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[10]蛍火の杜へパロ 後 *アルソウ
by 亜瑠都
2013/02/14 20:32
* * *

「あ、こらアルっ!」
「げっ…」
「また勝手に外行こうとして!
まだ寝てなきゃダメって言ったでしょ!
ほら、部屋に戻るよ」

音を立てない様に慎重に扉を開けた瞬間背後から響いた声に、アルはうげ、と顔をしかめた。

(見つかっちまったか…)

普段はおっとりしてるくせに、どうしてこういう時は目敏いのだろうかこの幼なじみは。
さすがに逃げてまでとは思わず、アルは一つ溜め息を零して、自分を部屋に連れていこうとするカイにひっ張られていくことにした。

森でイアルと出会った日から三日。
あの翌日からアルは風邪で熱を出していた。
ただでさえ寒い外に一日中いたうえに、雪合戦をしたり転んだりと雪まみれになったことが原因なのは明白で、しばらくは外出禁止と言われてしまった。
そのため、結局あの日からソウに会えていない。

「マフラーなくしてきたと思ったら、今度は雪まみれで帰って来るし。
一体森で何やってるの?」
「あー……散歩?」
「なんで疑問形なの」

アルの手を取って廊下を歩きながら、カイに小言ついでに尋ねられたが、まさか妖怪に会ってるとは言えない。
しかしカイに嘘をつくことも憚られ、当たり障りのないことを答えておいた。
実際ソウとは森の中を歩いて会話するだけのことが多いため、あながち間違いでもない。
答えるまでに間はあったが、カイはあまり気にしなかった様で可笑しそうに笑うだけだった。
しかし彼がそのまま続けた言葉に、アルは心臓が止まる心地がした。

「あ…そういえば、妖怪は見つかった?」
「は?
…な、え?妖怪?」
「?
だって最初にアルが森に行った時、妖怪について聞いてきたじゃない?
アルが妖怪とかそういうものに興味を持つのって意外だったしその日から森に通い通しだったから、もしかしたら妖怪探しでもしてるのかなって」
「ああ…そういう…」

一瞬、カイが何かソウについて知っているのかと思って驚いたが、特にそういう訳ではないらしい。

「いや、あの日はたまたま耳にしたから気になっただけで…後は普通に散歩しかしてねぇよ」

少し安心して返すと、彼は特に食い付いてくることもなく、そっかと頷きながらアルにあてがわれた部屋の扉を開けた。
4畳半ほどの空間に、寝具と棚が一つずつ。
元々が客間という名ばかりの空き部屋で、一時的にアルが泊まりに来ているだけのため質素な部屋である。
カイは一端掴んでいたアルの腕を離してベッドの端に寄せられていた布団を敷き直し、そこを示す様にぽんぽんと叩いた。

「はいアル…ってそんな嫌そうな顔しないの。
まだ風邪治ったわけじゃないんだから、しっかり寝てる」
「熱はもうないんだから寝なくても良いだろ」
「今朝下がったばかりでしょ。
寝てなきゃ身体休まらないからだめだよ」

