「人に見つめられるのは嫌いなの」 母は言った。 「どうして?」 私は聞いた。 「それはね…」 母の答えを、私は知らないまま。 その記憶はすでに娘から切り離されて、手の届かないところに。 1:母と娘 これはとある大陸の、天空界というところでのお話。 シエロの小庭と呼ばれる元訓練所――と言っても、正面から見ればただの大きな屋敷なのだが――では、朝から騒ぎが起こっていた。 「おいコラ、サリル!俺と勝負しやがれ!!」 「仕事はどうしたんだ、シーマ」 「だから仕事に行く前にお前をぶっ倒してやるって言ってるんだよ!」 「おいおい、動けなくなるぞ…お前が」 「うっせー!そういうとこがムカつくんだよ!!」 屋敷の裏手はだだっ広いが丁寧に手入れされた庭があり、そこから獣の耳のついたカービィ、シーマがいた。彼は2階の窓から呆れた顔を覗かせた、白い獣のようなカービィ、サリルに向かって喚き立てていた。 「なんだ、一体」 「いつものバカだ。ま、放っときゃいいだろ」 「親戚同士で何喋ってんだ!何ならヴェルド、お前でも良いけどな!」 「そろそろお前は『黙る』という言葉を覚えた方がいいと思うぞ」 サリルの隣に灰色の獣の姿をしたカービィ、ヴェルドが現れた。この3人(正確には2対1)のやりとりを傍から見ると、犬の喧嘩にも見えるのは、皆獣族だからであろうか… 「ちょ、ちょっと、皆さん!まだお子様たちは寝ているのですよ!?あまり大きな音を出されては困ります!!」 慌てた様子でサリルとヴェルドのもとに駆けてきたのは、この屋敷に勤めているメイド、メルである。 「うるさいのはあいつ1人だ。注意するならあっちにしろ」 「でもシーマ様って言うこと一切聞いてくれないんですもの。ですから、旦那様たちにお願いしているのですが…」 「メル、あいつは俺たちでもどうにかなるようなモンじゃない」 やたらと騒がしい朝だが、こんなのは「普通」に入る。最初のうちは誰かが手抜きで相手していたが、一度始めるとキリがないことに気づいて以来、誰もまともに取り合おうとしない。だが、シーマが喋ると案外得を得たりする。「普通」にシーマがうるさいと、子供もそれで目を覚ます。おかげで子供たちの学校の遅刻通知はまだ届いたことがない。 「あらあら、またシーマ?懲りないのね」 「シーマ、朝ごはん出来てますよ。今日も仕事あるんですから、朝から体力消耗するようなことしないでください」 別の2階の窓から顔を出したのは、ニコニコと笑っている紫色のカービィ、カルラと、むすっとした表情の淡いピンク色をしたカービィ、ユノだった。 「だから、あいつらのどっちかと勝負してから…」 「シーマ」 カルラが開け放した窓の淵に頬杖をつき、シーマの名を呼んだ。シーマは言葉を切ると、カルラと目を合わせる。その表情は相変わらず穏やかだ。空恐ろしいくらいに。 「…朝ごはん、出来てるんだけど?」 「…はいはい。今から行けばいいんだろ、今から」 さっきまで1人騒いでいたシーマが急に人の言うことを聞いた。それだけ、カルラには影響力があるようだ…特にシーマに対しては。 「そこの2人も、下に降りてきなさい。ええ、ヴェルド、貴方も。ちゃんと人数分用意してあるから」 カルラはそう言うと、ユノと共にその場を後にした。 「「「いっただきま〜す!!」」」 朝食の時間は、起床の時間よりもなお一層騒がしい。見れば、先ほど見かけた者たちの他に、彼らよりも一回り、二回りも体の小さいカービィが4人仲良く長テーブルの片側に並んで座っていた。 ここは一階の食堂。今日も子供たちが元気に号令をかけた後、一斉に出来立ての朝食へと手を伸ばす。 「ハイラ兄ちゃん、おにぎり取って!」 「俺の皿のやつを取っていいぞ、テラシェ。あと、そこにあるお茶の入ったポットを取ってくれないか…」 「待って!先にぼくが入れるから、ハイラ兄は後!」 高いところの窓は少しだけ開けられており、そこから朝の爽やかな風と日の光が屋敷内へと入り込んできていた。子供たちは年齢順にならんでいる。正面から見て、左が長女、右が三男である。 「ハイラ、ちゃんとテラシェに渡したら?…はい、テラシェ、姉さんのをあげる。熱いから気をつけてね。