05.howl!



「おーい、起きてるかー」
「ぅ…」

 微睡む意識の中頬を叩かれる感触に村尾は眉を顰めながら目を開いた。同時に訪れる下腹部の痛みに声を詰らせ身体を丸め蹲る。
 その様子を楽しそうに見つめる金海を視界の端に捉えながら、彼の手の中にあるビデオに視線を向けた。データを抜き取り胸ポケットに入れる行動を見るに、どうやら彼は男達を懐柔したらしい。
 途中までは意識が残っているものの、碌な準備も無く挿入された肛門は外側の皮膚が裂け突き刺す様な痛みしか残していなかった。気を失ってからどれだけ陵辱が続けられたかは分からないが、内股に乾いた残滓が不快感を煽る。抵抗の際に殴られた顔は今の金海と大差ないだろう。鈍る腕を動かして足首に引っ掛かったスラックスだけを上げると、空虚に満ちた心のまま床に仰向けに倒れ込んだ。

「しこたまやられたねぇ…お互い」

 そんな村尾を見ながらボタンの飛んだシャツ一枚で隣に胡坐を掻く金海は、口角を上げて村尾の切れた唇の端に指を這わせた。それを手で払いながら、堪え切れないとばかりに嗚咽の漏れる村尾の口から掠れた声が聞こえる。

「…ぇは…っ」

 裏切られたと言えばまるで信じていたと言ってる様なものだ、と村尾は胸中で呟いてけれど己の矛盾した感情を持て余した今は吐き出す事しか知らなかった。

「お前は…っ」
「ん?」

 拍子抜けしそうなぐらい普段と変わらない金海の声にぎり、と歯を食い縛る。

「一体…何が、したいんだ…っ」

 言ってから、そもそも何を伝えたいのかが自分でも分かっていなかった事に滑稽を覚えて乾いた喉がくつりと鳴った。それでも抑圧された感情は蓄積された胸から溢れ出して止まらず声が霧散する。

「俺に何を求めてる…っ!」

 絞り出した声は寂寂とした部屋に響き、その残響が消えた後の沈黙の中村尾は後悔とそれでも燻る金海への僅かな思慕に傷む胸を握り締めた。認めたくなかった。自分の彼に対しての感情など、認めたくは無かった。
 金海は涙を流さず声を殺し嗚咽を漏らす村尾を真っ直ぐな眼差しで見つめる。普段の厭らしい笑みが全く無い珍しく無感情な瞳は村尾に少しの期待を与えた。

「んー」

 初めて見るあどけない表情を食い入る様に見つめながら漸く緩和してきた痛みに身体を起こそうとするが、金海の手がそれを制止する。代わりに動いた彼の身体が村尾の上半身に跨りゆっくりと顔を落とした。唇が触れ合う程の距離まで近付けた目が腐った魚の様に虚ろなまま揺れる。背筋が震えた。

「とりあえずさぁ、」

 ゆっくりと、醜悪に歪む顔が笑みを作った。

「セックスしよーぜ、ダーリン。話はそれからだ」

 言いながら唇を重ねる金海に、村尾は限界を感じて怒りのままに彼を突き飛ばした。金海も踏ん張る力は残っていなかったのだろう。後方に手を付き倒れ込む彼に間髪入れず身体を起こして飛び掛かる。

「っと」

 先程の態勢の様に上半身に体重を預けて彼を押え付けた村尾は、そのまま細くも太くも無い首に手を回した。腹に淀む泥を吐き出すように、金海の顔に唾を吐く。

「…ははっ」

 頬が唾液で濡れた金海は、堪らないと言いた気に笑った。腰を下ろした腹部が小刻みに揺れる。喉に引っ掛かった様な声に苛立ちを隠せない村尾は回した掌にぐっと力を篭めた。自身の感情を嫌悪しながら、それでもこれ以上寛容出来ない彼への憎悪はただ相手を悦ばせるだけだと知っていながらも留まる事を知らず、湯水のように溢れる汚れた嫉みを胃の中で消化させながら胸を上下させた。
 咽る金海はそれでも村尾から視線を外さず唇の端を歪めて笑う。まるで鏡を見ているようだ、と村尾は胸中で自嘲した。

「あんた、今凄くいい面してるよ」

 嬉しそうに笑う彼の薄汚れた目を焼き付けながら、また腕に力を篭める。苦しそうに歪められた金海に確かな愉悦を感じてけれどそれすらも嫌悪する余裕は今の村尾になかった。充血してゆく目が自分を見つめる。浅くなる呼吸の中、金海はか細い声で呟いた。

「そ、のまま…殺してくれ、よ」

 それは抑制された呼吸のせいなのか、元々の声なのか判別が付き難かった。それ程までに悲壮に満ちた声はまるで彼自身の本音の様にも聞こえて村尾は戸惑いに瞳が揺れる。

「殺して、くれよ」
「っ」

 繰り返された言葉に息が詰まり思わず拘束の力を緩めた。突然入り込んだ新鮮な空気に金海は勢い良く咳き込んで喉を押さえる。そんな彼の様子を戸惑いの中で見つめる村尾の身体は彼の払う手によって上半身から恐る恐る退いた。
 金海は呆然と自身を眺める目に鬱陶しそうな表情を隠しもせず舌打ちをする。立ち上がり落ちていたスラックスを取りに行くと、それを乱暴な仕草で履きながら溜め息を吐いた。

「あーあ、なーんか飽きてきた」

 肩を竦めて村尾を見ようともしない金海は視線を部屋の隅に置く。何を考えているのか分からない彼に村尾は言葉をかけようと手を伸ばすが服の裾に触れる前に緩慢な仕草で払われて心虚しく宙を切った。
 流れる沈黙の後、踵を返し足を出す金海が小さく呟く。

「今あんたの顔見たくない」
「…は?」

 問いかけに対し金海の返事は無かった。追いかけようと下半身に力を入れて、先程までの力がもう残されていない事に気付く。鈍い痛みに眉根を寄せて悔しそうに手を付いた。
 その間に扉まで進んだ金海は、開けた隙間にその身を滑り込ませて姿をその隔たりに隠す前に振り返り笑った。

「暫く好きにしててよ」

 今までとは違う寂しそうに笑う男の顔には嗤いも哂いも貼り付けてはいなかった。ただ罰が悪そうに咲う金海の細められた目を最後に扉が閉まり離れ行く足音が僅かに耳に残る。
 村尾は閑散とした部屋に漂う独特の異臭に漸く気付き顔を歪めた。
 理解出来ないのでは無く、理解しようとしていなかっただけなのかもしれないと己の愚かさに笑みが漏れる。呆れる程に滑稽な自身の額を床に擦り付けて、村尾は久しぶりに声を出して笑った。
 喉が枯れるまで笑い、嗤い、哂い、咲った。



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(C)siwasu 2012.03.21


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