ライマの眠り
(多所普)


午後の授業が終わりスマホを見ると、メールアプリの画面にあきほの不在着信がずらりと並んでいた。遡っていくと、眠れない、の文字。さらに遡っておやすみ、もうすぐ行くね、というメッセージにたどり着いた頃、画面があきほからの着信に切り替わった。

「わりぃ、さっき授業終わったとこでさ」

「うん、わかってた。ごめんね」

「それはいいんだけど……」

それで、と、俺が切り出す前に「眠れないの」と、泣きそうな声であきほが言った。

「あぁ……」

またか、と、あきほに聞こえないように呟き、受話器を戻す。あきほは錯乱したみたいに勢いよく話しはじめる。

「ベッドに入ったのは9時なんだよ? 前はもっと簡単に眠れてたのに、どうしてだろう、全然眠れないの。もう12時なのに、いつもならもう眠れるのに。どうしたら眠れるのかな?」

「えーと……」

ホットミルクとかアロマとか、なんて俺がよく聞く安眠法を答える間もなく、あきほはまた「どうしよう」と続ける。正直もう会話になっていない。

「最近、どんどん眠れなくなってきてる気がするの。どうしよう、これじゃわたし……」

「あきほっ!」

やや強い口調で名前を呼ぶと、あきほの声がぴたりと止んだ。

この窓から見える空はとても明るい。暗い部屋に一人きりでいるあきほにも見せてやれたら少しは不安も和らぐのだろうか、なんて考える。

「落ち着けよ、な?」

「だって……だって、これじゃ普くんに会えない……」

あっちの世界にいるあきほは、眠ることでこっちにやってくる。授業があるような時間にあきほが「眠れない」なんて言ってたのは、そのせいだった。ここでは午後4時になる頃だが、あきほのほうでは真夜中らしい。

二つの世界の時間の流れは一定していない。ネバーランドというアプリを使って繋がってはいるけれど、同じ時間軸に存在しているわけではない。だから俺たちが一日を過ごす間にあきほが数日を過ごしているということもよくある。
それを疑問にも思わないのは、それが当たり前である世界に俺が生きているから。

「普くんに会いたいよ……」

鼻をすする音が聞こえ、胸が痛くなる。

「ほんとはもっと……もっと、会いたいのに……」

俺にも同じ気持ちはあるが、できれば、聞きたくはない言葉だった。どんなにあきほにねだられても、俺のほうからあきほに会いに行くことは絶対にできないから。

二つの世界は一方通行になっていて、あきほが眠れないのならじゃあ俺が眠ればあちらに行ける、なんてふうに簡単にはできていない。俺のいる世界はあきほの世界の誰かが作ったもの、なのだそうだ。そしてそれをベースにして、あきほ専用のこの世界がある、と。

だからこの世界はあきほによって形を変える。あきほが転校生として入ってきても、たまにしか学校にこなくても、それがここでの当たり前。例えばあきほがもうこちらに来なくなったとしても、それがすぐに当たり前になるのだろう。

あきほの使うネバーランドは、あっちではかなり特殊なゲームだそうだが、ここでは単なる無料通話アプリだ。あきほの言うそれは、漫画やゲームの中に入れるのだそうだ。そしてその漫画にあたるのが、この世界。

ここで生きてる俺には信じがたい話だった。あきほが別の世界からここに来たことについては「あぁ、そう」で片付けられたのに、だ。納得できるできないではなく、感覚として不思議にも思わない。あきほ側からすると疑問であるらしいし、順序だてて考えればたしかにおかしなことなのだが、この辺りの不可思議さは、あちらの作り出した世界が故のことなのだろう。

放課後になったばかりで騒がしかった教室は、いつの間にか人もまばらになっている。啜り泣くあきほの声がはっきり聞こえるようになったのは、そのせいだろうか。

「泣くなよ」

「ごめん、ね……でも……」

「電話、切ろ」

「えっ、やだよ、だってわたし、まだ……」

「電話してたら寝ないだろ、お前」

「そう、だけど……」

俺が落ち着いていられるのは、あきほの前だけ。
あきほが眠るまでの時間なんて、時間のずれたこちらではあっという間だ。だから、辛さも寂しさも、あきほのほうが俺の何倍も感じているはず。
そう思うから落ち着いているふりができる、というだけ。

「待ってるからさ」

おやすみ、と交わして、通話を切る。

外はまだ明るい。
ポケットにスマホを突っ込んで、飴を口の中に放り込むと、カバンをつかんで教室を出る。

あきほはもうすぐこっちに来るだろう。それが数分先なのか、数十分なのかはわからないが、大した時間じゃない。
俺がそれさえも辛い、というのは、多分あきほだけが知らないこと。

けれどこの辛さも、あきほがそれを終わらせたら、当たり前に消えてしまうのかもしれない。

end


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