Ex.



【Please hug me!】



「蕪木(かぶらぎ)せんぱーい!」
「…藤井(ふじい)」

 蕪木は嬉しそうに手を振り近付く藤井を半眼で見つつ、今日何度目になるか分からない溜め息を吐いた。最近校内でもよく絡んでくるようになった彼は周囲の視線も気にせず役員用のスペースに足を向けてくる。

「お昼が食堂ならそう言ってくださいよー」
「言わなくても来たじゃん」
「そうですけど…」

 唇を尖らせながらも藤井は止める隙を与えない様にと足早に隣の席に座る。それを頬に手をつきながら見ていた蕪木は口を開いた。

「そこ、もうすぐ安形(あがた)が来るけど」

 瞬間、ビクリと大げさに肩を震わせた藤井は悲愴な表情を作り、それから何を思ったのか席を立つと別のテーブルから引いてきた椅子を蕪木を挟んで先程と反対側の場所に置きおずおずとそこに収まった。
 不安そうに見つめる目に小動物を彷彿とさせた蕪木は思わず彼の頭に手を伸ばし撫でる。
 この後輩は元々生徒会長である安形に思慕を寄せており、その想いの強さから努力の末生徒会長補佐の地位を得た男だった。
 だが補佐になった事で近付く距離に期待を持った藤井を裏切って、実の所安形は副会長である蕪木と付き合っていた。藤井は元々気の弱そうな男だったが、それでも遠慮がちながら恨みがましい目を頻繁に向けてきた事は懐かしい記憶だ。
 そしてそれまでそのような目を向けられる事に慣れていた蕪木は、彼の存在を特に気に止めた事はなかった。ある一件までは。

「今日は食後お昼寝します?」
「あー…」

 蕪木は、周囲には漏らしてないが不眠症の気があった。眠れない日々に苛立ち疲れる毎日。そんな時、この隣で終始笑顔の藤井が安眠枕代わりになると知った。それからは上司の特権を使い彼に安眠の協力を強制したのはつい三ヵ月前の事だ。
 今では微睡みの中安形の存在がありながらこの初心な後輩と戯れることもある。以前藤井にセフレかと聞かれた事があったが、すぐに違うと答えた。彼に対する感情はそんな生々しいものではないと自覚していた。

「あ、蕪木先輩ハンバーグ一口下さい」

 最近は慣れてきたのか、日に日に図々しくなる藤井。こんな性格だったか、と脳裏から過去の彼を引き出しながらそれでも慕ってくれている後輩に悪い気はしないと、蕪木は黙って自分の皿のハンバーグを一口分切って彼の方に乗せた。
 すると、それをフォークで刺すなりこちらの皿に戻す藤井。欲しいと言ったのはお前ではないかと睨むつけると、彼は慌てたように手を振りながら大きなリアクションを見せた。

「ち、違います!えーっと、その…」
「はっきり言え」
「…あーん、してください」

 その言葉に今度は蕪木が驚いた。目を丸くしてだらしなく口を開きながら藤井を見ていると、彼は駄目ですか?と、小さく首を傾げて見上げてきた。
 藤井は身長こそ平均以上あるものの見た目は冴えない普通の男だった。少し違う所といえば、生徒会に入った時安形の真似をして染めた金色の髪位だ。その男が可愛らしい仕草などすれば滑稽な光景である筈なのだが、蕪木は何故かその姿の後ろに犬が見えて目眩がした。懐かれている内に絆されでもしたのだろうかと考える。
 それに対して蕪木の見た目はどちらかと言えば安形に近かった。中等部の頃安形に不良の道に引き摺り込まれ、無理矢理染められた銀色の髪は戻すのが面倒でそのままにしている。かと言って伸びても染め直すのが面倒で、今では襟足と揉み上げの方にしか色は残っていない。
 身長も一九〇近い安形には劣るものの平均よりは高く藤井を見下ろす側だ。
 そんな自分が目の前の男に甘ったるい展開を用意してやるというのか。想像して、つい笑ってしまう。

「…どうせ似合わないですよ」
「違う違う」

 手を振り説得するも一度笑ってしまったのが効いたらしい。外方を向く藤井に蕪木は苦笑しながら返された一欠片をフォークよりも使い易い為多用している箸で掴むと彼の口に近付けた。
 どうやら認めた方が良いようだ。自分は相当彼に心を許してしまっているらしい。

