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バリケードが歪んだ日

「誕生日おめでとう 涯くん!」

夏休みの補講最終日。その日の授業を終えて帰り支度をはじめていた涯の元へ、後ろ手に抱えている何かを隠す気もさらさらない様子の名前が駆け寄ってきた。あからさまなほどに期待のうかがえる名前とは対照的に、涯はにわかに目を細めて怪訝そうな顔で名前を見つめた。

補講授業は午前で終了したため、当然まだ陽は出ている。校門を抜けると、ゲーセンへ向かう集団やそのまま直帰する面々などとすれ違う。なんら普段と変わり映えのしない眺めに涯は嘆息し、歩みを緩めることなく、後ろへついて歩いてくる名前にありのままを伝えた。

「ええ!? 誕生日…じゃない!!?」

予想していた通りのリアクションだった。

「え? え? どういうこと?」
「そういうことだ」
「ごめん、涯くん、全然わかんない…」

涯が振り向くと、名前はひどく落胆した様子で立ち止まっていた。言い得て妙な光景ではあったが、わずかにその顔は青ざめ怯えているようにさえ見えた。
単に誕生日が間違ってただの、くだらないことでこんな風になるかよ、と涯は僅かに苛立つ。

「俺の誕生日なんて、そもそも無いってことだ」

名前は宣告を受けたかのようにますます顔を曇らせるばかりだった。

「どこまでついてくるんだ」

結局、涯の家の前まで、二人連れ立って帰ってきてしまった。それまで終始無言を決め込んでいた名前も、ぼそりとつぶやく。

「だってまだプレゼント渡せてない」
「いるかよ、そんなの」
ピシャリと躊躇いなく言ってのける。
「でも」
「いらない。帰れ」

さも、俺は怒っているのだと知らしめるように涯は声を低くして、ボロアパートの中へ、一度も振り帰らずに引っ込んでいった。

部屋へ入るなり涯は、隅へ鞄を放って畳の上に寝転がった。本を読む気にもならない。こんな昼間から眠ることは、いつもなら空腹を紛らわすための行動だったが、いまは何も考えずに眠ってしまいたかった。しかし、それでも否が応にも思考は働く。
どうして名前が自分の誕生日を知っているのか。この誕生日は施設で"定められた"日であって、自分が本来生まれた日ではない。わからないのだ、わかるはずもない。生まれてすぐ両親には捨てられたのだから。
しかし、その誕生日を知っていたということは、名前はあの施設を訪ねたことがある、という事実に他ならない。他の場所でどうやって知るものか。外では誰にも教えたことなどない。

どうして行ったんだ。どうして。見られたくなかった。自分が育った場所を。
勿論、あそこを出るまで自分を教育し、施しをしてくれた環境や人には感謝している。いい人たちだった。しかし、所詮はイイヒトでしかないのだ。彼らとはまるきりの他人であって、決して家族になどなれやしない。誕生日なんていう記念日を造って、家族ごっこに興じているようで堪えられなかった。彼女に祝われたことで、同じような行為を繰り返されている錯覚がした。
友情ごっこ。
つまり、そういうこと。
血の繋がりという、切っても切れない濃いパイプを持っている彼女と、細い蜘蛛の糸ほどのニセの繋がりしか持っていなかった自分との差をまざまざと見せつけられたかのようで苦しくてたまらない。現に、施設を飛び出してから、呆気なく糸は千切れたじゃないか。

そこまで思考してしまって、涯は目を開けた。寝ようと思ってもどうにもならない。どうにも変に考えすぎてしまう癖がある、と涯は自嘲する。いくら誕生日が嫌といえど、それを彼女に当たるのは間違いだし、こんな小さなことで苛立つ自分もまだ子供から抜け出ていないのだな、と思案した。

「とどのつまり、素直に受け取ればよかったってことか」

ごろりと寝がえりを打つ。と、同時に廊下側から床の軋む音がした。はっとして顔を上げる。

「…もらってくれるんですか?」

戸を開けると、今にも泣きだしそうな名前がそこに立っていた。

名前を部屋の中へ招き入れて座らせると、涯もまた正面に回って座り込む。

「なんでそんな、泣きそうになってんだ」

どう声をかければよいかわからずに、やっとそれだけ絞り出すと、それが口火になってしまったのか、ぼろぼろと名前が泣きだした。ぎょっとして慌ててタオルを差し出す。名前は受け取ったものの、涙を拭おうとはしない。タオルを膝の上で握り締め、唇を噛んで意地でも自力で留めようとしている。

「な、ないたりして、ごめ…うざいよね、こんな小さなことで。本当、涯くんには迷惑しかかけてなくて嫌になっちゃうな…」
「いや…俺もさっきはキツく言って悪かった。すまん」
「ううん。だって涯くんに断り入れずに、勝手にホーム行ったりして、詮索して、嫌だよね、ごめん。そこまで気が回らなかった」
「あ? いや、そんなことは怒ってないんだが」
「でもホームの人たちすっごく涯くんのこと色々教えてくれて、だから何度か行くうちにますます知りたくなっちゃって…」
「な…名前??」
「お話聞くうちにホームの人たちが涯くんのことすっごく心配してること伝わってきた。でも同じくらい信頼してた。羨ましくなっちゃった。わたし、涯くんのこと誰よりも知ってて、想ってる気になってたけど、それって学校の中だけの話だったんだ…って」

まるで涯の声を聞こえないようにして、堅く目をつむりながら息継ぎも忘れて告白する名前を、涯はただただ見つめることしか出来なかった。

「以上、言い訳です! …涯くんの知らないところで詮索すべきじゃなかったです、ごめんなさい…!」

そこでやっと、名前はタオルで顔を覆った。
声すらも洩らすまいと抗うかのようにぎゅうぎゅうに顔に押し付ける姿を見て、場違いながら涯は、内側が急激に満たされていく感覚を味わっていた。

「なあ、それ、まだ貰えるか」
「えっ…はい! どうぞ受け取ってください!」

間があったものの、次の瞬間には俊敏な動作で包みを差しだしてみせた。同時にタオルが膝の上に落ちて、目元を真っ赤にさせた彼女の顔がのぞく。
「まだ…祝ってもらえるか?」
素直に謝ることが出来ずに、それでも伝わるように言葉を選んだ。

「はい! よろこんで!」

さっきまで泣いていたのが嘘のように表情を晴れ渡らせて、名前は答えた。心なしか言葉づかいもおかしくなっている。

「それから頼みがあるんだが」
「なんなりとどうぞっ」
「あとで一緒に施設に挨拶行くのについてきてくれないか」

恥ずかしいから、と続けた涯に、名前は満面の笑みで答えた。


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