年上の彼女
年を重ねたからと言えど誰もかれもが慎みを学ぶわけではない。
承太郎がことさら感ずるようになったのは名前という人間に出会ってのことだったか。
彼女は承太郎よりいくぶん年上で、掴み難く、気だるさを抱えた女だ。しかしその正体を知る人物は随分と限られる。彼女を知る生徒の間では真面目に委員長をこなしてくれるような、そんなポジショニングなのだから。
おまけに年上のくせして承太郎のことを「さん」付けで呼びたがるよく分からない奴。
授業に顔を出す気などさらさらなかった。学校を出てどこに行くかと、廊下を歩いていた脚をとめ、かけられた声のほうへ振り返る。改めて確かめるまでも無く名前だった。
そこに居るのが体面通りの彼女だったならサボりを咎めるくらいの声かけこそしただろうが、あいにくと授業中だ。周りには彼女を取り繕わせる視線は存在しない。私も行くから連れてって、とにっこりと笑みを作った唇の前には清廉さを主張するための制服もあってないようなものだった。
腕に身を寄せてくる名前を膝に蹴飛ばすと、うわあひどい、と非難をしのばせつつの笑顔。本当によく分からない女なのだ、名前は。うっとうしいと怒鳴りつけようが、冷たくあしらおうが次の日にはケロリとして笑って近づいてくる。折れるという言葉を知らない。
あまりの煩わしさにいっそ手痛くしてやって分からせてやるべきかとも思ったが、多少の牽制では揺らがない彼女のことだ。めんどうくさい手順を踏むのはまっぴらでもある。
いや、待てよ。承太郎は考える。
ここに居るような普段の優等生の仮面を取っ払った名前の本性をおおっぴらにさえしてしまえば――学校を出るなりうんと短く折られたスカート、唇にいやらしく塗られたローズ。ときたまむせかえりそうなほどくゆる雌の匂いを承太郎の他に誰が知るというのだろう。
体面を保ちたがるこの女のことだ。暫くはレッテルの火消しに躍起になって承太郎に近付く余裕もなくなる。その上悪評の発端となった承太郎を嫌ってくれるに違いない。
しかし承太郎もどんな形であれ他人を貶める行動に走るのは不本意だ。だから『行動』自体は胸のうち深く仕舞っておくとして、冗談めいた口調で脅すのだ。おそらくは彼女に一番の効力を発揮するであろう文句を。
てめーのこんな姿、学校の奴らが知ったらどう思う。触れまわったらさぞ楽しかろうぜ。
じょうたろうさん、わたしのこときらいなの。表情を失って立ち止まる彼女。ああそうだ。おれはお前に構ってる暇なんてねぇんだ、さっさと戻れ。承太郎は胸中で安堵しつつ息継ぎもなしに言い切り、彼女が踵を返すのを待った。ところが彼女は立ち尽くしたままにぼろぼろと泣きだした。思わずして承太郎には予想外だった。
往来だった。いつもの彼女なら人に軽々に涙を見せまいと、顔を覆って走り、逃げただろうに。行き交う人は「学校さぼって痴話喧嘩かよ」とでも言いたげに無遠慮な視線を投げかけていた。
体面は校内だけなのか、と承太郎は次の一手に頭の回路をたどっている。
だってじょうたろうさん学校の女の子になびかないんだもの。ふつうの優等生じゃあだめなのかって思ったんだもの、大人にならなくちゃあって、変わった女を演出しなくちゃって、思ったんだもの。好きになっちゃったんだからしょうがないじゃあない。これしかわからなかったのよ。
彼女は早口でまくしたて、尚もいっそうぐじぐじと顔を拭った。のちに承太郎は本人から改めて弁明を受けてやっとこさ理解したのだけれど、この時はまだ彼女の発した言語に意味が見出せず、出方を探っていた。
分かったのは『ここに泣いている名前』がどうやら本来の彼女だということ。承太郎に見合うために慣れない背伸びをして、取り繕っていたのはあちら側でなくこちら側だったということ――考えれば考えるほど思考が絡まってゆく。
これが自分よりいくぶん年を経たはずの女かと思うと、承太郎は表層しか見ていなかった自分が情けなかったり、馬鹿なことをして遠回りをした彼女に苛立ちさえおぼえた。同時に煩わしさの奥底に隠れていたもう一つの感情が湧きあがってくる。
「で、本当のてめーはどれなんだ」
教えてくれ、と承太郎がついぞ口にした時にはもう二人は。
リクエスト「年上ヒロインにたじたじになる承太郎」
-4-