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「早くやれよ。嫌じゃないんだろ?」
 含み笑いを浮かべながらいってやると、ミサキは小さく頷き、冷たい鉄をそっと腕に当てた。一度、軽くナイフを引くと、薄いアカイロの線が腕に描かれる。
「それだけ?」
 俺がつぶやくと、ミサキは不安そうな顔を向け、もう一度ナイフを腕にあてがう。力の込められた腕が内側に引かれると、ナイフはミサキを傷つけながら、ゆっくりと沈んでいく。銀色の刃は赤く染まりながら、その身に静かに埋め込まれていく。微かに滲んだその鋭い輝きとは対照的に、刃を染めるその色は、生がある証として、淡い闇に包まれた部屋の中で鈍く輝き、存在を主張している。腕から刃が抜かれると、ミサキは顔をしかめてその傷口を見つめながら、ナイフをベッドの下に捨てるように落とした。傷口を押さえかけたミサキの手を掴み、そこへ視線を突き刺す。白い肌にひときわ映える赤い色。俺の罪を証として残したその色は、ミサキの腕に華やかに咲き乱れる。それをうっとりと眺めながら、白い背景と共に目に焼き付ける。真っ白なシーツの上に、無数に散らばる紅黒いホシ。それに比例した数だけ描かれている、左腕の傷痕。全て、ミサキが残したもの。全て、俺がやらせたもの。初めは自分の指先に咲かせていたソレを、いつしかミサキに強要させるようになっていた。それだけじゃ、足りなくて。どうしても、満たされなくて。いつの間にか、こんな風になっていた。いつからだったろうか、ミサキが俺の命令に何でも従うようになったのは。いや、正確に言うとそうではない。ミサキが逆らわないことに気づいたのは、いつだっただろう。その行動だけが、ミサキに唯一残された、生きてく道なのだ、と。俺が罪を犯した事と同じように、それしか方法が無いのだ、と。それをミサキが信じ込んでるって、気づいたのは。
「おいで」
 タバコを灰皿でもみ消しながら、空いている手でミサキを抱き寄せる。さっきとはほぼ正反対の、穏やかな声。
「痛い?」
 流血している腕を眺めながら尋ねると、ミサキは俺に握られた腕に微かに力を込め、小さく頷いた。
「んじゃ、ミサキは生きてるんだよ」
 俺は微笑みながら、至極当然のことを、まるでミサキに教えてやるように呟く。いつの間にか芽生えていたのは、異性としての愛情なのか、同居人としての親近感か。
「なぁ、ミサキ」
 声に対して顔をあげたミサキの瞳を見つめながら、俺はそっと背中を撫でてやる。
「お前は……俺と一緒にいたいんだろ?」
 俺が尋ねると、ミサキは黙って首を縦に振った。
「じゃあ、これくらい我慢しな」
 掴んでいたミサキの腕を持ち上げ唇をあてると、流れていくミサキの体液を、軽く音を立てて吸い上げる。血液独特の鉄くさい味。いつものミサキの味が、口の中に広がる。傷口を舌先でなぞると、ミサキは小さく甲高い声を吐き出す。そんなミサキが、たまらなく愛しく思える。俺の為に、そうやって声をあげてくれるんだから。強く目を閉じて耐えてるその姿が、一番好きだ。俺のこと思ってくれてるんなら、俺の為に耐えてくれよ。俺はそんなお前しか、愛せないんだから。ドクセン欲、アイ欲、シハイ欲。結局俺だって、欲にまみれた汚い人間なんだよ。理不尽な命令にもただ黙って従う、かわいい操り人形。そんな奴しか好きになれないんだから。その愛しさは、素直な感情か、捻じ曲がった愛情か。あの時ミサキが求めていたものは。今、俺が求めているものは……。
「俺はもう、離れる気なんてないから」
 好きだなんて言葉は行きかったこともない。しかしいつの間にか、そういう関係になっていた。いわゆる、コイビトドウシって関係。態度的には、出逢った頃とさほど変わっていないけれど。変わったとすれば、内面的なもの。つまり、ミサキに対しての、俺の気持ち。それは後悔からくる懺悔ではなく、誰にでもあるはずの感情。それを抱いた今だからこそ、離れてはいけない気がする。離れたらもう、俺は生きていけない。押しつぶされるくらい重すぎる過去に、吸い込めば咳き込みそうなほど汚れた世界。そんな中で一人、生きていく自信なんてもうないから。
「もう、いいですか?」
 不安そうに見つめるミサキに黙ってキスをして、「もう少し」とだけ答えた。
 俺がスキなんでしょ? ソレを愛だと思ってるんでしょ? コレも愛だって諦めてるんでしょ? それじゃあ、黙って受け止めてよ。浮き出てくる血のしずくを眺めながら、ソレを搾り出すように、傷口付近を握る手に力を込める。
「こうしていないと、不安なんだ」
 お前が生きてるんだって、血が流れてるんだって。死人でない証拠を、見せてくれよ。相変わらず頭の中には、血まみれの赤い部屋が映っていて、体の奥にはあの感触が残っているんだ。
「こんな生活嫌になったら、いつでも殺していいからさ」
 逃げたければ逃げればいい。黙って手を振ってあげるから。それが俺に与えることができる、お前への愛。残されたって、捨てられたって文句はいわないよ。束縛しないこと。ソレが俺に出来る、唯一の愛し方。
 新しくできた傷を軽くなでている俺の手を見つめながら、ミサキは小さく呟いた。
「絶対、殺しません」
「別に、ミサキの好きにしていいからな」
「じゃあ……一緒に、いてください」
 ミサキの言葉は、純粋な感情なのか、仕組まれた計画なのかわからない。既に使うか、使われるかで判断することしかできなくなった俺の脳では、そんな疑いいばかりが渦巻いている。しかしもう、そんなことはどうでもよかった。ただ思うのは、もう俺のことなんて考えないでほしい、ということ。俺を使いたいのなら使えばいいし、捨てたいのなら殺せばいい。ミサキには、自分のことだけ考えていてほしい。どうにかしてやりたいけど、どうにもできないんだ。どうすることがイイコトなのかさえ、浮かばないんだから。いくら隣にいたとしても、俺の力じゃ幸せになんてできないよ。俺が態度を変えたところで、ミサキが幸せになれるなんて思わないし、幸せかどうかなんて、結局自分で決めることだと思うから。自分で自分を納得させられるかどうかが、幸せの鍵なんだと思うから。ここにいることがミサキにとっての幸せなら、耐えることも幸せへの道。それでいいんなら、俺は止めない。不幸になると思うのなら、幸せになれる場所にいけばいいよ。満足できなきゃ、あがいてみなよ。俺は一切、邪魔しないから。
 恋愛はエゴの押し付け合い。それを黙って受け入れるのが、愛。そんな人間を愛せるだろうか。ここ以外に生き場を失った俺を、生かすことができるだろうか。お前が誓ってくれるのなら、俺はもう、何も求めない。ただお前はそこにいて、生きる理由を俺に与え続けてくれ。

END


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