「ほら副会長様の施し、ちゃんと味わえよ」
「っ」

 途端真っ赤に染まる頬を言いだしたのはお前だと口元だけ歪めて見つめる。そして少し悩んでから意を決したらしい藤井は、勢い良く欠片を箸ごと口に含んだ。

「てめぇ等何してんだ」

 すると丁度その瞬間背後から聞こえる声に、何てタイミングの悪い奴だと蕪木は眉を顰めた。藤井は箸を口に含んだまま硬直している。無理もない。
 蕪木はどう言い訳しようかと振り返ったが、それより早く大きな手が顔を包むように掴みあげた。握力の加わったそれは頭蓋骨に被害を与える。みしみしと聞こえる音に、蕪木は思わず漏れそうになった声を抑えた。
 獣のような男という形容が相応しい生徒の頂点に君臨する生徒会長の安形は、蕪木と藤井の上司で蕪木の恋人である。
 そして更に言えば、蕪木の不眠症の原因だった。

「なぁ、聞いてんだけど」
「ぃっ」

 黙ったままの二人に苛立ったのか安形が握力を更に強める。こめかみに当たる親指の痛みに、蕪木は堪らずその手を両手で掴んだ。

「めっし…食ってただけだ…!」

 何とか声を絞り出してそう答えれば、安形は鼻で返事して蕪木の頭を自分の方に引き寄せた。露わになった首に、犬歯が食い込む。

「っ!」

 鋭い切っ先が喉仏に食い込む感触と痛みに、蕪木は歯を食い縛りながら耐えた。だが手に持ったままの箸は落としてしまったらしい。床に落ちたそれは静かな空間でやけに大きく響いた。

「…新しい箸、持ってこい」
「…っは、はい!」

 ようやく口を離した安形は、自らがつけた噛み傷から流れる血を舐め取りながらそう藤井に命令した。元々この男の使いの役割である彼は反射的に返事すると立ち上がり、カウンターへと走って行く。
 蕪木は油断していたと、己の隙を呪った。

「最近あいつと仲いいじゃねぇか」
「気、のせい、…だ」

 首元の肌を強く吸いながら胸元の開いた隙間に伸びる手を蕪木は制しながら顔を上げる。安形はそれが不服だったのか、頭上から振り下ろされるように拳が落ちた。こめかみに当たり眼鏡が飛ばされていくが、上半身を踏ん張って受け止める。逃げようものならもう一度同じ行動が繰り返されるからだ。

「新しいお箸!持って、き…まし、た…」
「寄こせ」

 見辛くなった視界の向こうで藤井が息を呑む音が聞こえる。安形は彼の手からそれをひったくると蕪木に掴ませた。

「俺のが届くまでに食い終われ」

 元々用意されていた彼の席に座りながら不機嫌そうに呟く安形。そして、その言葉の意図しているものを理解しなければまた暴力が行われる。
 長年の付き合いから察した蕪木は、急いで冷たくなった食事を終えると届いた安形の食事に手を伸ばした。打たれた箇所が熱くなる。明日は腫れるな、と確信した。

「氷、持ってきます」
「あー…いい」

 低くなる藤井の声に蕪木は苦笑しながら断ると、既に一口サイズに分けてあるステーキを箸で掴み彼の方に近付ける。黙って口を開け咀嚼する男は、まるで餌を与えられているライオンのようだった。

「治療なんかしたらまた殴られるし」
「そんな…」

 悲愴な声を上げる藤井は、恐らくそれに伴った表情をしているのだろう。困ったように立ち竦む後輩を座るよう促しながら、安形の喉が下りたと同時に次は米を口に運んだ。
 安形は非常に分かり難い愛情表現を持っていた。その一つに、自分の付けた傷は自然治癒以外で治る事を酷く嫌う。そんな男だからこそ、蕪木は昔から彼の考えが読めなければ殴られるのは常だった。
 しかし去年からは暴力が嫉妬にも使われるようになり、その執着心は日に日に濃くなっている。毎日と言っていいそれは蕪木を疲弊させるには充分だった。藤井が睡眠を助けてくれていなければ今頃は倒れていたかもしれない。
 藤井が座る前に取ってくれた眼鏡はフレームが割れていた。やはりコンタクトでなければと、久々の眼鏡に別れを告げる。そして箸の動きは休めないように気を張りながら先程から隣で黙ったままの藤井を見ると、神妙な面持ちで食事中の安形を見つめていた。

「…か、かかかか会長…っ」
「あ?」

 安形は食事により多少機嫌が上がったのか、呼ばれるまま藤井に視線を向ける。会話を挟むと食事を口に運ぶタイミングが難しくなるのだが、と蕪木は眉を顰めながらも二人の様子を黙って伺った。

「かっ、蕪木先輩、殴るの、もう止めてあげて下さい…!」
「はぁ!?お前…っ」

 と、思ったが気付いた時には声が上がっていた。けれど安形に次、と催促され平常心を保ちながらまた彼の口に食事を運び始める。
 不躾にならないよう咀嚼する安形を恐る恐る見やったが、怒った気配はない。ただ目を瞑り黙々と食事を続けていた。蕪木は拍子抜けしながらも、藤井の怖いもの知らずな発言を思い出し背筋が震える。今この男に意見出来る者など、この学校に存在するのだろうか。
 そんな蕪木の心境を知ってか知らずか、藤井は続けるように口を開いた。

