Index

解凍を待ってます

それは俺が委員会役員の仕事を終え、日も暮れてしまった頃の時分だった。
人のいない教室を鞄をひっつかんであとにする。廊下は綺麗に染まっていて、しばし何気なくそこに立ち尽くした後、身を返して昇降口へと向かう。階段を降りているところで、踊り場で見知った顔が一瞬スッと見えた。思わず駈け下りようとした足を引っ込め、そろそろと忍ぶように、それでも彼女に追いつくぐらいの歩幅で後を追う。
一階へ降りれば昇降口はすぐそこなのだが、彼女はすぐ帰るつもりではないらしく手にプリントを抱えている。おおかた先生に印刷でも頼まれたのだろう。あの子は真面目で雑用だって嫌な顔一つせずこなすし、人からの信頼に篤いからな。
無防備な彼女まであと4、5歩くらいに距離を狭めたときぽつぽつと彼女が何か呟いているのが耳に入った。呟きに混じって時折ため息が聞こえる。彼女のそんな弱音を吐いているようなところなんて見たことが無い。悪いとは思いつつ好奇心から耳をそばだててしまった。

「ちくしょう、すきだ」

何が、と口をつきそうになったが堪えた。捉えられた声はか細くてひどく悔しげだった。彼女を悩ませるものが羨ましくも憎くも感じられ複雑に思っているところに、耳を疑うワードが発せられた。

「うー…ぜ、ぜろー…零、零く、ん」

驚いて思わず鞄を落としそうになった。尚も彼女は俺の名前をすごく小さな声で恥ずかしそうに何度も呼んでいる。あの子にはこのかた「宇海くん」としか呼ばれたことがなかったはずだ。それが、どうして。なんで、零って。いきなり。
動作を停止した体の代わりに目まぐるしく思考は働く。それでも軽くパニックを起こしている脳は正常に動かなかった。
そうこうしているうちに彼女は印刷室の中へと消えてしまった。ようやく俺はそこでよたよたと壁にもたれることが出来た。ずるずると廊下に座り込む。
ひとり言の前後から辿りついた答え。

あの子も、俺が、好き。

頭の中でもう一度反芻してみるとなんだかこそばゆくて、顔がボッと熱くなった。
うわ、なんだこれ…! 熱すぎてしにそうだ。
火照りをおさえるために窓を開けて顔を突き出す。涼しい風が頬を打ちつけた。
答えが出た以上すべきことは決まっている。
俺は胸を叩いた。

「宇海くん」
呼びかけられて振り向けばプリントを両手に抱えた彼女が佇んでいた。
「どうしたのこんな時間まで」
「委員会の仕事が長引いてさ」
笑顔を取り繕うと彼女は不思議そうに首を傾げた。
「あのさ」
プライドの高い彼女からは絶対に言わないだろう。
それだけじゃない、聞いてしまった重みがある。
フェアじゃない。
だったら俺から言わなくちゃならない。

「付き合ってくれないかな、俺と」

答えが分かっているとしてもそれはひどく曖昧でしかない。
昂ぶる音とは裏腹に平常時の自分を装って、言った。言った。

目の前の彼女はプリントを抱え直して、顔を隠すように、それでもしっかりと頷いてくれた。




「零」
「なに?」
「話聞いてなかったでしょう」
「うん」
「やっぱりね」
用件は何だったのと問えば、「もういい」と淡泊な返事。
呼び名が変わった今でも素気ないな、と零は肩を竦めた。
「ごめん、もう一度言って?」
視線を変えた彼女の前に回り込んで顔を覗き込めば、ふうとため息をつかれた。
「零はどうして私と付き合ってるのかなって訊いたの」
「決まってるじゃないか。好きだからさ」
「零はよくそう言ってくれるけど」
そう言って口ごもる。
「…私は愛情表現なんてほとんどしないし、第一かわいくない」
何言ってるんだ、俺に関してのことで悩んでくれるそのどこがかわいくないって言うんだ。と、零は思う。でもそれ自体は口には出さず、
「そうだな、あえて言うなら……一度、ものすごくかわいい姿を見たからかも」

このエピソードを本人に話すことになるのはたぶん、彼女が解凍しきってから。


-26-
目次



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -