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臆病者たちの反語法

 花京院くんはよくわからない男の子だ。
 だって私のクラスへ転校してすぐに一カ月ちょっと行方をくらまし、年明けに姿を見せたかと思えば纏う雰囲気がガラリと変わっているような人なのだ。何年も一気に老けこみ、悟ったような。
 初めて見た時――教卓の向こうで担任が彼を紹介した時。クラスの女子は誰しも友達になりたいと思っただろう。すらりとした体から伸びる長い手がチョークを握り、緑の地に達筆な文字を描いた。
「花京院典明です。よろしく」
 かきょういん、のりあき。
 私は頭の中で彼の名前を反芻した。むつかしい名前だな。気取った感じがする。名が体をあらわすのか、彼が名前の通りに育ったのかはしらないが、品のある印象を受けた。だけどその一方でこことは違うどこか遠くを見ているような、冷たい目をしていた。


 帰って来た花京院くんは3年生の札付きのワル、空条さんとしばし一緒に見かけるようになった。噂では空条さんも花京院くんと時期を同じくして姿を見せなかったらしい。その短い期間で二人の間に何かがあったことは明白だのに、誰もその空白の出来事を知らないようだった。
 「そもそも学年が違うのにどこに接点があるんだろうね」「空条先輩は授業だってサボっちゃうような人なのにどうやって知り合いになったんだか」まったくだ。花京院くんがそういうちょっと恐い人と付き合うような人だとは思っていなかった。
 最初はちょっぴりショックだなあ、というくらいで彼を見ていた。でも、めったに笑顔を見せない空条さんの隣でさわやかに笑む花京院を見ているうち、二人の関係はとても澄んだ信頼によって結ばれているのだと感じるようになっていた。
 羨ましい。男の友情ってやつなんだろうか、と思った。

***

 いつものように友達とお弁当を食べようとした時のこと。他の友達は委員会や係の仕事が重なってしばらく席を開けることになった。4つ机がくっついた中、私は玉子焼きを箸に掴んで……戻した。すぐに戻ってくると聞いていたし、皆が来たら一緒に食べようと思ったのだ。
 しかし何もすることもなく暇なので、代わりに机の下からペンケースと漢文のノートを取り出した。さっきの授業で懸命に写した訳に混じって、なんとなしに描いた落書きがある。
 美術の授業で強制的に描かされるきちんとした作品より、授業中の落書きの方が何倍もマシに思える。この謎の現象に名を付けるなら何と呼ぶべきなのだろう。
 くるり。指先でシャープペンシルを回して続きを描いた。黒の細い線が伸びやかに描けた、と感じる瞬間は快感だ。がりがりと尖った芯の先を押しつけて、私は満足した。
 教室の時計はまだ5分そこらしか進んでいない。友達もまだもどってこない。
 私は息をついて、席を立った。


 お気に入りのハンカチで手を拭いながら、教室の中へ入ろうとした。
――あっ。
思わず立ち止まって戸口のところから自分の席を見る。
 花京院くんが私の机を覗きこんでいた。腰の後ろで手を組んで、長い胴を屈めて見下ろす先には言わずもがな、私のつたない落書きが広がっている。
 しまった。見られた。
 動揺ですぐに動けなかった。私の目は花京院くんに釘付けだ。視界が狭い。周囲で談笑しながら昼食をとっている他の女子、男子のグループを自然と目がかき分けている。
 花京院くんも動かない。まだじっとノートに目を落としている。
 そんなに長い事凝視するような絵でもなかったし、私もそんなに意識すべきではなかった。でも花京院くんは現実に、机に友達が帰ってくるまで私のノートに目をやっていたし、私もなぜだかどうして教室と廊下の境に突っ立っていた。

 今にして、この謎の現象に名を冠するならば。
『これがキッカケにならないわけがあろうか、いや、ない。』
 頭の中は仰々しい漢文の文法でいっぱいだ。

 それからのことだ。花京院くんと私の奇妙な『品評会』がはじまったのは。
 休み時間、描いた絵を机の上にそっと広げて私はそっと席を立つ。5分ほどして戻ると決まって花京院くんが私の机のそばに立って何気なく紙を覗いている。そうして次の授業担当の先生がやってくる頃には颯爽と自分の席に戻る。私はチャイムぎりぎりに慌てて駆けてきた素振りで着席する、というのがこの品評会の一連の流れだ。
 自分でも少し気味の悪いことになっているな、という自覚はあった。
 彼が前かがみになって垂れる前髪を斜め後ろから見るたびに、何がそんなに花京院くんの興味を惹くのか純粋に聞いてみたい気持ちと、絵ではなく私に興味があるのかしらといい気になっている自分がせめぎ合っている。
 けれど問題があった。私と花京院くんは一度として会話を交わしたことがないのだ。
 落書きを覗いている花京院くんに話しかけようと過ぎったことも勿論あった。でも元々男子に積極的に話しかけるタイプでもない私にはとても無理だった。何より私の絵を認めてくれているかもしれない花京院くんとの品評会の機会を失うと思うと怖く、これを続けていれば彼の方からいつか話しかけてくれるのではないかとほのかな期待があった。
 だけど花京院くんが私に気付き、振り向いて「名前さんの絵、すてきだね」なんて言葉をかけてくれることはなかった。


