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緑の目があいくるしい

 シーザーが名前を自宅に引きこんでから決して久しくはない。だというのに、しばらくぶりに顔を合わせたスージーQには「すっかり所帯染みちゃった?」と開口一番に笑われてしまった。それを言うならとっくに結婚した彼女の方がずっと相応しくなっているはずである。名前は少しむくれたが、スージーQはちっとも意に介した様子も無く、開けたばかりのワインで頬を染めている。空になった安物のワイン瓶の数々はテーブルの上だけでなく、子供がバスルームまでの道のりに点々と服を脱ぎ散らかした後のように存在を主張していた。段々とお値段の高くなっていくワイン。その足跡はドアを開け放した隣の部屋にまで続いている。
 いやでも聞こえてくる酔っ払い二人の騒ぎ声に遠い目をしつつ、名前はフォークの先にファッロスパゲッティを絡めて弄ぶ。
 うふふ、と酔っ払っているのも相まってか、いっそう楽しげに顔を綻ばせるスージーQは本当にかわいいな、と名前は思った。やっぱりジョセフが彼女と結婚したのも頷ける。一人で納得し、頷き続ける名前もまた例にもれずひどく酔いが回っていた。安物はどうも早くにつぶれてしまう。かといって高い酒は男衆がこぞって空にしてしまった。あれは安い高いどうのでなく、単純に量をかっ食らった所為に違いなかった。

「もういっそあの二人結婚したらいいんじゃあないかしら」
「あら、じゃあ名前は誰と結婚するの?」
「スージーに決まってる」
「やぁだ、名前ったら面白いんだから」

 彼女には一笑に伏されたが半ば本気だったことは黙っておくべきだろうか。男は男同士、女は女同士つるんでいた方が存外世の中は平和に巡りそうな気さえしていた。愛だの恋だのが絡まなければこの世は一等に美しいものに変わりそうだ、と。
 実際名前は本人達に吐露したことはないが――いっときに、わだかまっていた感情とはいえジョセフやスージーQによくないものを抱えていたことは本当だったし、情けないくらいに落ち込んでいたから。
 でも同性同士が結婚するようになったら、それはそれで嫉妬や憎しみの対象が変わるだけなのかもしれないわ、もしくは結婚という言葉の意味が変わるのかも。中国ではたしか、信頼関係を築いた強固な友人とは盃を交わして"兄弟"になるだとか聞いたことがあったし、そういうものに成り替わるのかもしれない、と。名前は自分でも半分どうでもいいことに考えを張り巡らせながら、スージーQが作ってくれたマリネを口に運ぶ。

「私ってシーザーのこと好きなのかしら」
「んん?」

 ここ数週間に及んでいた疑問を、名前は初めて口にした。
 酔いの所為でいいや、もう。
 あっさりと心のタガが外れかける。

「シーザーが私を愛してくれてるから側に居るだけなのかも。シーザーが他の人を好きになったら私の彼への興味はきっと削げるわ」
「名前って小難しいこと考えるのねェ」

 しばしスージーQが唸った。彼女が悩むときに眉尻をさげるのを、名前は再びやさしい目で見られるようになっていた。

「よくわからないけれど、名前は何が不安なの?」
「私が利害から恋をした気分になってるかもしれないってこと」
「えっ、恋ってそういうものじゃない?」
「えっ」
「うん」

 名前は生まれて初めて、純朴だと思っていた彼女が小悪魔に見えた。
 『そういうもの』とはつまり『どういうもの』なのだろう。
 小首を傾げた名前の、テーブルに置かれていた手の甲をスージーQが掴んだ。

「ねえ、名前は彼に触れたいって思う時はある?」
「……ある」
「それって時々? それともいつも?」
「うーん、どうかしら。無性にそうしたい時もあるし、近づかないでって時もあるの」
「私だってそうよ。くっつきたい時もあれば、顔も見たくないって時もあるもの」
「でも、それはジョセフとスージーが一緒に暮らしてるからでしょう」
「あなたとシーザーだってそうじゃない」
「え? ん、うー、違う。ちがうのよ。それとこれとは」

 いまいち言葉が上手く伝わっていない気がして、名前は頭をかいた。スージーQの抱えているであろう『愛』ならともかく、名前の知る『恋』とはつまり相手に対して盲目的になることだった。こうして余分な事を考えずに純粋に「好きだ!」と胸を張れる瞬間が一向に訪れないので頭を抱えているのだ。
「理屈かしら。理屈じゃないのかしら」
 頬杖をついたスージーQは機嫌よく微笑んでいる。
「最初はそれでいいじゃない。先は長いのよ。どう転ぶかなんて誰も知らないんだから。これからよ」
 酔っている所為もあって、言語を上手に回せたかは甚だ疑問が残ったけれど、不思議なことにこの最後の台詞だけはストンと胸の内に落ちてきた。


「ねえシーザー、ジョセフもスージーも二人とも帰っちゃったよ」
 千鳥足だったから泊まっていってくれても一向に構わなかったのに、スージーQは無理にジョセフを叩き起こして帰宅してしまった。大の男二人が盛り上がった後のリビングはカーペットが歪んでソファにはワインの染みが出来ていた。
 とりあえず後始末は明日起き直してからとりかかることにし、名前は寝転がったシーザーの両頬をぺちぺちと叩いてみた。くぐもった声。酒臭い。身を捩る彼。のぞく素肌が赤く染まっている。服には合間に飲んだのだろう、水が零れてしまっていた。
 シーザーがここまで酔ったのをはじめて目にしたかもしれない。名前は好奇心から彼の顔にぐいと近づいて改めて顔立ちを観察する。余程眠たいと見え、さっきから起きようと頑張ってはいるらしい睫毛がふるふると震えていて、雨ざらしに捨てられた子犬のイメージがかぶさった。

「シーザー」

 まずは濡れた服を取り払ってやって、体を拭いてあげなくては。それから、その間に溜めておいて準備する、温かい湯船に入れてあげよう。その頃には彼の酔いも醒めたころだろうから、やわらかい髪を綺麗に洗ってあげようじゃないか。
 無性に、いまはとびきり甘やかしたいと思った。


 今はまだ一方的でしかないかもしれない。最初は自己本位でも、まあ、いいかもしれない。そこからはじまるかはきっと私たち次第だ。


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