それと、もうそのポットもルネスの分しかないでしょ。こっちを使ったら?」 長女が始めて口を開いたかと思うと、さっさと兄弟たちをまとめ上げてしまった。見る限り、まだ10代になるかならないかのようだが…。 「おっセンキュー、アリィ。珍しく気が利くな」 「せめてあなたよりは気が利くわよ、ハイラ」 ハイラは「まっ、それもそうだな」とニヤニヤしながら姉、アリィの手からポットを奪い取った。アリィはため息をついて、自分の食事に戻った。 「ねーねー。お母さん」 「なに?テラシェ」 末っ子であるテラシェの呼びかけに、隣に座っているカルラが答えた。 「なんでハイラ兄ちゃんはアリィ姉さんのことを『アリィ姉さん』っていわないの?」 「う〜ん、そうねぇ…ほら、アリィとハイラは歳が一つしか違わないでしょ?だからじゃないかしら」 「でも、アリィ姉さんのほうがいっこ上でも、姉さんは姉さんだよ?」 「そ、それはそうだけど…」 「テラシェ、なんで俺が姉さんのことを『アリィ』って呼ぶかについてだけどな…」 テラシェとカルラの会話にハイラが割り込んだ。 「そりゃ、アリィを『姉さん』呼びするには勿体ないからだ」 「何それ。偉そうに」 ハイラが「まぁまぁ、怒らないでくれよ、『姉さん』」とからかった。アリィは少し顔をしかめただけで、何も言わなかった。 「ハイラ、止めなさい」 カルラが少しばかり注意するような口調で言った。ハイラはカルラに向けて「は〜い」と言って、また食べ始めた。 「ねぇ、父さん」 「…なんだ、母さん」 カルラがサリルを呼んだ。サリルはワンテンポ遅れて返事をした。サリルは紅茶の入ったカップを受け皿に置いて、カルラを見た。 「私、もう出なきゃならないの…だから、お願いしてもいいかしら」 「ああ。見送りなら問題ない」 「ありがとう。それと、メル。片付けはお願いするわ」 「勿論ですとも!嬢様、お気を付けて行ってらっしゃいませ!!」 カルラは席から立ち上がった後、テラシェの頭を撫でた。それから「シーマ、行きましょう」と言ってその場を後にした。 「よっしゃー!!久しぶりにカルラさんとの仕事だぜ!」 丁度子供たちの向かい側に座っていたシーマが勢いよく立ち上がって、カルラの後を追いかけた。結局、何処でも一番騒がしいのはシーマだった。 屋敷の鉄でできた重そうな門の前では、シーマが期待に目を輝かせながらカルラを待っていた。ここの地面は中庭のような草は生えておらず、柔らかい雲が門の外の果てまでも続いている。門と屋敷の間に設けられた雲の地面のスペースの両脇には、規則正しく並べられた植物が大きな白い花を咲かせている。どうやら自家栽培しているもののようで、そこにだけ焦げ茶色をした湿った土が盛られている。 ふと、屋敷の扉が開いて、カルラが外へ出てきた。シーマが待ってましたとばかりにそちらを振り返ったが、どうやらカルラは取り込み中のようだった。 「ねぇ、母さん。今日は早く帰って来れるよね…?」 「…ごめんね、アリィ。今日は仕事がたくさん入ってるから、帰ってくるのは多分、夜遅くになると思うわ」 カルラと一緒に外に出てきたアリィは、カルラの話を聞いた途端、悲しそうな表情をした。同時に、アリィの獣のような耳が少し垂れ下がった。 「大丈夫よ。いつもより少しだけ、遅いだけだから。それに、今日は父さんが家にいるから…」 カルラはアリィのバンダナに触れ、結び目を整えた。アリィはうつむいていた顔を上げ、カルラに笑顔を見せた。その笑顔は心なしか、引きつっているように見えた。 「…うん、そうだよね。母さんだって忙しいもの。私が我慢しなきゃ」 アリィのその言葉は、自身に言い聞かせているようにも聞こえた。カルラは最後に「ありがとう」と言って、アリィの頭手をポンッと軽く置いた後、シーマの待つ門の前へと向かった。 「いってらっしゃい!!」 アリィは、門を開けて仕事へと出かけた2人を見送った。それから少しして2人の姿が見えなくなった。アリィは一人ため息をつき、足取りも重く屋敷へと戻った。 アリィは屋敷の玄関で、忙しそうに廊下を歩いていたメルと出くわした。 「あら、アリィ様。学校へ行く準備は整いましたか?」 