ぐいぐいと背中を押してくるカイと数分無言の押し問答をした結果、結局アルが折れて布団に入ることになった。

「…でも、やっぱりアルはあの森気に入ったんだね」

渋々横になったアルに布団を掛けながら、カイは不意にそんなことを言った。

「やっぱり?」
「うん、アルって昔からよく近所の森の立ち入り禁止区域に一人で行ってたから、ここに来たら、あの森気にいるんじゃないかなって思ってたんだ」

で、よく迷子にもなってたよね、とからかう様に言われたので、うるせ、と一言返すと彼は楽しそうに笑った。

「でもお前、最初あれだけ行くなって言った割には次から止めなかったよな……あ、」
「……山神様は余所者をあまり好かないから「おいカイ、雪!」え?」

カイの背後にある、ベッドの側の窓の四角い枠の中を白がちらちらと舞っていた。

「すげぇ降るんだな田舎って……って悪い、聞いてなかった」

実際カイはしっかり聞いていても聞きとれない程低く小さく言っていた気もするのだが、どちらにせよ聞いていなかったので謝ると、彼は窓から視線を戻して首を横に振った。

「アルが一回行って自分で帰って来たってことは次からは迷わないだろうなって思ったからって」
「…なんであの時迷ってたことになってんだよ」
「え、違うの?」

素で驚いた表情をされたのはなんとも気に食わなかったが、否定は出来ないので詰まっていると、カイは再びくすくすと笑う。
睨んでやるとごめんごめんと謝って、それにしても、と後ろの窓を、正しくはそこから見える雪を振り返った。

「ごめんねアル。
せっかく来てもらったのにあんまり案内も出来なくて、雪まで降って帰るのも遅くなって、こんなつまらない田舎に2ヶ月も…」

同じ家に寝泊まりして夜は会話をしていたにしろ、確かに親戚周り等でカイは忙しく、昼間はアルは自由といえば聞こえは良いが、客人としては放っておかれていたに等しかった。
アルとしてはソウに会いに行くので暇ではなかったためそこまで気にしていなかったが、カイはそろそろ飽きて嫌になったのではと考えているらしかった。

「んな不安そうにしなくても別に気にしてねぇよ。
色々回ってみたけど、良いところだしなここ」
「良いところ、って思ったの?」
「ああ。違うのか?」
「う、ううん!そうじゃくて。
なんていうか、意外で。
都会と違って何もないし、不便だし」

まあ確かに、とアルは思った。
この村には娯楽施設といったものはないし、辛うじてテレビは見れるものの、今まで見たことの無いような田舎の番組しか見られない。
本を買いに行こうにも村には本屋はなくて、取り寄せれば三日はかかるし、雪が降ってからは取り寄せることすら無理だった。
確かにもの的には色々不便なところだ。

でも、と申し訳なさそうなカイの頭をわしゃわしゃとかき混ぜてやる。

「この村の人間は少し馴れ馴れしいけど良い奴らばっかだし、木造の家とか、雪に対する生活の知恵とか、あの森とか、都会にないもん沢山で、俺は結構面白ぇし、良いとこだと思うけどな」

村を歩けば、誰かしらが挨拶をしてくれ、名前を覚えてからはまるで孫の様に野菜やら何やらくれようとしたり色々と話を聞かせてくれる村人達に、歩けば軋み音のする廊下など、雪に囲まれているけれど、人との関係が暖かい村だ。
森でのソウとの出会いを抜いても、この村自体を割とアルは気に入っていた。

「連れてきてくれてありがとうな、カイ」

手を止めてカイを見れば、彼はぽかんとした表情をしていた。

「カイ?」
「あ…ごめん、嬉しくて」

彼はアルがぐしゃぐしゃにした髪を戻しながら、嬉しそうに微笑んだ。

「つまらなくて、こんな何もない村にはもう来たくないって思われてても仕方ないなって思ってたから…まさかそう言って貰えるとは思わなくて。
こちらこそ、ありがとう」

そう言って笑ったカイを見れば、彼が自分の故郷を大事に思ってるのがよくわかった。
せっかく直した髪をもう一度ぐしゃぐしゃとかき回す。
カイがあ、と不満気に頬を膨らましたが、抵抗はせずに、本当はね、と口を開いた。

「アルに森に行くなって言った理由、もう一つあったんだ」
「?」
「僕が、あの森に行きたくなかったの」

ふと窓の外に目をやれば、白く雪に覆われた、しかしその下は豊かな緑に溢れているだろう山の背が目に入る。

「昔ね、この村にいた時にすごく仲の良かった友達がいて、いつも一緒に森で遊んでたんだ。
ただ、急に引っ越すことになって、寂しくて、自分でもなんであんなこと言ったのかよく覚えてないんだけど、『こんな何もない村出ていけて良かった』みたいなこと言っちゃって。
そのまま別れて、一度も会えてないんだ。
だからなんか、怖くてね、もう昔のことなんだけど」

