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江戸中が凍える大雨の中、人通りの少ない商店街を傘を差さずに歩いていた。
今日から明日の朝までは記録的な豪雨になると天気予報で言っていたし、私だってそれに従って傘を用意していた。少し値段がはった、とびきり丈夫な傘を。…けれど結果はこの通りだ。新品だったと言うのに、雨に晒して五分もたたないうちに壊れてしまった。
今回の豪雨は特に風が強い、嵐のようなもの…というわけじゃない。風は冷たいがそれほど強くはなく、ただ凍えるような雨だった。
商店街はこの雨のせいか、ほとんどの店が開いていなかった。スーパーは開いているから、目的である買い物はなんとか出来るけど、傘が壊れた今の状態じゃ買ったものが水びだしになって終わりだ。それに、私自身がびしょ濡れでスーパーに入れる気がしない。…仕方ない、とりあえず雨宿りしよう。…この雨、明日の朝まで止まないらしいけど。


「ん、どうしたよお姉さん。びしょ濡れじゃねぇか」


雨宿りできる場所として、シャッターの閉まった店の前でしばらく立っていると、ビニール傘を差した男が声をかけてきた。
珍しいものを見るような視線でじっと私を見つめている。…それも当然か。今日は朝から雨だっていうのに、こんなところで雨宿りしてるんだから。
男の視線に応えるように、ずぶ濡れの前髪をどかしながら笑った。


「買い物しに来たんですが…傘が壊れてしまって」
「あー…そりゃついてなかったな」
「ええ、本当に。ですからここで雨宿りを」
「雨宿りって…この雨、明日の朝まで止まねぇって結野アナが言ってたぜ」
「(結野アナ…?) ええ、それも予報で聞いてます。ふふっ、困りました」
「いや、困りましたって…」


こんなところで一人、ただ雨宿りをしている私をほっとけなかったのだろうか。
男はびしょ濡れのまま笑っている私を見て、困ったように首をかく。私が行こうとしていたスーパーの袋を腕から下げているのを見る限り、彼は買い物帰りなのだろう。
こんな雨の中で買い物に来るなんて、それほど急ぎのものだったのかな。


「大丈夫です。雨が弱まったらちゃんと帰りますから」
「あそこにあるスーパーに傘売ってるけど」
「いえ、こんなずぶ濡れの状態で入るわけにはいかないので」
「…タオルとかも売ってるけど?」
「お構いなく。髪も服も絞っちゃえばいいんで。ほら」
「いやいやいやほら、じゃねぇよ!!髪を雑巾みてぇに扱ってるせいで何本が抜けてんじゃねぇか!女捨ててんのかあんたは!しかもなんだよこの水の量!洪水?洪水ですか!!?」


濡れた長い髪をまとめ、雑巾のように絞っていると、男は突然焦ったように声を荒げ始めた。確かに強く絞ってるせいでブチブチと音は鳴ってるし、長い時間をかけてここまで歩いてきたせいか大量の水が私の髪から出てきていた。
私の髪が何本かが水と一緒に地面に落ちるのを見て、ちょっとだけ某ホラー映画を思い出す。男の人も私と同じことを思っていたようで、「どこの怨霊だよあんた…俺を呪い殺す気か?」と青い顔をして本音を零している。


「気にしないでください。いつものことなので」
「いつも…?いつもそんなアホみたいに綺麗な髪いじめてんの?天パへの当てつけ?」
「なんでそうなるんですか。…こうしてずぶ濡れになるのがいつものことって言ってるんですよ」
「…は?」


男がそう首を傾げた直後の事だった。
こんな雨の中だというのに、人通りが少ないからと結構なスピードを出したトラックが道路を通る。その時、ちょうど私たちの傍にあった水たまりを通り過ぎた。
運の悪いことに、その水たまりは結構大きなものだったらしく、傍にいた私たちの全身に泥水が跳ねてきた。…とはいっても、男の人は傘を差していたおかげで下半身が濡れるだけに留まったけど。
雨水ならまだしも、今度は泥水か。これはさすがに絞るだけじゃ無理だなぁ。とりあえず汚れた服の裾で顔を拭う。


