抱きしめたその温もりを



「か、蕪木(かぶらぎ)せんぱーい…」

 藤井(ふじい)は小さく声をかけた。返事はない。ないのでここで引き返したかったが、このまま戻れば怖い先輩方の報復が待ち受けていると知っているから諦めて情けない顔で泣いた。一歩一歩先へ進み、おそらくいるであろう部屋に向かった。

 事の発端は生徒会長である安形(あがた)に呼ばれ、会計の部屋に向かったところから始まる。憧れの人の呼び出しとあって尻尾を振っていけば嫌な笑顔で待ち受ける先輩方。何故かその中に唯一常識人で度を超せば助けてくれる副会長がいない事に不安を感じつつも話を聞けば、どうやら彼は疲れてリビングから少し離れた寝室で寝ているらしい。それならまだ他の面子が藤井を呼び出す発端にならない。
 実は、今こうしてぶつくさと行っている集まりは蕪木自身の提案らしい。しかも夕食がおごりとあって喜ぶ会計とは違い、嫌がる安形と書記を騙して半ば無理やり4人が揃ったと言うわけである。なのに彼は誰よりも真っ先に寝てしまい(日頃の疲れが溜まっていたのだろう)残された、特に書記と安形は大層ご立腹と言うわけである。
 だから特に安形と書記の機嫌が悪いのか、と藤井は思った。だが、何故あまり親しみのない会長補佐の自分が呼び出される原因になるのかと、先ほどの経緯をもう一度頭の中で反芻する。

「だからな、藤井」

 安形は普段なら絶対見せない爽やかな笑顔で(これには他のメンバーも引いていた)藤井の手を握ると、油性のマジックペンを持たされた。ここまできて自分のすべき事が何か分からないほど間抜けではない。

「むむむむむ無理ですよ!!!」
「お前が無理な以上に俺達も無理だ」

 きっぱりと言われる言葉に、冷や汗が垂れる。つまり、この3人の鬱憤を全て藤井が引き受けなければならないのだ。だがしかし彼とて命は惜しい。寝起きが余りいいとは言えない彼に何の恨みもなくこの行為を行えば確実に怒られる。下手すれば生徒会室の入室すら禁止され、徹底的に避けられ、あまつさえ人には言いようのない嫌がらせを受ける事になる可能性も無きにしも非ず。そんなメリットが一切ない無茶な要求も、彼らが望み命令するのだから拒絶することも出来ない。
 頭を抱え唸る藤井に救いの手を差し伸べたのは会計だった。藤井の頭を抱き込むように腕を回し「可哀想だよ」と2人に抗議する。彼がここまで優しい人間だとは思わなかった。

「さっきから俺が行くって言ってるのに」
「お前が行くと他の事するから駄目だ」

 感動も一塩、安形がそれをドスの聞いた声で制する。それを聞いて藤井は悲しくなった。何故なら彼は少なからず安形のことを想っているので、些細な部分でも脈のない言葉や行動にいつも失恋を感じさせられるからだ。
 安形に想われるあの人が羨ましいと小さく嫉妬して、その嫉妬心からか少しだけ蕪木を苛めてやりたいと自分に似合わずそう思った時には「やります」と頷いていた。
 そして、皆の笑顔を見て後悔した。







 そんな経緯の中、忍び足で彼の部屋に向かい中に入ってもう一度小さく名前を呼んでみる。残念ながら聞こえてきたのは寝息だけだった。ゆっくりベッドに近づけば、布団にも被らず丸くなって寝ている蕪木の姿があった。暗がりなのではっきりとは見えてないが寝息の合わせて動く背中を感じる。そのまま音を立てないようベッドの上に乗る。なぜなら彼の顔は壁側を向いていて回り込むことも出来ないからだ。小さく見じろきして焦ったがすぐに寝息に変わりほっと一息をついた。
 兎に角自分の方に顔を向かせなければ意味がないと、そろりそろりと顔を両手で挟み込み正面を向かせる。その間も起きる気配のない彼に安心して手を離すと、ジーンズのポケットに入れていたマジックペンを取る為に少し屈んだ。
 が、急に頬を触れる何かが迫り藤井は硬直した。

