王子は姫にゆめをみる
A prince has a dream for a princess.(横溝香史)
届かない永遠を求めていた。
ないはずのそれを森の奥で見つけたのは、約1年前。
ガラスケースの中はあれから微塵も変わらない。ひなのさんの姿はもちろん、周りを包む花まで。引き取ったときにひなのさんを囲んでいた彼等も言っていた。ここだけ時間が止まっているのだ、と。
雪のように白い肌、艶やかな黒髪、林檎のように紅い唇。
俺はひなのさんと喋ることは愚か、目があったことさえない。しかし、こんなに美しいのだから、きっと声も美しいに決まっている。
それを聞くことができないのは辛いけれど、こんなに美しい彼女を独占できるのだから、それだけでも十分幸せなことだった。
そう考えながら、動かないひなのさんにそっと触れる。黒髪を撫で、頬を撫で、手を撫でる。
そんな風にしていると、ひなのさんの睫毛がわずかに揺れた。
びくりと手を引き、恐る恐る覗きこむ。ガラスケースの縁を掴んでいた左手に力が入る。
ゆっくりと開いていく瞳に、俺は愕然とした。ただ触れただけなのに、ひなのさんは目覚めてしまったのだ。
「貴方が助けてくださったのですか」
体を起こし、自分を見て首をかしげるひなのさんは、辺りをきょろきょろと見回していた。
彼女の声は確かに美しかった。俺が想像していた何倍も可憐で、透き通るような声だった。
しかしその声は、初めて出会った自分など呼ぶはずもない。
「あの、左京くんは……みんなは、どこに……?」
目覚めなければよかった、と思ってしまった。
自分はなんて卑しい人間だろう。
「君は、本当に彼女を連れて帰るの?」
森でひなのさんと一緒に暮らしていたという7人は、ひなのさんを迎に来た俺にそう尋ねた。
はじめに出会ったときにも、あまり気の乗った返事ではなかったが、やはり同じような様子だった。
棺は既に馬車へと乗せられていた。あとは俺が乗り込めば出発できる。
「そのつもりですが、何か? もしかして、手放すのが惜しくなりましたか?」
「いや、ここにいてもひなのは目覚めないだろう。ならば誰の傍にひなのがいようと無意味なことだ」
「僕たちも色々考えて、手を尽くしたのです。しかし、だからこそ不安なのです」
「ひなのちゃんはまだ生きているのかもしれない。時間が止まっている様子を見ると、魔法で仮死状態にされているだけなのかもしれないよ。だけど、いつまで止まっているのか、俺たちにもわからない。魔法の解き方はもちろん、いつ死を迎え、腐食していくのかも、わからない」
彼等が熱心にいうのは、心配してくれていたが故なのだろう。
大丈夫なのかと、他の男たちも口々にいう。
「人間ではない僕たちでさえこれですから、貴方はさらにどうすることもできないはずです。ひなのさんがこのままの状態で全く変化がないとして、反対に、突然ひなのさんの時間が動き出してしまったとして、それでも貴方は平気なのですか?」
「もちろん」と、俺は返した。腐食していくだけであれば、それでもよかった。それは当然のことであるし、人も年老いていくのだから、大差ない。朽ちていく速度に違いがあるだけだ。
けれどこうして目覚めれば、変わっていくものが他にもできる。
恐れていたのはこの瞬間。
本当に止めたかったのは身体の変化ではない、心だ。
「あぁ、ごめんなさい。私ったら、お礼も申し上げないままで……失礼いたしました」
「いえいえ、ひなのさんが目覚めてくださって本当によかったです。それより、お体のほうはどうですか?」
「ええ、お気遣いありがとうございます。すっかり元気になりました」
そういうと、ひなのさんは立ち上がってくるりと回って見せる。ふらついたりすることもなく、元気でしょう? と言わんばかりの顔で、俺を見る。
「そういえば、僕も名乗っていませんでしたね。僕は香史と言います。ひなのさんとは初対面という形になるのですが、お願いがあります」
「何でしょう?」
「このままここに……僕の傍にいていただくことはできませんか?」
ひなのさんは驚いてはいたけれど、「喜んで」とすぐに表情を緩ませた。
「けれど、私からもひとつだけお願いがあります。以前私がお世話になっていた方々にお礼が言いたいのです」
「もちろんです。ひなのさんのことは、僕も皆さんにお伝えしなければと思っておりましたので」
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再びあの森の奥、彼等の住む小屋へ行くと、以前話をした彼が、切り株の上に座っていた。傍では薪割りをする者や、家具を作っている者などがいる。
「左京くん!」
「ひなのちゃん……目が覚めたんだね。よかった、みんなすごく心配してたんだよ」
ひなのさんが駆け寄ると、彼は立ち上がってひなのさんを迎えた。
「彼に渡したのは正解だったんだね」
「えぇ、そうね。左京くんたちも、ありがとう」
その様子に、姿が見えなかった面々も、どこからかバタバタとやってくる。
「ひなのさんっ! よかった、元気になったんすね! また一緒に暮らせるんでしょ?」
「残念ー、ひなのちゃん結婚するんだってー」
「え? あの王子と? マジかよ!」
「そうなのか? おめでとう、よかったな」
仕事をしていたらしい男たちがひなのさんを囲んで集まり始めると、たちまち騒がしくなっていく。
俺はそこから離れ、一人静かな家の中へと入った。
ひなのさんはずっと命を狙われていたのだと聞いた。最初は胸紐、それから櫛、最後に林檎。彼等はそれらを、犯人の、そしてこの眠りを醒ますための手がかりになるのではないかと残しておいたのだという。
実際に見せてもらったが、なんの変哲もないただの紐と櫛だった。
しまってあった棚を開き、そっとそれを取り出す。そして、何事もなかったかのように談笑している彼女たちのところへむかう。
みんな久しぶりのひなのさんとの会話に一生懸命で、俺の行動を気にしている人なんていない。
しばらく近くの木陰でそれを眺めていると、ひなのさんが小走りにやってきた。
「すみません、お待たせしてしまって。ありがとうございました」
「いえ、構いませんよ。お別れの御挨拶はしっかりとできましたか?」
「まぁ、お別れだなんて大袈裟な。永遠の別れでもないのですから」
そうですね、と微笑むと、ひなのさんはその可憐な声で、ふふふ、と笑いを溢す。
この笑顔を見ることができなくなる、声が聞けなくなるのだと思うと寂しくなったけれど、このひとときをしっかり脳裏に焼き付けておこう。彼女がいつまでも俺のものであり続けられるように。
end no.1
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