(ああ、それで…)

『何もない村』をあんなに気にしていたのか。

正直今まで友人との付き合いが少ないため、どんな言葉を返すのが正しいのかわからず、とりあえずぽんぽんと頭を軽く叩いてやる。

それだけで何か気を遣ったのが伝わった様で、小さく笑みを零した彼は、しばらくアルの為すがままにされていた。
それからおもむろによし、と立ち上がる。

「もうすぐお昼だからご飯、用意してくるね。
朝の残りの雑炊だけど、良いかな?
なんか他に欲しければ作るけ「いや、大丈夫だ。
雑炊だけ頼む」…?うん」

カイには悪いが彼の手料理を食べたら正直別の理由で寝込みかねない。
そう考え即答するとカイは不思議そうにしつつも部屋を出て行こうとしたが、扉の前であ、と振り返った。

「どうした、なんか手伝うか?」
「あ、ううん、そうじゃなくて。
あの…風邪が治ったら、一緒に森に行ってもいいかな」
「…ああ」

首を縦にふってやると、彼はほっとしたように笑って今度こそ部屋を出て行った。
森に行けばソウに会うかもしれないが、それはその時考えればいいだろう、とアルは窓から見える森に目を向けた。

なんだか無性にソウに会いたかった。
たかだか三日会わない位でとは思うけれど、実際ソウと出会ってから、何も言わずに三日も会わないことはなかった。

ふと、自分の手を見る。
先程カイの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら、ソウにもこんな風に触れたら良いのにと、考えている自分がいた。
ソウが転びそうになれば助けてやって、不安な顔をしたら頭を撫でてやって、寂しそうな顔をするなら抱き締めて。
しかしそんなことをすれば彼は消えてしまう。
イアルに出会って、ソウに触れたいという思いと、消えてしまうことへの恐怖は同時に大きくなっていた。

(今、何やってるかな…)

また、薄着でいるのだろうか。
森の奥の木に腰掛けて寝ているのだろうか。
雪うさぎでも作っているのだろうか。

それくらいしか思いつかなくて、自分はソウ個人についてはほとんど何も知らないのだと気付いた。
何をするのが好きで、森のどこに住んでいて、食事などはどうするのか。
イアルは知っているのだろうか。
そういえば、彼とはどういう関係なのだろう。
友達?仲間?
彼らといる方が、ソウは楽しいのかもしれない。

『一度も会えてないんだ』

カイとカイの友人の様に仲違いした訳ではない。
けれど、春になれば自分もここから都会に戻り、もしかしたら二度と来ないかもしれない。

(それに……)

彼らは年をとらない。
きっとこの先会いに来たとしても、自分だけが大人になるのだろう。
そんな人間である自分より、ソウは妖怪達といたいのではないか、もう会ってくれないのではないか、そんな不安が心を占める。
風邪が治って、あの鳥居に行って、彼がいなかったら。

「…………っ」

ばっと布団を剥いで、ボタンを留めるのさえもどかしく思いながらコートを羽織りマフラーを巻く。
手袋を引っ付かんで部屋を出て、玄関へと走った。
途中で食事を運んでくるカイとすれ違い、驚いた彼が何かを叫んでるのが聞こえたが、悪いと一言返して振り返りもせず家を出る。

森への道をただ走った。
馬鹿なことをしている自覚はある。
それでも、ソウがいることを確かめないと不安で仕方がなかった。
十代後半にもなって女か、と自嘲しつつも足を緩めることはない。

森の入り口辺りで足がもつれたが、構わず走って、曲がったらいつもの鳥居が見えるであろう角を一息に曲がる。
不安だったが足を止めたら曲がれない気がした。
同時に彼の名前を呼ぶ。