「あんの糞トラック!俺の一張羅をどうしてくれんだァァアア!!」
「ごめんなさい!良かったらこれ、クリーニング代に使ってください」
「は?…いや、なんでお姉さんが謝んの?お姉さん俺より大惨事だから。服なんてもう本来の色まったく分からないから!」
「いえ、私のせいなので。…私の不運体質のせいなんです」
「不運体質ぅ?」


財布から慌ててお金を男に差し出したものの、彼は怪訝な顔をするだけで受け取ろうとする気はないようだ。行き場のないお金を握りしめ、私は事情を話す。
私は生まれたときから不運だった。最初は本当にただ、運が悪いだけだって思っていたけれど…さすがに毎日怪しい人に絡まれたり、お金を盗まれたり、変な事件に巻き込まれたり、こうして傘が壊れてずぶ濡れになったり…とにかく、ただ『災難だった』の一言で片づけられないほどのことをほとんど毎日繰り返されている。おかげで私の周りの人間はみんな遠ざかって行ってしまった。この江戸に来たのも、故郷で疫病神扱いされて追い出されてきたからだ。
こういった雨の日は特にその体質が目立つのだ。新品の丈夫な傘を買っても、この通り何故かすぐに壊れてしまう。だからこそ、スーパーで新しい傘を買ってもどうせ同じ結果になる。


「へぇー…そりゃあ難儀な体質だな」
「本当にごめんなさい。他の人を巻き込むのは避けていたんですけど…」
「だから謝んなくていいって。俺がイラついたのはあの糞トラックであってあんたじゃねぇし」
「でもその苛立つ原因を作ったのは私です…」
「……あァー!!ったく、メンドクセーな!ちょっと待ってろ!!」


なんとかして男にクリーニング代を手渡そうとすると、彼は自分の頭を掻きむしる。そして驚いてそれを眺めていた私の手からクリーニング代をひったくると、そのままスーパーの方へと駆けて行ってしまった。
どうしたというのだろう。あのお金は、受け取ってもらえたと思っていいのかな?この豪雨でもよく聞こえた男の声に従い、何が起こるのかとドキドキしながらじっとスーパーの方を見つめる。…男が戻ってきたのは、すぐのことだった。


「ほらよ」


男は五本ほどのビニール傘を持ってくると、そのまま私に放り投げた。
落とすわけにもいかず、私は反射的にそれを受け取る。ビニール傘も五本ともなれば相当な量だ。両手が一瞬で塞がれてしまった。
なんで傘を私なんかに…そう混乱していると、子供向けのキャラクターが大きく描かれたマフラータオルが私の頭に乗った。目を丸くして男を見上げれば、彼は私の濡れた髪を拭くように乱暴に頭を撫でてきた。


「とりあえず、今はそんぐらいあれば家に帰れんだろ。タオルは濡れねぇように鞄の奥にでも閉まっとけ」
「そ、そんな!受け取れません!私が持っていても、壊れてしまうだけです!」
「俺だってそんな大量のビニール傘いらねぇよ。貰ってもらえた方が俺としては有難いんですけどねェ。ていうか、元はと言えばあんたの金でしょうが」
「そんな屁理屈……っあ!」


この人は私の話を聞いてなかったのか?
そう思わせるほど、男の表情はさっきから何一つ変わっていなかった。だいたいこの話をすれば、変人扱いされるか、距離を置かれるか、その場だけの同情を買うだけ。でもどう見ても同情してますって顔じゃないしなこの人…。むしろすごくどうでもよさそうな顔してるし…。
しばらく黙って睨み合っていると、雨音に紛れて人ではない声が聞こえた。その声が近づいてきたと気付いたときにはもう遅く、その何かに体当たりされた私は持っていた傘を地面にばらまいてしまう。