「か、蕪木先輩、顔綺麗なのに痣が残ったりして…可哀想です!」
「へぇ」

 それ以上は黙っていて欲しいと望んだが、安形は話を聞くつもりらしい。珍しく相槌を打つ彼に瞠目しながら蕪木は彼の言葉を遮らないよう食事を運び続けた。軽く藤井を睨んでみるが、彼は興奮しているのか目を不審に動かしている。

「そ、それに痛いです!多分見てない所で泣いてます!」
「…そうなのか?」

 安形の目が開き金色の瞳孔が蕪木を見つめる。安形が他人と会話するなんていつ振りだろうか。蕪木は自身に話を振られて驚きながらも答えた。

「いや、流石に泣いてねーけど」
「だとよ」
「あ…う…せ、せめて、もうちょっと優しくしてあげる…とか」
「優しくされてーの?」
「あ、…あー…」

 見つめる視線から逃げるように目を逸らす。返答に困る質問だと蕪木は思った。痛めつけられて喜ぶような性癖は無いが、長年この獣の暴力を身に受けていたせいかそれが最早当たり前の日常だと思ってしまっている自分がいた。優しくされるのは勿論人間として当然嬉しいのだが、ここで是と答えてもそれがこの男から与えられると思えば何故か悪寒が走る。
 蕪木は話を逸らせないものかと、根源たる藤井を睨みつけた。

「藤井、もういいから先に帰れ」
「い、嫌です!俺…っ」

 辛そうに表情を歪める藤井はそう続けながら身を乗り出す。そしてその勢いのまま蕪木の手を握ろうとして、辺りを包む殺気に身を強張らせた。

「触んな」

 気付けば安形は蕪木の体を引き寄せている。蕪木は背後から感じる怒気に、藤井の為にも余計なことは言わない方がいいと沈黙を貫くことにした。
 もし自分が藤井を枕にしていると知れば安形はどのような顔を見せるのだろうか。想像して思わず身体が竦んだ。

「俺のだ。触んな」
「っ」

 確認するように強く抱く力に蕪木は内心で笑った。どうやらこの様子だと今晩は眠ることが出来ないな、と感じてやんわりと腕を解く。そして刺激しないよう気をつけながら、最後に残っていた肉を彼の口に運んだ。藤井を睨みつけながらも噛み砕く様に動く口は野生の獣そのものだった。
 藤井に視線を向ければ、息を止めたように目を見開いている。

「ふーん」

 喉が上下し、ようやく食事を終えた安形は見定めるように動かない藤井を眺めた。流石の安形も本来ならば無害な彼に暴力を奮う事はしない筈だと蕪木はその様子を緊張しながら窺う。

「お前、俺の事が好きなんじゃねーの?」
「っす、好きでした!」
「…でした、ねぇ」

 今ばかりは馬鹿正直な後輩に困憊する。蕪木は頭を抱えそうになる手をグッと堪えた。
 最近彼が自分に情欲に似たものを向けていることには気付いていた。それでも安形への思慕故の一時の迷いだと思うようにはしていたが、今のようにはっきりと言われてしまえば誤魔化しは効かない。折角手に入れた安眠枕を手放すのは惜しいが安形の束縛を思えば己の身の為に諦めるしかないのか、と蕪木は漏れるような嘆息を零す。
 そしてこれで話に区切りがついただろうと安形を見て席を立ちかけたが、何故か彼の手はそれを妨げるように腰に手を回した。

「いいぜ」
「は?」

 見れば、可笑しそうに目を細める安形。蕪木はその言葉に思わず疑問を投げかけた。

「とれるもんならとってみろよ」

 そして笑いながら安形は一人席を立つと蕪木の頭を一撫でして仮眠取ってこい、とだけ言い残して去って行った。
 残された二人は唖然とその後ろ姿を見送る。今日は珍しい安形を見たと、蕪木は脳裏で明日の天気を危惧しながら何とか平常心を取り戻した。

「会長…気付いてたんだ」

 ボソリと呟く藤井に蕪木は心中で頷く。これだから獣の勘は恐ろしい。
 それでも恐らく蕪木の身体を心配して許容してくれた彼を追いかけ謝意を表せばいいのか、横から「俺、頑張りますね」と遠慮なく抱き締めてくる藤井の温もりに微睡のまま身を任せればいいのか。チリ、と喉の噛み痕が疼く。
 結局、蕪木は生徒が騒ぎたてる食堂で暫く呆然と立ち尽くしていた。



end.



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(C)siwasu 2012.03.21


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