「…ソウっ!!」


「!?
アルフレッド……!?」

会いたかった青年は、鳥居の前に座っていた。
どこか森の奥を見ていた彼は、振り返ってアルの姿を認識するとぎょっとした様に目を見開いた。

そのソウにしては珍しい反応と、彼がいたことにほっとしたのが綯い交ぜになって、アルは吹き出してしまった。
そのまま笑いながら、ソウの元へと歩いていく。

「…っははっ、ソウお前すげえ顔してんぞ」
「いや…だってお前風邪ひいて寝込んでるんじゃ…」
「知ってたのか」

息を整えつつ隣に座ってソウを見ると、他の妖が教えてくれて、と彼は呟いた。
他の妖と聞いて少し不安な気持ちが蠢いたが、とりあえずソウがいたことに改めて安心する。
いつも通りの薄着に自分のやったマフラー、色素の薄い肌や髪、そして何より深く青い目。
自分のよく知る彼が、そこには居た。
そこまで見てアルははたと気付く。

「お前、なんかいつもより鼻とか手とか赤くないか?」

今までも薄着のせいで赤くなっているのは見てきたが、彼が妖怪のせいだからか、そこまでひどくはなかった。
しかし今回はいつも以上に赤い。
まるで雪を触った直後の様で、しかもよく見れば唇も真っ青だった。
ソウは言われて初めて気付いた様に自分の手をまじまじと見つめた。

「ん、ああ本当だ…三日間ずっとここにいたからな」
「…………は?」

三日間ずっと。
自分が来ない間ここで待ってたと、彼は言っているのだろうか。

「だってお前、俺が寝込んでたの知ってたんじゃ」
「ああ、聞いたのはさっきなんだ。
ていうかアルフレッドこそ、風邪はどうしたんだ。
治ったのか?」
「あ、いや、まあ、熱は下がった………っくしゅ!」
「……風邪は?」

目が笑ってない笑顔で聞き返されて、あ、まずいと思いつつ、今日のソウは表情がいつもより豊かな様に感じて少し嬉しく思う。

「あー…うん風邪は治ってねぇんだけど……なんか不安でな」
「……不安?」

怪訝そうに聞き返すソウにああ、と頷いて話を続けた。

「…この前イアルって奴に会ったときに、俺はお前を消しかけただろ」
「あれは事故で」
「いや、どちらにしろ消しかけたことに変わりはない。
あいつが助けてくれなきゃ、お前は消えてた。」
「それは……」
「手を伸ばした自分が悪いとか言うなよ」
「…………」

先に釘を刺して黙った彼は、本当にそんなことを言おうとしていたらしい。
少し呆れたが、まあいいと言葉を続けた。

「…それ思い返してたら、俺はソウにとって危険な存在でしかないんじゃないかって思ったんだよ。
俺はもう二度とあんなことにならないようにするつもりだけど、お前にとっては迷惑でもう会ってくれないんじゃないか、もうこの鳥居には来ないんじゃないかって考えてたら、怖くなって、気付いたらここに向かって走ってた」