「早速二本か。こりゃ認めざる得ないな、不運体質」
「だから最初からそうだって言ってるじゃないですか…」


私に体当たりし、見事傘二本を掻っ攫っていったものの正体は野良犬だった。
このあたりでは見ない野良犬だ。この雨の中、わざわざ人間の元に突撃してくるなんて普段ではありえない光景だろう。野良犬はそのまま、ビニール傘二本をくわえ引きずり、また豪雨の中へ消えて行ってしまった。
…相変わらずの不運さで苦笑いしか零れない。私は残りのビニール傘を拾い上げる。けれど、顔を上げる元気はなかった。せっかくもらった傘なのに、やっぱりこんなことになって…。


「あんたがそう下向いてるから、運の方が逃げてんじゃねぇの?」
「え…?」
「私は不運です。だからしょうがないんです。こうやって物が壊れても、盗まれても、全部全部私の体質のせいなんです。誰も悪くないんです。……そうやって自分を卑下し続けて、目を背けて、諦めて…あんたの人生それでいいわけ?あんたがそんなんだから、不運が続いてるんじゃねぇの?」


男の言う言葉に、私は目を見開いた。
なんで、なんでこんな場所で、初めて会った男にここまで言われなくちゃいけないんだ。私はビニール傘の柄を強く握りしめる。
私だって、こんな不運体質をただ受け入れてたわけじゃない。いつかちゃんといい事はあるんだって思ってた。自分から気を付けて、いくら不運にならないように努めたって、簡単に打ち砕かれる。いつも、いつもだ。私は、諦めるしかなくて…。
初めて会う男の言葉が図星過ぎて、恥ずかしすぎて、私の身体がかっと熱くなる。


「あ、あなたに何が分かるんですか!私がこの体質のおかげで、どんな目にあってきたか…!」
「知らねぇよ。俺はあんたじゃねぇし。…でも、不運ならそれなりに体験してきたぜ」
「え…」
「少なくとも俺はそれが不運だって思ってないけどな。確かに胸糞悪い"不運"もたんまりあったが…それがあったから、今の俺がここに立ってるんだし」


でも、男はそんな私を見て嫌な顔をするわけではなく、さも当然のことのようにさらっとそう言ってみせた。
男は私に対して同情しているわけでも、怒っているわけでもないようだった。…そして、嘘をついているようにも見えない。男は、私の知らないところでどんな"不運"を背負ってきたのだろうか。


「"不運"と"不幸"をはき違えるなよ、お姉さん。不運だって受け止め方次第じゃ、幸運だったってこともあるんだからよ」


――少なくとも、今日俺に会えたのは幸運だと思うべきだぜ。
男はそう言ってニヤリと笑った。いつもならしょうもない台詞だと思うはずなのに、何故か今はそう思わなかった。何故か、とても頼りがいのある台詞に聞こえてしまったのだ。…今まで何度か慰められたことはあるが、そんなことを言われたのは初めてだ。
目頭が熱くなったことに気付かないフリをしていると、男は私の目の前に一枚の紙が差し出してきた。


「…まぁ、それでどうしても不運体質に困り果ててるならここに来い。あんたの体質を全部理解することは出来ねぇかもしれねぇが、それを知ってる人間が少しでも多くいたら気が楽になるんじゃねぇの?」


相談ぐらいにはのってやるよ。
私が紙を受け取ったのを見守り、それだけ言うと男はそのまま背中を向けて豪雨の中に消えていく。せめて名前を聞こうと声を上げたが、男は背中を向けたまま、手をひらひらと振ってくるだけだった。
お礼を言わなきゃいけないのに、私はそんな勇気もでない。こんなところでも自分の不運体質が足を止めてしまう。また、彼に迷惑をかけてしまったらいけない。
私はその場で男から渡された紙を眺めた。その紙はこの雨のせいで濡れていて、ところどころ破けかけている。かろうじて読めたのは『万事屋銀ちゃん』という文字と、電話番号と思われる数字だけ。


「……お、なんだよ。予報外れてんじゃねぇか」


もう一度男の後ろ姿に視線を向けると、彼はちょうど傘を閉じているところだった。
さっきまで強く振り続けていた豪雨がこの数秒で小雨になり、分厚かった雲からは陽の光が差し始めていた。


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銀魂アニメ再開おめでとうございます。


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