某音楽番組のスタジオ収録でのことである。なんとも深みのあるオケの音、馴染みのあるメロディに乗せて歌われる低音。本来なら動き回らなければならないスタッフまでもが足を止め、暫く聞き入り、はっと自分の仕事に戻って行く。 その様子を眺め、舞台袖の黒い影、折原臨也は含み笑った。 「はい!オッケーでーす!」 心地よい余韻が後をひく中、暫くしてからお疲れさまでしたー!という元気な声がスタジオに響き渡り、臨也は壁に預けていた背を離す。 「お疲れさまーシズちゃん」 そして今しがた一仕事を終えた彼へ両腕を大きく広げた。 その手は丸っきり無視されるのだが。 「ちょっとシズちゃん。労いの抱擁はいらないの?」 ドスン。 臨也がそう言った瞬間、今しがた臨也のいた場所にウン十万もする機材が落とされた。 普通なら持ち上げられることなど無いスピーカーである。 咄嗟に飛び退かなければ病院送りだったな。そう胸を撫で下ろし、臨也はその機材を持ち上げた彼を見る。 金色の髪の毛をきらめかせ着物の袂を翻す彼は、怒りに息も荒く肩を揺らす。真っ青な着流しの金髪長身の男と対照的な黒ずくめの臨也。それだけで目をひく二人組。 着物の彼、羽島雄介こと平和島静雄は今売り出し中の歌手だ。 そして折原臨也は静雄のマネージャー兼プロデューサー兼、静雄の所属するプロダクションの社長だった。 「さて本日、シズちゃんの俺に対する借りがめでたく1000万円を超えたわけですが…」 新宿に拠点を構えるプロダクションの事務所にて、臨也は椅子に腰掛け頬杖を着くと、厭らしい笑みを顔中に貼り付けた。 それを直立不動で見下ろし、静雄はゴクリと喉を鳴らす。 「はいじゃあこの雇用契約書の契約更新のところに判子押して」 「…っ」 「どうしたの?もしかして…増えに増えた借金を普通の生活して払えると思ってるの?」 と、臨也は机の上の紙を指で叩く。 静雄は先ほどから歯を食い縛りこめかみには青筋をたて、ブルブル震える拳は握りしめるしかない。 「…畜生…ッ元はと言えば、全部手前から始まったんだろうが!!!」 静雄は着物の袂から判子を取り出し、だあんと契約書に判を押した。机にヒビが入った。恐いなぁと、さして恐くもないくせに臨也が言う。 「そりゃあシズちゃんをスカウトしたのは俺だけど?沸点が極端に低くて、怪物みたいな力をコントロール出来ないのは君のせいだ」 目を細めて笑うと契約書を封筒に入れ、机の引き出しにしまい、何も言えない静雄に時代錯誤とも言えるテープレコーダーを投げた。 「次の曲。聴いて」 「…」 「収録は一週間後だから」 「おい!?早くねぇか!」 「新曲発売はその二週間後だよ。明日からばんばん広告出るから、歌えないじゃ許されないからね」 それだけ言えば十分だった。静雄は口を引き結び、臨也を一つ睨み付けると背中を向けて出ていこうとする。 「あ、今ここで聴いて」 「あぁ?」 今日でメロディ覚えて。そう言うと、渋々といった様子で静雄は接客用のソファーにどかりと腰を落ち着け、テープレコーダーのイヤホンを耳に押し込んだ。 スイッチを入れた途端、静雄の目が見開かれる。 「…どう?」 にやにやと見守る臨也は、楽しくて仕方ない。ソファーの隣に腰掛けてぴたりと静雄の体に密着すると、間近に迫る静雄の整った横顔。 サングラスの向こうの目が瞬きをし、頬が次第に赤くなる。 「…い、臨也くんよぉ、なんだこりゃあ…」 明らかに動揺している静雄に、堪らず腰に腕を回し抱きつく。 「熱烈な愛のバラード!俺がシズちゃんのために作った…気に入ってくれた?」 静雄はぐっと答えに詰まる。 そもそも臨也が静雄をスカウトするきっかけになったのが、静雄が入浴中に近所中に響く声で歌っていた津軽海峡冬景色で、それをそのままカバー曲として売り出した。 それからずっと羽島雄介の曲は演歌のカバー一本だったのだ。 金髪長身の柄の悪い若者が真剣に歌う演歌は全てオリコン10位以内に入り、知名度は鰻上り。ここらで1位を取りたい、そのためには今までのイメージを覆すオリジナル曲を、というのが社長としての臨也の考えで。 「…う、歌えねぇよ…!」 個人としての臨也の考えは、この静雄の動揺で真っ赤になった顔が見たかった、それだけだった。 ぎゅうぎゅう抱きしめてくる臨也を投げ飛ばすことすら考えつかないのか、静雄はただ頭を振り眉をハの字にして臨也を見る。 静雄は今時の若者らしくなく演歌以外は歌ったことが無いから無理も無い。北島サブローに会えると聞いて芸能界入りを決心した位、今の歌に疎い。 Jポップという言葉すら知らない。 なのに臨也が用意したのは、バラード。しかも静雄のような気性では口にするのにはちょっと恥ずかしい、愛だの恋だの、甘えた言葉の集合体。 あー可愛いなぁなんて思いながら臨也は、静雄の背中を安心させようと撫で擦る。 「大丈夫」 静雄には、人を引き付ける力がある。 業界では有名な臨也がスカウトのため毎日毎日通いつめたほどの魅力がある。だから大丈夫。どんな歌でも、歌うのが静雄ならば。 (惚れた欲目もあるんだろうけど) テープレコーダーを掴む手に手を重ねて臨也は思い、言う。 「歌えるよ…」 気持ちを込めて歌ってね。 と呟けば、眉を寄せたまま静雄は頷いた。 後日、都内某所のスタジオにて、熱烈な愛のバラードを百面相をしながら歌う静雄の姿と、赤くなったり冷や汗かいたり四苦八苦する歌手をにやにや笑って眺める臨也の姿があった。 |