上を向くと顔に雪が当たって、走って火照った顔を冷やしてくれた。
そういえば傘を忘れたな、どうせ役に立たないだろうが、と話には関係ない考えがちらりとよぎった。

「でも、良かった」
「え?」
「ソウがちゃんと居てくれたなって。
俺……っ」

ソウの方に視線を戻したと同時に急に視界がぐらついた。

「アルフ……!?」

近寄ろうとした彼を片手で制する。
しばらくすると眩暈はとまったので目を開けてソウを見れば、心配そうな顔でアルを見ていた。

「大丈夫か…?」
「ああ……ちょっと眩暈がしただけだ。
ずっと寝てて久しぶりに走ったからな」
「…………」

多分熱がまた出てきたのだろうが、気を遣わせない様に軽く言う。
しかしソウは真剣な表情でアルを見つめていた。

それからふっと、アルから視線を外すと足元の雪に移した。

「……………アルフレッド」

ぽつりと呟く様に自分を呼んだ彼の表情はみえなかった。

「俺のこと話すよ」

鳥居から重さに耐えきれず落ちた雪が、ざん、と音をたてた。


「俺は『妖怪』ではない。けれどもはや人でもない。
人の子だったらしいけれど、赤ん坊の頃この森に捨てられたんだ。
本来その時命を終えていたはずだったけれど、山神様が憐れんで妖術で生かし続けてくれている…それに甘えていつまでも成仏しようとしない、幽霊の様なものなんだ」



「アルフレッド、忘れてしまっていいんだよ」


顔を上げてアルを見たソウは、少し寂しそうに笑っていた。

「妖術で保たれている体はとてももろい。
本物の人の肌に触れると術がとけて消えてしまう。
そんなあやふやな存在にお前がそんなにも」
「アルー!?どこにいるのー!?」
「この声……カイか」

言葉を遮って聞こえた声に反応したアルを見て、ソウはただ、

「風邪、治ってないんだろう。
急に出てきて家の者も心配しているみたいだから、早く帰った方がいい」

とだけ言って、先程の続きを言うつもりは無いようだった。
アルもああ、とだけ返して立ち上がるが、歩き出そうとはしなかった。

「触れると消えてしまうなんて、まるで雪の様だな」

空から尚降り続ける雪を見上げて、雪華の一つを手で捕らえる。

「俺はな、ソウ。
会えなかった間もソウのことを考えていた」

たかが三日だけど、その間ずっと。
馬鹿みたいに、青い目ばかり思い出して。

「ソウ、忘れるなよ 俺のこと」

振り返って見たソウが、泣きそうな顔をしていたのは気のせいだろうか。

「忘れるな」


カイの声がした方へ足を進めながら、アルは雪の塊に目を向けた。

(春がきて雪が解ければ、俺達は分かたれるんだろう。
けれど、それでも、せめてその時まで)

一緒にいたいんだ。


* * *

焦げ茶色と少しの緑の覗く道を進むごとに、どしゃっ、と解けた雪が地に当たり散らばる音が所々から聞こえてくる。

春が、彼の去る日が近付いている。

奇妙な狐の面をつけた青年は、少し前よりも明るい、しかし尚深い緑を一人見上げて佇んでいた。



「妖怪祭り?」
「……違う、『妖怪達の春祭り』だ」

3月に入り大分雪の解けた山道を二人で並んで歩きながら、聞き慣れない言葉をアルが聞き返すと、ソウに呆れた様に訂正された。
さして変わらないと思うのだが、ソウ曰くニュアンスが全然違うらしい。

「春の訪れを皆で祝う祭りなんだ。
今夜あるのだけど、家を抜け出して来れるか?
一緒に行きたいと思っていたんだ」

最初に会った時よりも大分柔らかい笑みを浮かべて言うソウをアルは嬉しく感じながら、返事をしようと口を開く。
どうせ答えはひとつしかない。

「ああ、大丈夫だ。
俺も行ってみたい」
「そうか、良かった。
では八時、いつもの所で」

パキッと足下の枝が音を立てる。
聞き慣れていた雪を踏み締める音を聞くことはあまりなくなって、最近は久しい木々のざわめきが聞こえるようになっていた。

「もう春になんのか」
「最近は大分暖かくなったしな。
妖怪達も喜んでる」

アルの帰る日も少しずつ近づいていたが、お互いそれを口に出すことはしなかった。
したくなかった、という方が正しいのかもしれない。

「しかし妖怪ばかりの祭りってちょっとなぁ…」
「…怖いか?」
「いや、怖くはねえんだけどな」

イアルにあれだけの口をきいといて今更怖いとは思わないが、不安がないと言えば嘘になる。
流石に妖怪達に囲まれるということは経験したことはない。
するとソウはふ、と安心させるように笑って、大丈夫と言った。