「っ!?」

 慌てて身を起こそうとするも蕪木から伸びてきた手はそのまま頬を滑り、頭まで抱えられ引き寄せられると

「……」

 唇を、奪われていた。
 藤井は一瞬何が起きたのか理解できず、ただ目を閉じたまま自分の頭を抱えている彼の目いっぱいの姿を見て硬直するしかなかった。蕪木はそのまま再度唇を深く合わせてくる。思った以上に手慣れたキスに藤井は翻弄されたままでいると、蕪木は舌を差し入れてきた。これには藤井も慌てて引こうとするが、咎めるように頭を強く抱き寄せられると合間に小さく「あがた、」と呟かれた。どうやら恋人と間違えられているらしい。そう理解して逃げるのをやめた。
 つまり、今されているこのキスは恋人である安形が日頃受けているのと同じものなのだ。そう考えると同じものを共有してるようで不謹慎ながら嬉しくなる。多分蕪木もこの暗がりの中光る金色の髪で判断しているのだろう。寝ぼけているのもあるせいか、疑わず熱い想いをぶつけてくる。

「…っは」

 藤井は息をする為一度唇を離すと、次は自分からキスを仕掛けてみた。蕪木は先ほどの積極的な部分はどこに行ったのか、急にくぐもった声を出しながら受け身な姿勢でそれに応えた。きっとプライドの高い彼の為に身についたものなのだろう。
 眠いのか、ぼんやりとしか目を開けないのが幸いだ。藤井は思わぬアクシデントと、予想以上に気持ちいい彼の熱に浮かされて当初の予定を忘れていた。ただキスでけし掛けられた欲に流されるように、行為は続けたまま彼のシャツを脱がせにかかる。蕪木も何も疑問に感じることなく当たり前のように腕を伸ばして脱がしやすくした。シャツが顔を通り過ぎた時に、唇を甘噛みしてもう一度深く口付けた。そして夢中で子供のようにがっつきながら下半身に手を伸ばして、
 ようやく、思い出した。

「……っ!!!!」

 そして引き剥がすように彼から離れ、唇を押さえた。赤くなった顔を戻そうと必死に心臓の音を抑える。蕪木はその行動を不思議に思って目を開けた。コンタクトを外しているのだろう、顔をしかめて目を細めながら藤井に近づく。そして正面すれすれの所まで来て、目を丸くさせた。

「な……っ!?」

 叫びそうになる蕪木の唇を藤井は慌てて塞いだ。

「ごめんなさい!お願いします!向こうに安形会長達がいるんです!黙ってて下さい!」

 下を向きながら小声でそう一気にまくし立てると、蕪木は落ち着きを取り戻して訝しむ様に藤井を見た。そりゃそうだろう。ここに藤井がいることが彼の予想の範囲から外れているのだ。藤井は小声で続けた。怖くてまだ下を向いたままだ。

「あの、安形会長に呼ばれて、俺、一応拒否ったんですけど、その、ごめんなさ…」

 い、と続けようとしたがそれは叶わなかった。蕪木が自分の口を塞いでいる藤井の手を、舐めたからだ。悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えた自分を褒めようと一息ついたが、安堵する暇もなく今度は蕪木に抱きしめられた。え、と思う前にそのまま一緒にベッドに倒れこむ。まるで抱き枕のように絡められた腕に藤井は固まる。

「仕方ない、キスが上手だったから許してやる」

 そうボソっと低い声を耳元で呟かれて顔が熱くなった。蕪木は抱えやすいように藤井を抱きなおすと首筋に顔をうずめて眠りにつこうとした。これに焦るのは藤井だ。

「かっ、かぶらぎせんぱ、」
「逃げたら殺すぞ抱き枕」

 そう言われて動けるものはいないだろう。大人しくなった藤井に満足したらしい蕪木は数分後寝息を立て始める。
 その間藤井は息すらも出来ないほど緊張していたが、更に30分後なかなか戻ってこない彼に業を煮やしたメンバーが寝室の扉を開けて固まっていた。半泣きの藤井が「助けてください」と言葉を発してからようやく我に返り、会計が電気をつけ安形が無言で二人を引っぺがし蕪木を起こしにかかる。思いっきり頬をぶっ叩く姿に藤井は悲鳴を上げたが、痛そうに起きる蕪木は動じなかった。それを見て日常からバイオレンスな暴力を振るわれてるんだな、と思った藤井は蕪木に同情した。

 結局そのまま解散となり、まだ話し足りない会計に拘束された書記以外の3人は会計の部屋を後にした。藤井はそのまま2人に一礼して1階下の自分のフロアに戻ろうとエレベーターに向かうが、蕪木が「送るよ」と言ってついてくる。

