどこかへ行くのはごく稀な話だ。だけどたまにお互いがすごくいとしく感じるときがあって、珍しくカップルらしいことをしてみたりするときもある。ちなみに今日がごく稀に訪れる、そのとき、みたいだ。

「ねえ、そっちに行ってもいいかな」
「あなたねえ、一々わたしの許可がないとなにも出来ないの?」
「…うん、そうかも」

猿飛さんが苛立ったように舌打ちをしてじろりとこちらを睨む。猿飛さんの吐いた毒が心にじわじわと染み込んでいくこの瞬間が、俺はなによりもすきだ。それからそっと頬に触れ、そのまま肌を滑らせ肩に爪を立てると彼女の口からは湿った溜め息が零れた。彼女の手からは毛糸と鉤針がぼとりと落下し、転がった毛糸は面白いくらい滑らかに一本の線へと戻っていく。確かに猿飛さんの言うことも一理あるかもしれない。相手の大して面白くもない話にへらへら笑いながら相槌を打って、気持ちよくもないセックスにわざとらしく声を上げることが普通だと言うのなら、俺はこっちのほうが余程、人間味があると思う。邪魔な服を剥ぎ取りながら猿飛さんの真っ白い首筋に遠慮なく何度も噛み付いていると、顔を歪めながらもとろりとした目尻の際がてらてらと濡れて光っているのが見えた。彼女は、本当に普通じゃない。そんなことを考えながら俺は、すれ違う誰もが振り向くような燃える赤で塗られた猿飛さんの爪を、誰も見向きもしないような、例えば腐ったような緑とか青とか、全部きれいさっぱり塗り替えてしまいたい、そんな可笑しな衝動に駆られていた。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -