セルフィッシュ

(明本淳)


 奏江先輩に彼氏がいることくらいは知っていた。つまり、今俺たちが行っている行為……ぶっちゃけるとセックス……は、一般的に浮気ということになる。どちらも結婚していないから幸い訴えられるなんてことはないにしても、悪いことだということに変わりはない。そんなこと、俺たちだって知っている。幼稚園の子でも知っているくらいの、恋愛においての常識だ。二人とも理解した上で、一緒にこの現状に立っている。


 直接彼氏の話を聞いたことはない。ただなんとなく、3年も一緒にいるとわかってくるものだ。

奏江先輩が気を使っているのか、それとも俺といる時は忘れたいのか……。奏江先輩の考えてることはそうやって想像するしかないのだが、どうやら俺とも、その彼氏とも別れる気はないらしい。

 誰なのか、なんてことはもちろん知らない。詳しくないどころか、顔も名前も、年齢さえしらない。

 それ以前に、別に知る必要もないと思っている。同じ女性を好きになっているからといって、俺の存在すら知らない他人なんて、俺には全く関係ない。

 知ることは、好きになるための第一歩。しかし、俺は奏江先輩が好きなのであって、奏江先輩の好きな人まで好きになる必要はない。

 さらにいうと、奏江先輩のことが好きな人を知っていたとしても何の得にもならないだろう。それに、俺たちがこういうカンケイを持つ前から付き合っていたはずだし、俺の地位は単なる"後輩"であって、恐らく奏江先輩の中では、それ以上ではない。つまり、彼氏という地位と比べたとすれば、明らかに俺の方が下ということになる。

 そんな勝ちの見えない勝負をわざわざ挑むほど俺はバカじゃないし、何より争い事は好き嫌い以前に億劫だ。

 彼氏がいることを前提に奏江先輩と付き合い続けている以上は、俺の方が一歩引くべきだと思う。もちろん、俺が謙虚だというわけではない。そんな性格なら浮気なんてするわけもなく、遠くからただ黙ってみているだけだろう。

 俺は奏江先輩のことが好きで、奏江先輩も俺のことも好きだといってくれた。それ以上を求めようなんて思わなかったから、このカンケイに落ち着くことにした。

 そうやってある程度の状況を把握した上で、この結論が俺にとって一番都合がよく、居心地も悪くない。だからこうしているだけである。


 奏江先輩と出会ったのは高一の時。俺は中学からやってた陸上を続けようと思ってて、奏江先輩はその陸上部にマネージャーとして入部していた。以前は確か料理部だか裁縫部だか……とにかく、家庭科関係の地味な部だったと聞いたような記憶が、うっすらとだけ残っている。

 まだ入学して間もない頃、オレが部活に顔を出した時。どうやら俺の知ってる先輩たちはみんな練習中のようで、ベンチの付近には何人かの部員と見学者、そしてマネージャーが数人いるくらいだった。

 その時、一番に声をかけてきたのが奏江先輩だった。

「君、淳君でしょ?」

「あぁ、はい。あんたは、誰?」

「マネージャーの桑折奏江、よろしくね」

「あぁ、マネなんすかぁ。よろしくお願いしまぁす」

 だるいといわんばかりの態度でそういうと、俺は奏江先輩の隣に座って思いっきり伸びをする。

「淳君ってココでも有名人なんだよ」

 奏江先輩は休む様子もなく話を続ける。

「そうっすかぁ?」

 ベンチの背もたれにもたれて空を見上げたまま、とりあえず軽い返事を返す。

「別に嬉しくないっすけどね」

「そうなの? でも、もてるでしょ?」

「んー、そういうのってだるいし」

「あはは、そっかぁ。それはそれで大変なんだねぇ」

「そんなとこ」

 人見知りなんてしないらしく、俺のかわいげのない態度も気にせずに、なんとも親しげに話してくれた。


 それから、何かにつけてよく話すようになった。

 多分スキとか言う感情ではなく、何となく一緒にいて楽しい、程度のカンケイで。そんな期間が奏江先輩が卒業するまでの期間、つまり二年間ほど続いていた。

 その後も切れる様子は見られず、ずるずると引きずられて、今に至るというわけ。

 そうやって流れに乗せられて。いつしか二人の間にあったあの長い距離は、相手に触れられるほどに近くなり。既に、目の前からは消えていた。


 なんて。

 そう、思っていたのは、オレだけだったのだろうか。


 それはつい先日の事。奏江先輩の家に遊びに行ったら、彼氏と鉢合わせしてしまった。俺にとっては最大サイアクの失敗といえる。しかも、その相手ってのが、陸上部の先輩だったのだ。しかも、中学から、一緒の。

「何でアマネ先輩がいるんすか」

 その相手は、目の前にある箱の中から取り出したケーキをテーブルの上に並べていく。

「だって奏江は俺の彼女だもん」

 ケーキに集中しながらも、アマネ先輩はあっけらかんと答えた。

「奏江先輩の彼氏ってアマネ先輩だったんすか?」

「あれ、いってなかったっけ? あはは、わりぃな」

 何も知らないアマネ先輩の反応はその程度のものだった。しかし奏江先輩はというと、物分りのいい俺のお陰で修羅場は免れたものの、やはり動揺しているらしく、どこか落ち着かない様子だった。

「そんじゃ、お邪魔でしたかね」

「何気ぃ使ってんだよ、きもちわりぃ。それよりお前もケーキ食えよ」

「いや、甘いのはちょっと……」

「あぁ、そう? ここのケーキうめぇのにな」

 そういってアマネ先輩は、目の前に並べられたケーキを順々に口にしていく。

 奏江先輩は一言も話そうとしない。それに気づいているのかいないのか、アマネ先輩はケーキを口に入れたまま、奏江先輩を見ていた俺に目を向けた。

「そんで? 淳は奏江に用事があったんじゃねぇの?」

 口の中のケーキのせいで少し曇った声が、俺に問いかける。

 特に用事なんてなく、ただヤりたくなったからきただけだった。しかし、そんなことバカ正直に言えるわけもない。

 仕方なく俺は、とっさにいつものウソを答えた。

「いや、宿題をちょーっと教えてもらおうかなぁって」

「俺が見てやろうか?」

「アマネ先輩、適当なこと教えるから嫌っすよ」

 暫くそんな世間話で間を繋いでいたら、帰るタイミングを失って、一時間ほどたってしまった。

 これ以上いるとやばいかなぁ。

 そんな風に思い始めたとき、時計を見上げてアマネ先輩は片づけを始めた。その頃には、目の前に腐るほど置いてあったケーキは跡形もなく消えて、そのかわりに大量のゴミと生クリームの甘い香りだけが残されていた。

「あれ、先輩、どうしたんすか?」

「悪いけど俺、帰るわ」

「え? 何もせずに? 俺が帰りますよぉ?」

「そうそう、お前がいたからできなかったの」

 冗談っぽくそういって、「用事があるんだよ」と付け加えると、フォークとゴミを片付けて、もう一度俺たちの場所へとやってきた。

「んじゃ淳、勉強がんばれよ」

 どうやら俺の言ったことを信じているようで、アマネ先輩は奏江先輩にキスをすると、ひらひら手を振りながら帰っていった。


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