「いや、大丈…」
「断ったらキスしたこと安形にバラすぞ」
「…お願いします」

 耳元で囁かれる脅迫に泣く泣く頭を下げれば、何故か安形もついてきた。先程のことを考えれば当然といった面持ちである。

 エレベーターの到着を待つ間、重い沈黙が流れた。背後に立つ安形の視線に居たたまれず、藤井は俯いて時をやり過ごす。バレていないとはいえ蕪木と一緒に寝ていた行為だけでも彼には浮気と感じるだろう。自分は元より、蕪木も何もなく終われる筈がない。後悔の責に駆られながら目を瞑っていると、安形が不意に出た疑問に硬直した。

「蕪木、何で服脱いでたんだよ」

 終わった、と藤井は思った。
 これで彼に嫌われるのは確実だろう。泣きそうになる目を必死で押さえて藤井は蕪木の宣告を待った。

「あー…なんか寝ぼけてたみたい」

 だが、蕪木の出した言葉は藤井の予想外のものだった。思わず振り返りそうになったが、そうすれば今の言葉に安形が疑いを持つかもしれないと我慢した。
 ようやくエレベーターが来て自分のフロアに降りると、藤井はほっと安堵の息をついた。何故階段を使えないのか今更ながらこの寮に疑問を持つ。藤井はここまでで…と言いかけたが蕪木はそれを制し、すぐ戻るからとエレベーターの中に安形を残して部屋までついてきた。後ろから刺すような視線が痛かった。

「ありがとうございました」

 部屋の前まで来て、ようやく一息つけると思い藤井は泣きそうになる。だが、それを堪えて最後に深く蕪木に頭を下げれば、上から囁きが聞こえてきた。

「また抱き枕よろしく」

 その言葉に驚いて顔を上げる。それに蕪木は小声で「爆睡出来たんだよ」と笑うと、そのまま手を振り安形の元に戻った。見れば、安形がエレベーターの中からこちらを見ている。大方藤井達の様子を不思議に思ったのだろう。蕪木はエレベーターの中に入ると彼に笑いながら中指を立てていた。喝を入れたなどと聞こえてくる。それに安形は納得したのか、手を振ってくるので藤井も頭を下げた。







 以来、週に一度くらいのペースで蕪木に呼び出される藤井は本当に言われた通り抱き枕になっていた。詳しく聞けば、最近不眠症に近い睡眠不足になっていたらしいが藤井が抱き枕になった時は思い切り爆睡出来たのだと言う。じゃあ、と藤井が驚けば蕪木は苦笑しながら「誰かが部屋に入ってきたのは分かってたけど、安形だと思ってた」と答えた。なかなか強い人だと藤井は思った。
 そして時折、本当に時折だけれども不意になだれるようなキスもするようになった。仕掛けてくるのは蕪木だが、長引かせるのは藤井だった。そのまま前戯程度の行為をする時もあったが、それだけだった。前に蕪木にセフレかと聞いたが違うと返された。
 安形のことは未だ尊敬もしているし、想いもある。だからこそ藤井は今の現状に対して罪悪感を感じた。だが、あれから蕪木に対して言い難い感情を持っているのも、信じられない事実だった。けれど蕪木は藤井に対して特に感情は持ち合わせていないらしい。大方暇つぶしの相手だろうと少しだけ落ち込んだ。

 藤井は、自分を抱えて眠る蕪木の顔を見た。ちょうど腹部を抱きしめられているため、上半身は起こしやすい。藤井がその間読書やテレビなど見れるようにと配慮してるのだろう。だからそれに甘えて蕪木の寝顔を見下ろす事が多くなった。本当に眠っていることを確認して、シャツを引っ張り背中を覗く。また新しい傷があるのを見つけた。

(不眠症になる理由は、)

 きっとこれだ。
 藤井は蕪木の髪を撫でた。彼は深い眠りに入っている為何の反応もなかった。最近、思うに最近、安形よりもこの人の方が気になっているのは多分思い違いではないだろう。藤井はそう考えて蕪木の髪を撫で続けた。

 深く眠るこの人が、せめて自分の横では不安も悲しみも忘れてくれるなら。

 そう願って髪にそっと唇を落とし抱きしめた。
 優しい、体温だった。



end.



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(C)siwasu 2012.03.21


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