彼女だったひよのと別れたのは先週のことだった。引きずらない方がおかしいと思うのは俺が恋愛にのめりこみやすいタイプだからであって、遊びがてらに付き合う淳や気分で付き合いだす綾は、そこまで落ち込むことじゃないと言っていた。秋良は俺の言葉に同意して慰めてくれたけれど、結局そんなもので傷はいえるわけでもなく、自分自身でどうにかできなかった俺は、先ほど秋良に言われた通り、調子を崩すくらい引きずっていた。

ひよのを好きになったのには、きっと恋心なんていう直感的なもの以外にも理由があったのだと思う。思う、というのは無意識だけれど考えてみればそうかもしれない、ということ。

ひよのはクラスでは少し浮いた存在で、いつでも一人で行動していた。苛められているとまではいかないが、避けられている雰囲気はあった。だからひよのも、自分から他人に関わろうとはしていなかった。きっと、そんなクラスメイト達との関係を見ていたせいもあるんだと思う。ひよのと付き合えば俺だけのものになるんだろうな、って、独占欲を満たせる気がしたのは事実だった。

もちろんそれだけじゃない。俺自身も他のクラスメイトと同様、ひよのとクラス内で関わることはほとんどなかった。そんな俺がひよのと話すきっかけになったのが、新聞部の取材だった。部員であるひよのが担当してたのが陸上部の短距離で、担当の中に俺が入っていたのだ。

「よろしく」

「あぁ、何答えればいいの? 誕生日? 趣味? 好きなもの?」

ひよのの短い挨拶に、俺はペラペラと返す。ひよのは少しだけ笑い「種目を教えてください」と、事務的な様子で質問した。

「あ、そういうやつね。100メートルと400メートルとリレー」

「今、重点的にやってる練習は何ですか?」

「えーと、30メートルダッシュかな」

「瞬発力のため?」

「そうそう、よく知ってんじゃん」

思えば彼女の声を意識して聞いたのは初めてのことだった。全く声を出していないなんてことはないと思うのだが、思い出せと言われても浮かばないくらい彼女の声を聞くことは少なかったから。

それまでは全く喋らない奴だと思ってたけど、ちゃんと喋れるんだ。なんて失礼なことを考えていたと思う。それから何となく気になりはじめた、というのがきっかけ。

なんとなく、いつ喋ってるんだろう、とか、普段何してるんだろう、などと考えながらひよのを見ていた俺は、いつの間にか好きになっていたらしい。

何であいつなの? と、友人に聞かれたこともあったが、そういうのって好きになってしまうとわからないものだと思う。どこと言われてもうまく表現できないのだが、とにかく、好きなのだ。

好きだから俺と付き合って、と非常に軽い告白をした。軽いといっても単刀直入に気持ちを伝えただけであって、決してとりあえず告白しておくか、というようなことではない。

ひよのは即答することなく、俺のアドレスだけを聞いて帰っていった。

そして、あぁ、だめなパターンだわ、これ。と、直感で思ってた俺の考えを、いい方向に裏切ってくれた。つまり、オッケーだったということ。

秋良が言ってたベストタイムは確かにこの辺りに出たような気がする。恐らくこの頃の俺は非常に機嫌がよく、淳からも「気持ち悪いっすね」なんていわれ、それでも「うるせぇ」程度の反論で終わっていたくらいだったと思う。今同じことを言われたら間違いなく手か足が出ている。

けれど、そんな幸せ絶頂期の俺とは反対に、ひよのの環境は俺と付き合うことで悪い方向へと転がった。妬みや恨みを買うようになったのだ。俺は自分から付き合って欲しいといったことは伝えていたけれど、それも逆効果になっていた。

こういうことは人によっては予想がつくことだったのかもしれない。例えば綾なら簡単にそこまで予想し、秘密で付き合うとか表面上は友人でいるとか、器用なことをするのだろう。けれど俺はそんな回りくどいことをするのも面倒だし、それ以前にこうなることを微塵も想像できなかった。

予想ができたとしても俺は変わらなかったとは思う。何とかなるという気持ちが人並み以上に強い人間だから。

俺がこんなに後悔しているのだって、ひよのを追い詰めていた原因が総て自分の考え方にあるのだと痛感したからだ。きっと、こんな別れ方をしていなかったら、もう少し前向きに考えていけたような気がする。

