Act.09 ■ アイ・ラブ・ユーの音 (side 和真) 「課長」 「あ、あぁ、何だ?」 「ここの文面なんですけど」 「ああ、ここは…」 少し呆けていた俺は、社員の言葉で現実に引き戻される。珍しいその様子に少し訝しんだ表情をされたが、社員はそのまま何も言わず俺の説明を真剣に聞いていた。 白昼夢を、見ていた。 かなり昔のことなのでとうに忘れていたと思っていたのに、意外に賢い頭は覚えていたらしい。 あれから広貴(こうき)は一連の出来事を忘れたように平常だった。全く何も変わらず、進まず退かずに終わった。悲しいと言えば嘘になるが、それ以上に自分があいつの妨げにならないことに安心していた。 そして10年経った今、広貴はもう忘れたかのように異性と付き合い過ごしているらしい。俺はと言えば恋愛よりも今の仕事に満足し、堕落した毎日を送っていた。 「課長、今日終わったら飲みに行きませんかー?」 「あー…いや、いい。そんな気分じゃねーし」 何気なく誘ってくれる社員達に断りを入れて、俺は少し残業してから帰路につく。 俺は自分の今に手ごたえと空しさを感じていた。それが何か分かってはいるが諦めた気持ちはどうしようもなかった。 もう少ししたら、きっとこの傷も癒えて楽になれるだろう。俺は家に着き日課となっているビールを開けながらそう思っていると… 「っ!?」 突然。 突然部屋の電気が切れた。ブレーカーでも落ちたのだろうか。でも換気扇の音は聞こえてくる。 そして目が慣れた頃、俺は暗がりの中うっすらと人の気配がするのを感じた。 「…ねぇ、欲しいんだ」 小さな呟きにも似た声に身を強張らせる。出来れば信じたくないのだが、それを許さない空気が部屋中をまとっていた。 影は俺に近づくと遠慮なく胸を突いて座っていたソファーに押し倒す。僅かに見えた光った目が、泣きそうに光った目が、俺に動くなと懇願していた。 「ねぇ。和真(かずま)は今、好きな人とかいないんでしょ?だったら、あんたをちょーだい」 「…っ」 近づく唇。目を瞑るが、一向に触れる気配はない。 うっすらを目を開けて見れば、代わりに落ちてきたのは涙だった。 「こう…き…」 「も、二度と、言わない…よ」 広貴は俺の胸に土下座するように頭を押し付ける。 「和真が、す…好きです…あ、愛してます。俺と、つ、つ、付き合って、くだ…さい…」 嗚呼、なんて。 なんて、不器用な男なのだろう。 「…女の子と付き合ってたんじゃねーの?」 「…頑張ったけど、和真がいい」 付き合っていた彼女も可哀想だと思う。けれどこいつはこいつなりにずっと悩んでいたみたいだ。 「も、あれだよ…これで和真に振られたら、俺、死ぬから」 「脅迫じゃねーか、それ」 また同じことを繰り返す気かこいつは。 「だって…」 子供みたいに駄々をこねる広貴に呆れながらも許せてしまう自分が一番憎いと思う。なぁ、もういい加減この手を取ってもバチは当たんねーよな。 未来はそこまで非情じゃないと信じて、起きあがると俺は広貴を抱きしめた。 「本当に10年も待ってたんだな」 「…うん」 「俺もな、待ってた」 「…知ってた」 広貴の涙を舐めると、しょっぱかった。 「なぁ」 「ん?」 お前が、俺を選んでくれたというのなら。 「愛してるぜ、広貴」 もう後は認めるしかない。 愛する君に、これからも愛を送ると。 おまけ 「あのさー、和真」 「ん?」 「10年ぶりですぐ突っ込んだら痛い?」 「……ちょっと考えさせろ」 end. >> index (C)siwasu 2012.03.21 |