メルがアリィに聞いた。アリィは3年前から、半義務化された通学をしている。ハイラも同様に、2年前から学校へと通っていた。 「うん。一応、昨日の内に済ませてあるから」 アリィはそう答えた後、階段を上って自分の部屋へと戻ろうとした。 「あ」 メルが何かを思い出したかのように声を上げた。アリィはメルの声を聞いて、、階段の一段目に足をかけたところで止まった。 「そういえば…今日はアリィ様のお誕生日じゃないですか!!」 メルが表情をパッと輝かせて言った。アリィはメルのそんな様子を見て、可笑しそうにクスクスと笑った。 「うわぁ…私としたことが、すっかり忘れていました!ケーキはどういたしましょうか?プレゼントは?アリィ様のお好きなものをおっしゃって…」 しかし、メルの話を聞いている間に、アリィの表情は曇っていった。 「ううん、いいの。今日は…今日は、母さんがいないから」 アリィは悲しそうに言った。メルは、そんなアリィを不思議そうに見つめた。 「どうされましたか?何か気にかかることでも…」 メルがアリィに聞いた。アリィはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。 「…この前も、更にその前もそうだったの。母さん、仕事が忙しくて、私の誕生日のことも忘れてた…。今年も、きっとそう。父さんは父さんで、私…いえ、私たちのことをちっとも気にかけてくれない。でも…」 アリィはメルに笑顔を向けた。目には涙が溜まっていた。 「でも、そんなこと言ってたら、母さんや父さんに迷惑がかかるもの。だから…私が我慢しなきゃって。それに、今年はメルが祝ってくれるんだもの。少しも寂しくないわ」 アリィは今にも泣きそうな声でそう言った後、自分の部屋へと駆け出した。メルはアリィの部屋のドアが閉まる音を聞くまで、そこに突っ立っていた。振り向きざまに見えたアリィの表情が、未だに目に焼きついていた。 確かに…とメルは一人、歩きながら考え事をしていた。他のご兄弟のときはいつもお誕生日を祝えているのだが、アリィ様のときだけは中々祝えていないのだ。この季節、依頼は手に負えないほどの数になる。現に、今日も皆仕事で出かけてしまうし、一番早く帰ってくる旦那様も、アリィ様とハイラ様が帰宅なさる約1時間前。夕方まではほとんどの方が帰ってこない。 おまけに、嬢様は「アステール」の代表として、人一倍仕事が多く入っている。週に3,4回は子供たちが朝食を食べ終わる前に出かけ、子供たちの就寝時間後に帰ってくるのだ。 「だからと言って…」 アリィ様を落ち込ませたまま、今日を過ごすわけにも行かない。メルは独り言をブツブツと呟きながら廊下を歩いていた。あそこまで辛そうな表情をしたアリィ様は見たことがない。登校時にはいつものように振舞っていたが、目の下にほんの少しだけ赤い跡が残っていた。 ふと、誰かとぶつかり、メルが「あわわっ申し訳ございませんっ!」と慌てて謝った。 「おっと、すまん。やはり本は座って読むものだな…」 メルがぶつかった相手は片手に本を持ったサリルだった。どうやら歩き読みをしていたらしい。 「あ、これからお仕事ですか?」 「いや、俺はもう少し経ってから出る。先に義兄さんが出て、そのあとにユノ、更にそのあとに俺ってところだな。他のやつらは子供らが出たときに一緒に行ったらしいが…ま、どうでもいいか」 サリルはそんなことを言った後、再び歩き始めた。今度はちゃんと本を閉じている。 メルはぼーっとしながら、サリルの背を見つめていた。そしてメルが急に何かが閃いたかのように手をポンッと叩いたとき、サリルは廊下の角を曲がろうとしていた。 「旦那様!お待ちくださいませ!!」 メルがサリルの元へと駆け寄った。サリルは「?」と疑問符を浮かべながら、メルの方を振り向いた。 「どうしたんだ?俺に何か用でも…?」 サリルが言い終わる前に、メルはその両手を掴み、こう言った。 「旦那様!少しだけ、私の我儘をいただけないでしょうか?もしかしたら…もしかしたら、旦那様なら、アリィ様もお喜びになるかもしれません!!」 [back to top/next→] |