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リミット

何年かに一度観測されるという流星群。今度の週末が久しぶりに空いたからと、零に一緒に見に行こうと誘われた。
そのときにたしか流星群の名称を聞いたはずだったけれど、すっかり記憶から抜け落ちてしまっている。
「この天気じゃ流星群は見られないかな」
掌を天に向けながら残念そうに隣の零が言った。観測予測日の今日は、あいにく正午からずっと雨が降り続いている。
「仕方ないな。うち来る?」

はじめて足を踏み入れたその部屋は、ひょっとすると自分のよりずっと整理整頓しつくされているように思えた。生活感はあるものの、不必要なものを一切排除したような不思議な空間だ。
招き入れられたものの、部屋の入口に突っ立ったままどうしたものかと戸惑っていると、苦笑した零がクッションを用意して促した。すこし委縮しながらそろそろと座り込む。
視線が低くなると目に入るものも自然と増える。目ざとくも、机の下に抱えるくらい大きな黒い箱を見つけてあれは何と聞くと、零は顔を明るくして答えた。
「家庭用プラネタリウムさ」
あんまり楽しそうに言うので――零が楽しそうなのはいつものことだけれど――ついつい魅かれて微笑みかえしてしまう。
部屋へ招いたのもそれが目当てだったらしい。物々しく箱の中に手を差し込むと、軽く埃をかぶった黒い球が姿を現した。
「宇宙船みたい」
何気なく口にすると、「俺も買ったときそう思ったんだ」と、頭上からニコニコと光線が降り注ぎはじめた。
「消すよ」

カーテンと消灯で夕方の部屋はあっという間に薄暗くなる。
暗い中、影が動くと、かちり、音とともに部屋が夜空に変わった。

「わっ、きれい」
「だろ?」

肩を並べた二人が、部屋の中央で天井を見上げている。
「この辺りでも真夜中ならこのくらいの空はみられるんじゃないか?」
「どうかなぁ。高層ビルの灯りも届きそうじゃない」
たわいもないことを疑似夜空のもとで話していると、彼女はそのうち疲れたと言って仰向けに寝転がった。どうやら首を傾げ続けていて軽く痛めたらしかった。

「スカートの裾めくれてるよ」
零は苦笑して、彼女の格好をたしなめる。
「えっ、やだ やらしーな零」
寝転がったせいで夜空の景色に追加された零の影をはたく。裾に手を伸ばすと、少しよれてはいるものの、めくれてはいなかった。
「…」
「ははっ」
無言の訴えをなげかけると、やけに渇いた笑い声が部屋に響いた。いつもと微妙に違う声に違和感を覚える。

『どうかした?』
なんて、声をかけるのがなんとなしに憚られた。いつもなら軽く口をついてでるはずの言葉すら容易に出せない。

急にこの場を支配する空気がごっそりと入れ替わったような。
こわい。

いま目の前にいるはずの、うかいぜろが、こわい。

「そろそろ電気、つけよっか」
情緒など捨て去って飽きた風に提案したつもりだったが、微妙に声はうわずった。雲上人の宇海零はそんな些細な動揺すらも見逃さない。
「どうした?」
「な にが」
問い返しながら、圧迫感から逃げ出したくて思わず部屋の扉の方を見た。
それがまずかった。

肩と背中にほぼ同時に鈍い痛みが走る。後からは遅れてぐわんぐわんと頭が鳴っている。反動で頭をカーペットの上に打ったようだ。ぎりぎりと肩はもっと痛みが増す。今までされたことのないような暴力はただただ恐ろしかった。
目の前の人はいつもの理性と智にあふれた雲上人じゃい。
自分が知っているかわいい笑みを浮かべる宇海零じゃない。
もっと恐ろしい純粋な暴力で征する獣のように、彼女は感じてしまった。

男だったのだ。
宇海零は男の人だったのだ。

そんなふってわいた結論に、彼の正体を確かめて安堵しつつも、それでも目の前の彼が恐ろしくてたまらない。
かつてそんなことを微塵も考えたことなんてなかったからだ。零は絶対に自分を守る盾になりえても、自分に牙をむけるような反逆者ではないと。
互いにもう子どもじゃないことなんてずっと前に知っていたはずなのに。

覆いかぶさった零は見せかけの夜空を背負いながら、彼女の肩口にゆっくりと顔をうずめる。視界いっぱいに星々が広がった時、それまで恐怖で絞り出せなかった言葉をやっとの思いで口にすることが出来
「ごめんなさい」
一度口をつけば、もう止まることはなく。

「ごめんなさい、ごめんなさい零…」
知っていたのに、知らないふりをしていてごめんなさい、と。



何度かうわごとのようにその言葉を繰り返した。

気がつくと零は体をおこしてじっとこちらを見ていた。

「冗談だよ」
「え?」
「だから冗談」
わけがわからずに彼を見上げると、零はいつもの零だった。
「あんまり君が無防備だったから、ちょっとね…」

目頭と頬のあたりが一気に熱くなって、そばにあったクッションを咄嗟につかみ、零の頭を思い切りはたいた。
力をこめてふりかぶったつもりだったが、ぽふんという頼りなさげな音とともにクッションは手を離れ落ちた。

「零のバカ!!!」

ふって力がわいたようだった。
立ちあがり、ドアノブをひっつかんで廊下に出、靴もまともに履かずにかかとを潰したまま玄関から外へ飛び出した。
零は追いかけてこない。
零の部屋に面しているであろう窓を見ると、まだカーテンは閉め切ったままだった。



彼がなしたかったことなんてとっくにわかっている。
冗談なんかじゃない。冗談じゃないけれど、零はそうなることを計画して私を逃がした。しかも私にちゃんとそれを自覚させて。
もう奪われることを恐れるだけの子どもじゃいられないらしい。


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