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野暮ったい熱

  …ッ

耳にしたことのないような甘ったるい声を最後に工藤は跳ね起きた。いつも見る閑散とした部屋の様子で今見ていたものが夢だという事実が明確なものになった。内容、恐ろしいくらいはっきりと覚えている。ハッキリと、だ。
夢の中には工藤ともうひとり女がいた。女は悩ましく白い肢体をシーツの上に横たえて彼を誘っていた。状況を把握しきれずに女のそばを離れようとすれば、手を引かれあっという間に柔らかな身体のうえに抱きしめられた。ばかな、と抵抗をみせてもしっかりと抱え込まれた肩口は悲しいくらい力が入らずにいる。それだけでも何も考えられなくなりそうなのに、奥歯を噛み締めながら女の顔を見上げると視界の端にはてらてらと光る唇が悪魔のように「いいのよ」と囁いたのを最後に――
工藤は回想をふりほどいて、この不始末をどう処理すべきかを考えた。…とりあえずあとにも先にも洗濯をしなければならない。立ち上がり、流しに貯めてある生活用の水を使うことに結局至って、腹のそこから息を吐きだした。
最悪だ。


その女、相手の顔も残念なことに記憶してしまっている。あの顔は見知った人間――名前のものだ。工藤は夢の中とは言え知り合いの女をそういうふうに扱ってしまったことに酷く苛立ちを覚えた。なんて夢を見てしまったんだ。くそ、クソッ! 断りをいれておくが名前はただの同級生で工藤にも惜しみなく笑顔を振りまく聖母のような少女だ。(言い得て妙だが。)しかし少なくとも彼女は夢の中のような「女」らしい振る舞いや誘惑をするような存在ではなかったはずだ。けっして。そんな人を汚しかねないことをして頭を抱え込まずにはいられない。夢の中で精を吐き出してしまうことは初めてだったが、知識としては知っていた。夢の中の対象が恋愛対象でなくとも性的なものであれば、なにがなんだかわからないままに吐き出してしまうらしいことも知っている。それでも工藤は潔癖すぎるがゆえ後悔した。




本日二度目の後悔。
「あ、おはよう」
「…!!」
夢のせいでいつもより十分ほど遅れて学校へ来たことをひどく後悔する。自分よりほんの少し早く来ていた名前が今まさに下駄箱へその靴をしまうところに出くわしてしまった。今一番顔を見たくない相手だ。
「朝から工藤くんの顔見られるなんてラッキーかも」
会わないときは全然会えないんだもん、と何が楽しいのか優しい表情を投げかけてくる。やめてくれ。ほんとうに。罪悪感のような劣等感のようで重ったるい油がドロドロと胸をつたうようだ。しかし本番はこれからだった。
「この前借りた本ね、やっと読み終わったの。帰り寄らせてもらっていい?」
たったそれだけで今日の工藤を動揺させるのには十分すぎた。
内履きに履き替えてその場から逃げ去ろうとしていた彼は段差に足をとられると、間抜けなことに手も出せずに下駄箱に強く鼻を打った。
「きゃあっ!! だっだいじょうぶ くどうくん!!? 痛いおとが、したよ!」
「…してない」
どう見ても大丈夫じゃないよう、と名前はひとりで騒いでいる。時間がずれているため、生徒たちの行き交う姿はピークよりずっと少ない。そのためか工藤たちを気にとめる者はほとんどいなかった。
慌てた名前がカバンの奥底からようやっとティッシュを取り出し、鼻先に押し当ててきたことで鉄くさい血の匂いに気づかされた。のぞきこむようにして彼女が心配そうに顔を寄せてくる。鼻から口にかけてを覆うほっそりとした白い指がこそばゆい。さわるな、かっこわるい、ちかい、という言葉が喉の奥でこくりと澱んだ。
「…っ、悪い、こんな」
様々な意味のこもった言葉を搾り出すと、名前は眉を下げて笑った。
「いいよ、工藤くんなら」
夢の中でも聞いた受け入れの言葉に背筋をぞくりと何かが撫ぜていったような感触を感じた。芯が火照る。
保健室へ行くことを進める彼女に従いながら、この場を解放されたら何が何でも帰ろうと工藤は思った。


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