2 その日は雨だった。汚れた猫が電柱の近くに倒れていた。雨のせいか、余計に泥や草で汚らしく見えた。 雨に打たれた毛が張り付いて、骨の目立つ細い体を浮き上がらせ、余計に不気味な印象を与える。腹を蹴り上げると、小さなうめき声をあげて端にあった電柱にぶつかって落ちた。 人間、罪を感じる行為をする時には、大抵言い訳がましい理由をつける。自分に非がある場合、心の中で自分に対して言い訳を並べる。実際はただイラついていただけだが、その時は「よけて通るのも面倒だな」とか、そんなことを思った気がする。 特にいくあてもなくぶらぶらしていただけで、部室によってみたのもただの気まぐれだった。そこであの状況を偶然目にしたわけだが、それからなんとなく、気分が悪かったのだ。奏江にイラついていたのは事実だが、普のことを思ってイラついていたわけではない。奏江のような女は元々スキじゃない。嫌いと断定できないが、苦手ともいえず、好きになれないとしか表現できない。 正直暇だったので暫く猫を観察していると、小さな鳴き声と共に猫は微かに痙攣を始めた。面白くなって足でつっついていると、突然後ろから声をかけられた。 「どうしたの?」 反射的に伸ばしていた足を引き振り返ると、一人の女が立っていた。ぱっちりした二重の瞳にセミロングの髪を右で結い、濡れた服からは雨水がしたたりおちている。 傘もささずに立ち尽くしていた彼女は、俺を不思議そうに見て、その後俺の足元へと視線を落とした。そして、倒れている猫を見つけると、あ。という小さな呟きをもらし、近寄ってしゃがみこんだ。 彼女が二、三度頭をなでてやると、猫は震える体を彼女の手のひらにこすりつけた。彼女は躊躇うこともなく抱き上げ、かわいそう、といいながら俺を見上げた。 「貴方が拾ったの?」 「え……いや、見つけただけ」 「そっか。じゃあ、飼えないんだね」 彼女は少し残念そうに肩を落とし、猫をなでながらじっとその身体を見つめた。 「怪我、してるね」 一瞬焦りを感じたが、どうやら俺が蹴ったのが原因というわけではないらしい。彼女は怪我をしている足をみながら、「ケンカしたんだねぇ」と、猫に語りかけた。 ふと彼女の顔に目を戻すと、どこかで見覚えがあるきがした。 「お前、どっかで見た……」 尋ねると、全てをいい終えないうちに、彼女は顔をあげて答えた。 「右京君といた時じゃないかな?」 「右京、って……」 「ほら、陸上部の部長だった、右京君。私の彼氏」 彼女はそういうと、「右京君が怒るからいわないでね?」と、笑いながらつけたした。 右京は俺や普と同じ陸上部の友人だが、彼女がいるなんて初耳だった。まぁ寡黙なあいつのことだから誰かにいうことなんてあるわけがないのだが、そんなそぶりさえ全く見えなかったことには感心するしかない。 「貴方、綾君でしょ?」 「よく知ってるな」 「陸上部の人はね、色々話も聞いてたから」 猫をなでながらにっこりと微笑み、彼女は自分の名前を明かした。 「私は春賀いづみ。陸上部だったら普ちゃんと右京君が、知り合いかな」 「あぁ、わかったわかった。普の幼馴染だろ」 「うん、そうそう」 普は自分のことをよく話す。そして同じように、自分の周りのこともよく話す。隠し事などができないタイプらしい。 いつでも笑っていられるのは、その分どこかで発散しているのだろう。その一つが俺で、別の一つがこの幼馴染、春賀いづみだといっていた。 「それじゃ、そろそろ帰ろうかな」 「その猫どうすんだよ」 「うーん……右京君に相談して、できたら飼うかな」 「同棲してんの?」 「うん。あ、それも秘密ね?」 「わかったわかった」 苦笑しつつうなづくと、春賀は「ありがとう」といい残して走って帰ってしまった。 それから、ほんの数ヶ月後。雪が降り始めて寒くなってきた冬のある日、大学に実家から通っていた俺のところに、普が肩を落としてやってきた。 普は開口一番「フられた」と呟くと、ハァ、と大きくため息をついた。 「誰に?」 「知ってるだろ!」 「奏江か」 「いちいちいうなよ!」 普は俺に怒鳴りつけると、勝手に靴を脱いで俺の部屋に上がりこんできた。 淳とのあの現場を見たときから薄々はそう思っていた。普自身が素直な分、あぁいう奴と普はかなり相性が悪い。長年、とまではいかないが、少なくとも中学からずっと見ている俺からすれば、そんなこと分かりきっていた。ただ、それを普に指摘してわざわざ予想でしかない不幸で傷つける必要もないし、つきあいを否定する権利だってない。 単にどこまで持つのか、なんていう興味だけだったのかもしれない。いや、関わることが面倒だったのかもしれない。そんなことを朧に思いながら、ずっと彼らを見てきた。 俺が部屋に戻ると、普はまるで自分の部屋であるかのように勝手にベッドを占領していた。ごろんと寝転び、枕を抱きしめながら、彼は何も言わずにじっとしている。 「それで、慰めろってこと?」 「違う」 「同情か?」 「それも違う」 持って入ったジュースをコップに注ぎながら、普は俺が尋ねる言葉にだけ、義務であるかのように返し続ける。 コップを差し出すと普は何も言わずに体を起こし、一気に流し込む。そして空になったコップを再び俺の前につきつけた。 俺はふぅ、と軽いため息をつき、再びジュースを注ぎ込む。 「じゃあわざわざ俺の場所にこなくてもよくねぇ?」 「お前ならほっといてくれると思ったんだよ」 「放っておいてほしいのかよ」 「ほしい。ほしいけど、一人は嫌だ」 「お前ってホント、素直だな」 「うるせぇな」 普にコップを手渡すと、今度は一口飲んでから、そばにある机の上にコップをおき、またゴロンと寝転がり、カラダを丸めて背中を向けてしまった。 呆れながらもほうっておくわけにもいかず、俺は右京の家に電話をする。目的は右京ではなく、一緒に居るという春賀。 呼び出し音の後に「もしもし」と電話に出たのは、予想通り春賀自身だった。 「あー、綾だけど」 「あぁ、久しぶりだね。右京君に代わろうか?」 「じゃなくて、お前に用事があってさ」 「なぁに?」 「また猫がないてるぜ」 「え? 猫?」 不思議そうな声で春賀が尋ね返す。ちらっと普を見ると、彼はかわらず背中を俺に向けたまま、枕を抱きしめている。 「普が、な」 「普ちゃんが、泣いてるの?」 「泣いてはねぇけど、ぶつぶつ文句言ってる」 「わかった。じゃあ、今から普ちゃんのウチにいくね」 「あぁ、頼むよ」 そういって電話を切ると、普はいつの間にか体を起こし、枕を抱きしめたまま壁にもたれかかっていた。 「何してんだよ」 低い声で言う普から目をそらして受話器を置く。 「余計なことだった?」 「あぁ、余計。すっげぇ余計。蛇足」 「はは、蛇足っていう言葉が使いたかっただけだろ」 図星だったのか、バカにされたと思ったのか、普はその言葉を無視して俺にいった。 「もういいよ、帰る」 「春賀のところに?」 普は何もいわず玄関に向かった。そして俯いたまま小さな声で「ありがと」というと、普はさっさと帰ってしまった。 とっぷ りすと |