「見かけは人の祭りと変わりない。
人の祭りを真似して遊ぶ祭りだし……アルフレッドは俺が守るよ」
「……………そういうのは女に言ってやるもんだろ。
大体お前細っこいのに怪我でもしたら」


一瞬、嬉しくて言葉を忘れたなどとは恥ずかしくて言えやしない。
ちらりとソウを盗み見ると、彼は地に顔を出した新芽を興味深そうに見ていた。

「生憎俺には女性の知り合いはいないんだ。
それに…怪我をしてもアルフレッドを守れるなら、本望だよ」
「………………」

これほどソウが向こうを向いていて良かったと思ったことはない、とアルは密かに新芽に感謝した。


その日の夜八時。
アルはソウに連れられて、祭の会場へと足を踏み入れた。
からん、と下駄特有の心地良い音に、賑やかな話し声、金魚すくいなどの定番の出店や神輿、時折鼓膜を揺する祭太鼓の音。
来るまでは月と星の明かりだけを頼りに歩いたというのに、今は祭を飾る明るい光───電球かと思ったがそれとは違うらしい───に囲まれている。
そこには、夏に行われる人間の祭りと変わりない光景があった。

「本当だな、ほとんど同じ…
妖怪達は皆人に化けているのか」

正直に言えば、異形が火を囲んでどんちゃんするような偏ったイメージを持っていたため、アルは時々惜しい姿をする者達も居るものの浴衣や面を纏ってはしゃぐ『人々』の姿に素直に驚きを口にする。
振り返った先にいるソウも、祭だから、と久しぶりに見る狐面と淡色の浴衣を身に付けていた。
いつもに増しての薄着で寒くないのかとかと問えば、今日彼らが着ている浴衣は特別で寒くないらしい。

「そう、見事だろう。
時々は人もそれとは知らずに迷い込んでくるくらいらしい」
「…カイの父さん達のことか」
「誰?」

ここに来たばかりにカイから聞いた話を思い出す。
なるほどあながち村人達の騒ぎは間違っていなかったようだ。

ドン ドドン、と祭り太鼓が力強く耳を打つ。

「アルフレッド、そっちの手首にこれを結べ。
迷子になる」
「迷子ってな……」

前にもこんなことがあったな、思いつつも差し出された帯状の端を受け取れば、それは自分が嘗てソウにあげた、空色のマフラーだった。

「これ…」
「ちょっと長いけどな」

と面の上からでも表情のわかる、笑いを含んだ声でソウは自分の左手首にもう片端を結んだ。
それを見てアルも呆れた様に笑いながら自身の右手首に空色のそれを結ぶ。
迷子にならない様に、と彼は言ったが、お互いに触れることが叶わない自分達の唯一の繋がる方法なのだと理解していた。
初めて会って同じ様に枝を差し出したとき彼は、手をつなぐ代わりだと言ったのだ。

それから二人はマフラーを間に、祭りを楽しんだ。
出店を回って、遊んで、話して。
途中には大きな花火も上がった。



「アルフレッド」

それは、少し疲れたからと人混みを離れて、鯉のたくさんいる池のほとりを歩いていた時だった。
すぐ近くのはずなのに、まるで壁を挟んだように遠く聞こえる喧騒を背に、ソウはアルの名前を呼んだ。
それからしばらくソウは何も言わなかったが、何か声を発してはいけない気がして、アルは黙って彼の言葉の続きを待った。

「アルフレッド、俺、帰って欲しくないよ」

一歩分前を歩くソウの下駄が、からんと小さく音をたてる。

「この前の、三日間でも辛かったんだ。
離れたらきっと、人混みをかきわけてでも、アルフレッドに逢いに行きたくなるよ」

うまく言葉が浮かばなくて、アルはただソウの面をじっと見つめることしかできなかった。
それから互いに黙って歩いていたが、ソウは不意に空いている片手で面をとり、ふわりと笑った。