「もう、死にたい」

ある日ひよのはそう漏らした。

「生きてるのが、辛い」

「……ごめんな」

俺が謝ることなんてめったにないのだが、このときばかりは心底思った。好きな子を守りきれない俺が全面的に悪いのだ。

それでもひよのは、誰を責めることもしなかった。俺はもちろんのこと、周りの人間さえも。嫉妬も羨望も人が無意識に抱いてしまうもので、仕方のないものだから、と。

「何でこうなんだろうね。誰も悪いことをしていないはずなのに」

付き合ってから何度も聞いた言葉だった。

「みんなが真実を知っていても同じように感じることはなくて、だから理解しあえないことも仕方がないんだよね」

同意する言葉も、反論する言葉も見つからない俺は、それを黙って聞いていた。

「世界って、難しいよね」

ひよのはいつも、独り言にも似た考察を、そんな言葉で締めくくっていた。総てをそれで片付けようとしていた。

けれどそんなに人は単純にできていなくて、それだけでは消えない悩みとか、癒えない傷とか、解決しない問題とか、たくさんの障害があって、そこでひよのの出した結論が、死ぬことだったのだと思う。

誰も責めることの出来ないひよのは、うまく消化できない自分を責め、自分を消すことを考えたのだった。

「考えることが面倒でね、生きる意味とか、この先の楽しみとか特にないから、もういいかなぁって」

投げやりに言ったのは俺を心配させないためだったのかもしれない。その程度の理由で、とその言葉を聞いたときには思ったが、ひよのの中にはその何倍もの理由が眠っていたのだろう。少し背中を押せば本当に死んでしまいそうな雰囲気を、俺は感じていた。

「俺が悪いんだよ。何も考えてなかったし、何もできないし」

「そんなことないよ。生きるって色々あるもの」

そうしてひよのは「人間の世界って大変だよね」なんて、結局この広い世界をただ恨むのだった。

「そんなにこの世界が嫌いなら、俺が一緒に死んでやるよ」

非現実的な言葉だったかもしれないが、決して冗談などではなかった。ひよのがいなくなったら、俺は本当にアイデンティティを失うから。自分を認めてくれる絶対的な人間。それが、ひよの。

だけどそれはひよのを救い出す言葉にはならなかった。

ひよのが俺にとって必要だっただけで、ひよのにとって俺は同じような必要性はなかったのかもしれない。

「一人のときは、辛くなかった」

その言葉を皮切りに、ひよのはポツリポツリと本音を漏らし始めた。

「本当は、少し優越感があったの」

「優越感?」

「うん。アマネ君はクラスの人気者で、陸上部でもすごくって、そんな人と付き合えるなんて、って、思ってた」

それは俺が恐れてた言葉ではあったけれど、その裏にはひよのの不安も隠されていた。

「だけどね、私なんかでいいのかな、って、いつも思ってた」

そんなこと俺は考えもしなかったけれど、ひよのはとても気にしていたようだった。

前にも話したが、俺は綾みたいに相手が何を考えているかなんて理解できないってわかってるから、最初から想像しようとしないところがある。だから俺自身が気にしないような事柄で相手が悩んでいるなんて、考えもつかなかった。

ひよのは「ごめんね」と謝ったけれど、俺は理解しがたかった。俺から告白したんだから、俺はひよのが言いに決まっているのに、って。

「俺がお前の何であろうがいいんだよ。その優越感のためでも俺は気にしねぇ。お前がそうやって俺のことを認めてくれてて、それが自慢だと思ってくれてんだろ? それでいいよ」

「ふふ、ありがとう」

ひよのは笑ってくれたが、どこか辛そうだった。あぁ、無理してるんだろうな、って、誰が見ても思うような顔だった。

「でもね、やっぱり、私なんかじゃ無理みたい」

多分、俺のために笑ってくれていたんだろう。
この、最後のときの、ために。

「一人に、なりたいの」

それが別れを意味する言葉だということは、容易に理解できた。それから、もう引き止められないことも……。




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