昼間は閑散としていて殆ど人通りの無いこの通りは日が落ちて後、まるで眠りから覚めるように俄かに騒々しくなる。 街の至るところで徐々に明りが灯されはじめ、街全体がきらきらと輝きはじめる。 夜の街の代名詞を欲しいままにするこの街の目覚めは夜空に星が瞬きはじめるのを連想させると言ったのは誰だっただろうか。 鮮やかなネオンサインに彩られた夜の街は整然という言葉から程遠く、新旧の雑居ビルが左右に立ち並び、その間を縫うようにして通された道は外見こそ車道であるが、そんなことは一切構うことなく大勢の人々が行き来している。 夜の街を歩く者は誰しもがきらびやかに着飾っていてなんとなく浮ついてた空気をまとっている。 退屈な日常からの一時の脱却のために、人々はこの街でまた一時の夢を求めるのだ。 今日もまた数時間すれば、たくさんの人間がこの街を訪れるだろう。 ところがそんな人々にとって求めるべき場所に居る黒髪の青年は苛立たしい表情を隠しもせずに通りを睨みつけていた。そしてしばらくしてその視線の先から髪が乱れるのも構わず全速力で走ってくる金髪の青年が姿を見せた。 「静ちゃん遅い!」 「はっ、悪い、遅くなっちまって」 ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら静雄は呼吸を整えようと何度も浅い呼吸を繰り返す。 「静ちゃんてば今月何回目の遅刻なのさ!」 「だから謝っただろうが!俺はてめぇと違って昼間はバイトしてんだよ!」 「俺はそんなことしなくっても十分食べていけるもんねーだ」 「てめぇ臨也、あんまフザケたこと抜かしてるとその減らず口二度と叩けねぇようにしてやるからな」 「出来るもんならやってごらんよ、鬼さんこちら、ってわぷっ!」 「お前たち、毎度毎度よく飽きねぇな」 臨也が茶化しながら店内に逃げようとするとちょうど店から出てきた門田とぶつかった。 「ドタチン固い!鼻折れちゃう!」 「言ってろ」 鼻を押さえながら喚く臨也を横目に門田はポケットからメモ用紙を取り出して静雄に手渡した。 「今日の予約、あの社長令嬢がお前のことご指名だったぞ」 「あぁ、あの人か、別に大したこと喋ってねぇんだけど、なんかまた来るって言ってくれて」 「お前のそういうところが良いってお客も多いんだよ」 「そんなもんか」 「まぁ静ちゃんがちゃんと相手を楽しませようとして話し組み立てながら喋ってるとこなんて全然想像出来ないもんね」 2人の間にひょっこり顔を出して臨也が門田のメモを覗きみる。 「臨也、お前そろそろ本気で黙らせるからな」 「だからお前等本当に・・・、ほら、静雄は着替えて来いよ、臨也は暇ならフロアのセッティング手伝って来い」 「ドタチンは?」 「俺は店前の掃除」 「あ、じゃあ俺着替えたら出てくるわ」 門田の言葉に荷物を小脇に抱えて静雄は店内へと入っていく。そしてその後を追うように臨也も店内に消えた。 ガシャーンと物が割れる音と共に遠くで静雄の怒号が聞こえたような気がしたのは気のせいということにしておこう。 3人が働いているのは街の中央に位置する歓楽街の一角に店舗を構えるホストクラブ。 メインのサービス内容に関してはさほど他の店との違いはないのだが、料理が旨いともっぱらの評判だった。 そもそもホストクラブとはスタッフと客のおちついて会話できる場所の提供というのがサービスのメインであるからそれに付随する飲食物は二の次になってしまう場合が多い。 しかしこの店では丹精に下拵えから整えた料理を出すためにそれを目当てに店を訪れる客が居るほどだ。 そしてもう一つは接客業において欠かせない清潔感。 こういった類の店では毎日の清掃は当たり前だが開店前にバックの人間からキャストにいたるまで全員が駆り出されている店はそう多くないはずだ。 おかげで黒を基調とした店内は月並みな表現ではあるが常にピカピカ。 どこぞの姑でも文句は付けられないくらいに。 門田は自分の足下に集めたゴミをさっさと袋に詰めると自分もまた着替えの為に店の奥へと向かった。 「へぇ、じゃあマゼンダさんってデザイナーさんなんだ」 臨也が少し大袈裟な抑揚を付けてそう言ったのに対して、マゼンタと呼ばれた女性は照れくさそうに俯いて後れ毛を払う。 