(あ……)

青い、と思った瞬間、外された面が被せられその上から───ソウの唇が落ちてきた。

軽く目を閉じた彼の顔を間近で見て、真っ白な頭の、どこか他人事の様に冷静な片隅が結構睫毛長いんだな、なんて考えていた。

「その面やるよ」

すっと離れた彼は酷く綺麗に微笑んでそう言って、茫然としているアルをそろそろ戻ろう、と先導した。
ああ、と一つ返して斜め前のソウを見れば、耳まで赤いのが見て取れた。
自分から勝手にしたくせに、とは思うけれど、からかう気にはなれない。
自分だって面に感謝してしまうほど、顔が酷く熱かった。


(……きっと)

徐々に喧騒に近くなっていくのを感じながら、アルは一つの確信に近い考えを持っていた。

(きっともう、ソウはあの場所へは来ない)

きっとこれが最後の───…

そう、彼と過ごすこの時間に想いを馳せたときだった。
後ろから子供が一人たたたっと駆けてきて、二人の横を通り過ぎようとした。
完全に前方の喧騒ばかりに目がいっていて、転びそうだなと思った瞬間、案の定彼は道の小石に躓いた。

「あぶな……」

わっ、と倒れかけた彼の腕を、ぱしっとソウがタイミングよく掴んで立たせてやる。
友達が待っているのだろう、ありがとーっと言いながら走っていく彼に次は気をつけろよ、と声をかけた時、背後でなにかがサラ…と音をたてた。

「……ソウ?」

振り返ると、ソウが仄かに光を発しながらはらはらと宙へと消えていく自身の指先を、驚いたように見つめていた。

『時々人も迷い込んで来ることが──…』

脳裏にソウの言葉が過ぎる。

「!
今のまさか、人間の…!?」

そう言っている間にも、どんどんソウの指は光を舞い散らせて宙へと消えていく。
彼はアルの言葉を聞いているのかいないのか、呆然と手を見つめ、そのままアルを見た。
そして───…

「ソ…」
「来いアルフレッド。
やっとお前に触れられる」

嬉しそうに笑って、彼は腕を広げた。

一瞬言われたことの意味がわからなくて、けれど伸ばされた手に、考えるよりも前に体が動いた。
マフラーの距離さえもどかしく走って

(やっとこいつに)

微笑むソウを、全力で抱き締めた。

ぶわ、と。
その長いような一瞬で、彼は光の塵となって消えた。
暖かなそれは、最後にすっとアルの頬を撫でていった。

『好きだよ』

(ああ…)

手に残る彼の浴衣を、アルはただぎゅっと抱き締める。

「俺もだよ」

呟くように言った言葉は、彼に届いただろうか。



しばらくして立ち上がったアルは、地面に落ちていたそれに気付くと、拾ってじっと見つめた。
彼のよく着けていた、けれど頼んでからは外してくれるようになった狐面。
最初はなんだか恐ろしかったそれは、今はただとても大切なものに思えた。


緑深い、ここは山神の森。


「……アルフレッド」

振り返ると、いくらか離れた後方の木の影に、イアルが寄りかかって立っていた。

「ありがとうな」
「え…?」
「…確かに俺達はずっとソウと居たかったが……、彼奴はやっと、人に触れたいと思ったんだな。
やっと人に」

抱き締めてもらえたんだな。

「だから俺達からお前へあるのは、感謝の言葉だけなんだよ」

それだけ言うと、じゃあな、と彼はいつかの様にひらひらと手を振って森の奥へと消えた。


そんな彼を見送って、アルも歩き出す。

狐面を見つめて、痛む胸に押し付けた。

(しばらくはきっと、この地には、この森には来れないだろう)

胸が痛んで、涙が滲んで。

けれど手に残るぬくもりも、冬の日の思い出も、自分と共に生きていく。

(また、くるから)

さあ、いこうか。



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