さいきんこの保育園で働き始めた折原臨也という保育士は、どこか変だ。
 まず、折り紙だけが異常にできない。簡単な紙ヒコーキでさえ、よろよろのしわくちゃなかろうじて紙ヒコーキと呼べるような完成品になるし、ましてや鶴を折ろうとすれば、途中で紙が破れる。日本人としてどうなんだと尋ねたところ、しらっとした顔で折原曰わく。「折り紙という文化はどこにでもあるんですー。いい大人として、日本人は折り紙ができるって固定観念は捨てた方がいいよ、シズちゃん先輩」とりあえず殴った。いい大人として、こいつの考えは正さなければならないと思った。この台詞を聞いた日から、彼の教育係に任命されていた俺は折原に折り紙を教えている。が、上手になる気配はまったくない。呆れるほど下手くそなままだ。そのうち生意気な園児たちに「いーくんのへたっぴー」と笑われる日も近い。そしてそれに大人気なく頬を膨らませて「うるさいよクソガキ」と折原は拗ねるのだろう。容易に想像ついた。頭が痛い。
 壊滅的に折り紙ができない折原の唯一の救いは、オルガンやピアノが無駄に上手いことだ。彼の演奏を聴いていると、どうしてこの男はピアノの先生かピアニストという職種を選ばなかったのか、不思議になる。そちらの道に進めば絶対に、世界的に有名になっただろうし、もしかしたら天才として音楽史に名を残せたかもしれない。苦手な折り紙だってしなくて済むのに。こいつは職業選択を誤ったな、と、俺は常々そう感じている。でもまあ、こいつがここに来てから、俺の嫌いな歌の伴奏をすべて折原がやってくれるのには、感謝してもし尽くせない。ありがとう、折原。助かってます。本人に伝えたら確実に調子に乗るから、そっとこころに秘めているけれど。
 閑話休題。
 他にもこいつのおかしなところは多々ある。子供向けにかわいくデフォルメされた絵を描けと言うのにやたらリアルな絵を描き上げるし、園児と張り合っては砂場に芸術的な砂のお城を作るし、ある一部の園児には怖がられているし。そのくせ、彼らのお母様方にはとっても評判がいいし。
 折原臨也はおよそ保育士らしからぬ保育士だ。
 なんでこいつはこんなところにいるのだろう。俺はせっせと折り紙の練習に励む折原の黒い頭を眺め、いつも疑問に感じていることを改めて考えてみる。 子供が好きだからか?──いや、ちがう。こいつはどちらかと言えば子供が嫌いだ。前にそんなことをぼやいていた。「俺、ほんとはガキの相手するの、だめなんだよねぇ」きゃいきゃいと遊ぶ園児たちを見据えながら、ぽつりと。割と本気な目をしていたっけ。
 他に職がないから?──いやいや、これもちがう。こいつにはピアノという他人に誇れる特技がある。ピアノを弾いて、食っていけるだけの技量を持っている。
 あれ、じゃあ、本当にどうして折原はここに保育士として存在しているんだ。わからない、皆目見当がつかない。謎だ。俺はううむと首を傾け、そうだ分からないなら訊けばいいじゃないかと開き直った。ちょうど、2人きりなんだし。
 さっそく俺は園児用の小さな椅子に無理して座る男の頭を小突いた。なあに?と緩慢に振り向いた折原へ、ちょっと教えてくれないかと話しかけた。折原は快く頷き、俺に隣に座るよう促した。丁重にお断りした。手前より俺は足が長いんだよ。そんな小さい作りの椅子に収まるものか。折原は唇を尖らせ、シズちゃん先輩のイヤミーとうそぶく。だって事実だろうが。
「はいはい、どーせ俺は典型的な日本人の体型がちょっとマシになったレヴェルのスタイルですよーだ。別に羨ましくなんかないんだからねっ」
「語尾がきめえ。いーから手前は黙って俺の話を聞け。そして答えろ」
「…はいはい」
「"はい"は一回!」
「はあーい」
 間延びした返事にイラッとしたが、注意するのも面倒なのでスルーして、いままで俺の脳内を占めていた疑問を口にした。折原はぐちゃぐちゃの折り紙をいじりながら、ふんふんと相槌を打っていた。ところが俺の話が終わりに近づくにつれて、眉を寄せ、折り紙を放棄したゆびでこめかみを押さえだした。なんだなんだ、一体なにがあったんだ。俺の発言になにか妙なところでもあったのか。不安になって喋るのを止めたくなったが一度出たものは止まらない。洗いざらい吐き出したあとには、すっかり頭を抱えた後輩がそこにいたのだった。
「お、折原…大丈夫か?」
「シズちゃん先輩…。俺って実は馬鹿なのかもしんない。ピアノ弾けるから保育士になろうって思ってここまで生きてきたんだけど、どうやらこれは大きな間違いらしい。あは。ははっ!…どうしよう人生詰んだ」
「おりはら…」
 折原臨也は変なのではなく、ただの馬鹿だったようだ。
 折原の落ち込みように返す言葉が見つからない。何て声をかけたらいいのか、いまの俺にはわからない。
 仕方ないから、俺はうなだれた男の髪をよしよしと撫でてやった。しょんぼりと肩を落とす折原がちっちゃいガキと同じに見えたのだ。俺の保育士としての血が騒いだ。
「なんつーか、…元気出せ」
 まだ手前に希望はあるぞと、とびきり優しく微笑みかける。そうだ、こいつは若い。やり直す時間はたっぷりある。何だったら、いますぐこの保育園を止めて音楽の道やら何やら目指せばいい。手前が望むなら道はいくらでもあるんだぞ。
 な?と首を傾げれば、折原はぽかんと俺の笑顔を見つめ。ややあってほおを赤く染めると、勢いよく俺の手をつかんだ。
「シズちゃん先輩!」
「ん?」
「俺、わかりました!」
 折原はうっとりと赤い睛を細める。俺の真心が伝わったのだろう。先ほどの落胆ぶりは消え失せ、生き生きとしている。よかった。月並みなアドバイスだったけれど、誠意があれば相手には効くのだ。
 俺はほっと息をつき、まあこれから頑張れよと折原に言おうとして──固まった。
 え。顔、近くない?
 ふにゃりとやわらかな感触がくちびるにあって、理解できず目を瞬かせると、至近距離にある折原のくちびるがまるでチェシャ猫のように歪む。いつの間やら彼は俺を抱きしめていた。状況が呑み込めていない俺の様子に構わず、彼はキスを下顎にしかけると。
 鳥肌が立つくらいのあまい声で俺の耳許に囁いたのだった。

「きっと俺、シズちゃんと出会うために保育士になったんだ。そうだよ、そうに違いない。運命だ!ふふ、最高だね!シズちゃん、愛してるっ」

 …どうしよう。
 今度は俺が、人生詰んだ。

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