メイン | ナノ 自覚したのはいつだった分からない。
いや違う。いつだったか覚えていたくなった。
私はそれを知ったと同時に、それは一生叶うことのないものだと知った。
涙は出なかったし、そのことに対して怒りも悲しみも悔しさも何故かなかった。
ただ、ああそうかと納得していた。
納得していたからこそ、私はこの日を忘れたかったのだ。
だけど人間の記憶というものは皮肉なもので、忘れたいと願えば願うほど、定期的に思い出してしまうものであり、私は未だにそれを忘れられずにいた。
それを思い出すたび、私は自問自答を繰り返す。
どうして忘れられないのか。
それなりに努力はしたし、犠牲も払ってきた。年月も過ぎて、新しい記憶もたくさんある。そろそろ古い記憶は塗り替えられてもいい時期だっていうのに。
その記憶は、頭から抜けようとしたそのときに夢となってまた現れてしまうのだ。
――あの人の顔と共に。

ほら、瞼を閉じて眠りに落ちれば、また…




「ケリィ」


忘れたくても忘れられないその夢。
あの"記憶"から逃げたくて、私は無理矢理瞼をこじ開けた。
枕代わりにしていた自分の腕を解き、頭を上げる。無理矢理意識を覚醒させたせいか、身体の方はまだ起ききれていない。
そんな状態の身体に思わず眉間に皺が寄る。痺れた腕を無理やり伸ばすと、私の肩にかかっていた何かがパサリと床に落ちた。
ハッとしてその落下物を確認すると、床に落ちたそれは男物の黒いコートだった。
背筋が凍る。それと同時に気付いた背後の気配に。


「…よく眠ってたな」


鼻につく煙草独特の匂い。すぐに誰なのか分かった。
私が目を見開いて驚きを隠せないのに対し、目の前のその男は微笑んでいる。
ああ、私はまだ夢から醒めていないのか。
匂いまで分かるほど深い眠りに落ちてるなんてどうかしてる。


「ナマエ」
「…名前まで呼んでくれるなんて」
「ナマエ?」


私の知っている彼よりも幾分か老けて、少し痩せている。
視線を逸らした私に向かって不思議そうに声をかけるなんて、今までの夢の中でも一番厄介なものだ。
私は両手で顔を覆った。早く醒めないと。また忘れるのに時間がかかってしまう。


「ケリィがここにいるわけないじゃない」
「……」
「何度夢見たら分かるのよ」


瞼を閉じて、自分にそう言い聞かせながら頭を叩いた。
いい加減にして。もう、思い出してはいけないの。
彼もそのつもりで私を置いていったんだから。彼の願いを受け入れなくてどうするの。
こんなのは私の一人よがり。
もう手を伸ばしたってあの人は私の前に、


「ここにいる」
「……」
「夢じゃない。僕は今、君の目の前にいるよ」


右手にじわりと広がる温もりは本物だった。
それと同時に私の思考はいとも簡単に停止して、無意識に目の前の男と視線を合わせてしまう。
私の右手を握っている彼は私と視線が合うと、弱々しい微笑みを浮かべた。
見た目が変わってしまっていたけれど、その笑みだけは私が何度も夢に見たあの笑み。そこで初めて私の意識は戻ってきた。


「…なんで?」


これは夢じゃないと認識した途端、私の頭を巡ったのは恐怖だった。
どうして彼がここにいるんだろう。
どうして私なんかに会いにきてくれたの。
疑問が浮かんでは消えていったが、私が恐怖したのはそんなことじゃない。


「なんで、会いに来たの…っ? どうして来たのよっ」


会いに来て欲しくなった!
そう叫んでやれば、目の前の男は光のない瞳を私に向けながら困った表情をした。
受け入れたくなかった。その表情一つで全てを語ったつもりでいる目の前の男も、その表情一つで全ての答えが分かってしまった自分も。


「…僕はこのまま、聖杯戦争に参加する」
「嫌」
「アインツベルンの魔術師として、セイバーのマスターに…」
「聞きたくないっ!!」
「ナマエ…」


宥めるような彼の声。
その声も聞きたくなくて、私は握られた右手を振り払って耳を塞いだ。
聞きたくない。受け入れたくない。
彼がこれからやろうとしてることも、彼がどんな決断をしているのかも。


「私には貴方しかいないのに…っどうして来たの…っ!?」
「…ごめん、ナマエ」
「会いに来てほしくなかった…っ!!」
「……。…すまない」


彼が私をおいていったあの日。私がどうしても忘れたかったあの日。
私に残されていたのは『彼女』と彼が稼いでいた大金だけだった。『彼女』が死んでからすぐのことで、呆然と立ち尽くしていた自分を思い出せる。
忘れたかった。何も言わずにおいていかれたなんて信じたくなかった。でも彼と『彼女』がやっていた仕事をよく知っていた私は受け入れるしかなかった。…自分はおいていかれたと同時に気がついた気持ちに蓋をして。
あの日の夢を、何度も何度も見続けた。
そんな日を重ねていくうちに、私はあることに気がついてしまったんだ。

もし彼がまた私の目の前に姿を現すとしたら、そのときは――…


「会いにこなくたっていい。私はあなたがこの世界のどこかで生きていれさえすればそれでいいの…! なのに…」
「……」
「ずるい…ケリィはいつも私のことを一番に考えて、私の言葉を聞いてくれない」


彼が死を覚悟した、その時だ。


「…僕は君を泣かせてばかりだな」


いつの間にか零れていた涙を拭わず、私は両耳を塞ぎ続けた。
聞きたくない。死を覚悟した言い訳なんて。これで彼がいつ死んでも可笑しくない現実になってしまったことを信じたくない。
そう目の前のことから逃げていると、大きい腕が背中を丸める私を包み込んだ。
ああ、こうやって慰められるのも何年ぶりなんだろう。


「簡単に死ぬつもりはない。僕は僕の願いを叶える」
「…ケリィの、願い?」
「ああ。…もう、ナタリアのような"犠牲"がない理想の世界を」


搾り出すように呟かれた『彼女』の名前に、私も胸が締め付けられた。
私と彼を独り立ちできるまでに育ててくれた母親のような『彼女』。大勢の人間を救う為に死んでしまった『彼女』。
肩が揺れた私の様子に気付いているのかいないのか、彼はひたすら私の背中を赤子をあやす様に撫でてくれる。


「その願いが叶うまで、僕は死なない。死ねないんだ」


このまっすぐな言葉も、強くて低い声も、私の知ってる彼のものだ。
だからこそ、私がこうして目の前の現実から逃げてるくらいじゃ、彼は止まらないんだってことが嫌でも分かった。
だって昔からそう。私の言葉も、思いも、全部分かってるくせに彼はうまく私を宥めて、自分を貫こうとする。
――分かってる。分かってた。


「ケリィがその言葉を破ったら、私も死んでやるからね」
「それは困る」
「じゃあ絶対その言葉、忘れないでよ」
「…ああ。忘れない」


最後の抵抗に、力いっぱい私を包み込んでくれている腕を握り締めた。
私の力なんて彼のそれに比べたら非力なもので、彼は表情一つ変えなかったけど、私はもう二度と味わえないであろうそれを充分に堪能した。

数年後、このときより更に痩せた彼が会いに来てくれるのはまた別の話。


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ヒロインは島の子ということで。
私個人としてはシャーレイの妹ポジですが、お好みで。
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