ある男子生徒の証言
ええ、その日の朝はいつも通りでした。オレも普段と同じように始業のベルの鳴る数十分前には教室についてたんです。…あたり前じゃないですか、だってオレたちのクラスにはとんでもないヤツがいるんですから。わずかでも後れをとらないためにはオレの場合、毎朝早く学校へ出向いて勉強するくらいしかなかったんですよ。
それで、ともかく机に向かっているうちにクラスの奴らもまばらに登校してきて、名前も顔を見せたんですけど、席に着くなりやけにそわそわしだして様子がおかしいなとは感じてて…オレの位置は教室後ろの入口に一番近いところだったから、教室全体が見渡せて、それで気になってしばらく手を止めて彼女の後姿を…見てたんです。彼女はどっか落ち着かない感じでノートを引っぱり出したりしまったり、シャーペンをカチカチいじってたりしてたんですが、始業間際になって、ぱっと顔を、上げたんです。
オレ、それ見て先生が来たのかなってつられて顔あげたら全然違くて、大嫌いなあの…ヤツの声が耳に入ったかと思ったら前側の戸が開いて、宇海が入ってきたんです。まあ、同じクラスだから当たり前なんですけど。すげえ機嫌の好さそうな顔で。そしたらまっすぐ彼女のこと見つめて、教室を静かにさせるくらい通った声で「今がいいな…!」って言って。おかげでクラス中の視線が名前に集まっちゃって、後ろからでもわかりましたよ、すげえ彼女赤くなってるの。いい迷惑じゃないですか。オレが苛立って、なんか言ってやろうと立ち上がるのと同時に、宇海と目が合ったんです。
それであいつどんな顔したと思います? にっこり笑ってんですよ。いつもみたく。でもその顔も彼女に一度向けられればすぐに剥がれて、なんか大事なもの見るみたいな穏やかな目に変わってて、一気にこう、何もかもヤツに負けたような敗北感に襲われました。
宇海はそのまま彼女のとこへつかつか歩いていって手を握り締めたと思ったら、その手を掴んだまま引っ張るようにしてオレの方へ向かってきて、言うんです。「先生にうまく言っておいてくれないか」って。その時の宇海の顔、これまたこれでもかってぐらいキラキラしてるって表現が似合ってましたよ。あいつ頭いいけど、それを鼻にかけるわけでもなく普段から誰に対しても同じ目線で、優しかったし気が利いたし、笑いかけてたけど、宇海のあんな少年みたいな顔、はじめて見て…すごく、驚いたんです。なんていえばいいのか、やっぱり天上人って言われてるようなヤツも立派に人の子なんだなというか…。
彼女と宇海は連れだって教室の後ろから出ていきました。彼女、最後まで困惑してたみたいですよ。「え、えー!?」って言ってるのが教室から遠ざかっていきましたし。
そのあと一時間目の授業中に手のひらに押し込んでたメモ用紙を開きました。あ、宇海に、オレの脇をよぎるときに握らされてたんです。それ、よく中学の時に女子が回してたようなかわいいデザインのメモで、端っこには靴入れにでも入れてたのかパラパラ砂がついてんです。メモ欄にはきっと彼女のだと思う凛とした字で『仲直りする機会がほしいです 空いた日があったら教えてください』とかそんな内容でした。
どうってことないやりとりのハズなのに、浮かれてる宇海が…そんなもので牽制してくるヤツがこんなに子どもなところも持ってるなんてホント、驚きですよ。
ほんと…ほんと、敵わないなって思いました…
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