「いえ、私なんてまだまだ駆け出しですから、」 自分の隣に座る比較的小柄な女性のはにかんだ笑顔に臨也は首をかしげ、視線の高さをそろえてにっこりと微笑んで言葉を続ける。 「いや、そんなこと無いですよ、服のセンスが良いと思っていたらそんなカラクリがあっただなんて」 「あ、ありがとうございます、」 女性が頬を染めて俯くと臨也はその輪郭にそっと手を添える。 「大人っぽい人だと思ってたのにそんなふうに可愛らしい表情も出来るんですね」 さっきまでとは打って変わって低めの甘く囁くような声に思わずびくりと身体を震わせた。 「奈倉さんってば褒めすぎですよ」 「これは失礼、僕って思ったことがすぐに口に出てしまう性質なので」 臨也はひらりと女性に添えていた手を離して明るいトーンでおどけて見せる。 『なんだか釈然としねぇよなぁ』 臨也は見た目がいい。 髪を染めたり、今はやりのように化粧をしているわけでもないけれど。 加えて口がうまい。 今まで臨也が全く知りもしない話題を振られたところを見たことがない。 こう言っては難だが詐欺師なんかをやらせたら超の着く一流になれるんじゃないだろか。そもそも犯罪者に一流も何もあったものではないが。 彼に一度尋ねたことがある、その膨大な知識はどのようにして知り得たのかと。 仕事前に着替えをしていた彼は少し不思議そうな表情を浮かべてから得意げにこう答えた。 「俺は人間が好きなんだ、別に特定の個人とかじゃなくって人間という生き物を愛しているんだよ。そういう考え方をしていれば情報の方からこっちに入ってくるもんさ」 臨也が話しながら襟元を正したちょうどその時、フロアから彼を呼ぶ声が聞こえた。 それに返事をした臨也は部屋のドアを開きながら呟く。 「世の中の人たちは俺ほど人間が好きじゃないんだなぁ」 「羽島くんって、どうして金髪にしてるの?」 静雄を指名の上で店に予約を入れていた大企業の社長令嬢らしい女性が静雄の少し痛んだ金髪に指をかけた。静雄は特に気にするふうでもなく女性の質問に答える。 「あ、これは中学の時の先輩が」 「先輩の人が金髪だったの?」 「いえ、俺が毎日喧嘩ばっかしてて、近くの高校の先輩とかまでぶっとばしてたもんだから、それを気にしてくれて、目立つ格好してればあいつらは俺に手出しねぇようになるって言ってくれたんで、」 「羽島くんって喧嘩強いんだね!全然そんな風に見えないのに」 全く話の筋を理解していない女性の返答にも嫌な顔ひとつせずに対応する静雄はある意味で臨也よりもこの仕事に向いているのかもしれない。 「いや、そんないいもんじゃねぇっす」 「ううん、だってもし私がピンチの時は助けてくれるでしょう?」 「え、あ、それはもちろん」 「私そういう守ってくれる人って好きよ」 「あ、ありがとうございます、」 静雄が客受けするのはこういう時だ。 笑ったり、怒ったり、時には泣きそうになったり。 接客業という仕事についていながら自分の感情を素直に出すあたりが自然体でいいらしい。 実際常連の客からはそれが理由で指名をもらっていたりするんだから本物だ。 臨也とは全く違うベクトルではあるが彼もまた客のニーズに応えているのは確かでもある。 「お店からのサービスです」 女の手が静雄の腕に掛かったときにちょうど臨也がテーブルにフルーツを盛りつけた皿を置いた。 突然の臨也の登場に静雄は思わず席を立とうとしたがそれよりも早く臨也が女性の方に話しかける。 「お前、何考えて、」 「店からのっていうよりは俺からのサービスかな、そこの綺麗なお嬢さんへの」 ふわりと笑みを見せた臨也に女性は頬を赤らめながらフルーツに手をかける。 なるほど、俺にフルーツ用意させたのはこのためか。臨也も飽きずによくやるよなぁ。 「もう、奈倉さんってば上手いことばっかり言って」 「そんなことないですよ、ね、羽島くん」 微笑む臨也が後ろに黒いオーラを背負っているのに気付いたのか静雄は大人しく礼を言って、すぐにこちらに助けを求めてきた。 だからなんで俺が。 「奈倉さん、次のお客様がご指名ですよ」 振り返った臨也の恨みがましい視線を受け流してワインのボトルを取りにバックに戻る。 『まぁ誰も思わないよなぁ、あのふたりが付き合ってるだなんてさ』 今日もこの街はたくさんの人々に日常からの脱却という夢を見せさせつづけているのだ。 |