「ちょっと、名前なにしたの?」
「なにが?」
 口をとがらせながら小突いてくる友達に問い返す。今は次の休み時間に公開する落書きを生産するのに忙しいのだ。
「空条先輩が呼んでるんだけど…」
「ええッ!?」
 がたり、椅子を鳴らして立ちあがると、廊下の方に女子の人だかりができていた。背の高い男子生徒の姿が見える。紛れもない空条承太郎だった。
 そうとう機嫌悪そうだよ、と肩を叩かれた私はひきつりながら先輩様の元へ向かう。ぎくしゃくと動く膝に油をさしてやりたいくらいだ。
 大丈夫、何も悪いことをした覚えもないし。言い聞かせながら彼のそばによると、モーゼの海割りのようにザッと女の子たちが引いた。すごい、統率がなっている。ファンクラブかなにか。
「…てめーが名前か?」
 学帽の下から覗く目がギロリと動いた。
「はい、名前…です…」
 引きつる頬をやっとの思いで動かし、返事をする。
 空条さんは呆れたようにため息を漏らしたあと、おもむろに何かを突き出した。長方形の紙きれに、周りの女の子たちがきゃあきゃあと声を上げる。見ると、それは市の美術館でやっている企画展の招待券だった。
 突き出されたチケット、空条さんを交互に見る。微動だにしない彼の様子を見る限り、私がこれを受け取るのを待っているのだろう。
 謎だ。一体何なのだこれは。迷いながら受け取ると、空条さんが
「明日の昼一時にそこへ来い」
とだけ言って踵を返していった。

***

 翌日は学校も休みだった。
 私はというと。馬鹿正直に美術館の前に居た。時間は指定された30分前には来てしまっていた。友達はデートだとはやしたてていたが、空条さんが私を好きになる道理も、ましてや知る機会などどこにあったというんだ。何かの罠には違いなかった。でも一方的とはいえ約束を破る度胸もない。私はどこまでも臆病者なのだ。

 ところが約束の13時を過ぎても空条さんは現れなかった。
 それどころか空はあっという間に翳り、雨が降り出し始めた。服が濡れてしまうので建物の中に入って雨宿りさせてもらうくらいは構わないだろう。スカートに雨粒が染みないように手で払った。
 受付のお姉さんと目が合い、居心地悪く会釈をした。すみません、まだ入るわけには。まだ待ち人が来ていないんです。
 休日だというのに人気のない企画展なのか、人は異様にまばらだ。都市部の美術館ならまだしもこの辺りの土地柄を考えると仕方ないのかもしれない。並びに並んで人混みに圧されながら鑑賞するよりはよっぽどいい。
 財布から招待券を取り出してにらめっこしていると、後ろの自動ドアが開閉する音がした。空条さん、だろうか。
 ちがった。花京院くんだ。
 彼もたまたまここを訪れたのだろうか。なんという偶然。
 びっくりした私が花京院くんを見ていると、あろうことか彼は真っ直ぐに私をとらえて微笑んだ。
「行こうか」
「え?」
 花京院くんは反応できずにいる私の手から招待券を取りあげて、受付に渡した。いつのまにか招待券が二枚に増えている。え? 花京院くんも自分の招待券を持っていたの?
「花京院くん…わたし、空条先輩と約束してて…ええー…と」
「承太郎は来ないよ」
 なにがなんだかわからない。
 花京院くんに渡されたパンフレットと作品一覧をぼうっと眺めながら、はじめて彼と会話をしている自分に気付いただけだ。
「名前さんの絵の感じだと、こういう画風が好きかと思ったんだ」
「そう、かな」
「………」
「………」
「名前さん」
「――ッ!」

 息が死んだ。"理解した"。
 『こういう画風が好き』『名前さんの絵の感じだと』。私の絵の感じだと!!
 声にならない叫びが身体の内側を駆け抜けていく。頬が火照る。
 花京院くんは知っていたのだ。私が彼を見ていたことを、見られていたのを彼は知っていた。知っていながら素知らぬフリで私をここへ招いたのだ。
 ぜんぶぜんぶぜんぶ。見透かされていた。
「ごっごめん! きもちわるくってごめん!!」
「な…ッ、名前さん」
 雨の降りる外へ逃げ出そうとしたのに、シィーッと花京院くんが人差し指を唇にあてて制する。人の少ない美術館内に私の馬鹿な叫びは反響していたようだ。さっきとは別の意味で体が熱くなる。
「いや、それを言うなら僕だって…お互いさまだ」
 そう言って花京院くんは声をひそめながら微笑んだ。睫毛を重ねて笑むさまは優しげだ。私は彼のその優しさに触れてほっとしかけ――気がついた。
 私は知っている。この面の下には底の見えない謀略家の一面を隠し持っているのだ。『見られている』のを知っていながらわざと見せつけ、私をここに至らせるのも友人の手を使ってまで。そこまで手順を踏んだのは気恥かしいから? それとも意地が悪いから? どちらにせよ、だ。結果的に私が彼の手のひらの上で転がされた事実には変わりない。なんてずるい! ずるい、ずるい!

 ああ! それでもどうして、この人に惹かれずにはいられないんだろう!

リクエスト「DT院と処女っ子の話(非エロ)振り回される承太郎」


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