かわいい分身 | ナノ
かわいい分身

 エリックの横を歩く時、何気なく視線を向けた先で彼が微笑んでいるのが付き合う中でトレヴァーの好きなものの一つになった。エリックは表情豊かで、喜怒哀楽がはっきりしているため見てて飽きない男なのだが、やはり一番似合う表情は笑顔だと思っている。どんな感情よりも晴れやかで眩しく、見てる方も心が洗われる心地になるのだ。あまりにもチャーミングすぎて懐に忍ばせていた携帯電話でその横顔を撮った事もあるが、流石に両手が塞がっている状態でジャケットの中に手を入れるのは至難の業である。
「よし、着いた着いた!僕の荷物はその辺に置いといてくれ」
「それじゃ遠慮なく」
 階段を上り、シックな色合いの扉の先を抜けてエリックの自室へと辿り着くと同時に、トレヴァーは片腕に下げていた膨らんだブティックの紙袋をベッド傍に下ろす。彼の家に着く前の、久々の買い物だとはしゃぎ回るエリックの顔が今も脳裏に焼き付いて忘れられない。腕を引いてあちこちを案内してくれるきらきらした彼の様子を見ていたら、荷物持ちに徹するのも悪くない、寧ろ喜んで引き受ける程に買い物中はエリックに夢中になっていた。一応合間合間に片腕に収まる程度に自身の買い物も済ませていたが、半分程は何を買ったのか思い出せない。
 トレヴァーがもう一つの紙袋を部屋の目立たない場所にそっと置く傍らで、エリックは机の横と上に紙袋を置き、そのまま机の上に置いた方の紙袋の中身を出していく。緑色のアーガイルの生地、黄色い毛糸、細々した裁縫道具、真新しい編み棒。
「今度は何を作るんだ?」
 エリックの側に近寄り、彼の肩越しに紙袋の中身を確認すれば、彼の首がトレヴァーの方を向き、ニヤリと笑って見せる。
「そりゃあ勿論決まってる、服だよ服」
 服。そんな大きさの生地で誰の、とトレヴァーは思わず目を丸くした。手先の器用なエリックが時々創作に行き詰まって裁縫をする事は知っている。トレヴァーも手袋を編んでもらった事があり、あまりにも勿体なさすぎてクローゼットに仕舞い込んだまま、いつ彼に「いつぞやの手袋をつけてくれないのか」と言われないかヒヤヒヤしているところだが、服一着を縫い上げたなんて聞いたことがない。シンプルなTシャツにしても、今回エリックが購入した生地では幼児サイズが限界だろう。
 ふと洋裁店に意気揚々と入っていく彼の後ろ姿を思い出す。久々の買い物で浮き足立っているだけじゃないのはトレヴァーの目から見ても明らかだった。まるで大切な相手に何を作ろうかという気持ちでワクワクしているかのような、そんな軽い足取りを追いながら、続けて店に入ったのが数時間前の出来事である。
「エリックって親戚に子供いたっけ」
「いやいや」首を傾げるトレヴァーの意図を読み取ってくれたらしい、エリックが机の上に置いてあるクマシュンのぬいぐるみを抱え上げる。「この子にだよ」
 そのぬいぐるみには見覚えがあった。トレヴァーがエリックにプレゼントしたもの──プレゼントよりも在庫処分の言葉の方が合っているだろう──だからである。まだエリックとの関係が恋仲でなかった時期、とある雑貨屋の開店祝いに引いたくじ引きで手に入れたのがそのぬいぐるみなのだが、ただの布に綿を詰めたものに興味を持たない理由でたまたま一緒にいたエリックにそのままあげた流れだったはず。受け取ったエリックが子供のように目を輝かせ、大切そうに抱きしめていた光景を思い出し、自然とトレヴァーの頬も緩む。半ば押し付けたもののため、こうも大事にされているとぬいぐるみに申し訳ない気持ちも湧いてくるが、ともあれ気に入ってくれたなら嬉しい限りだった。
「可愛いだろう、スピニッチて名前をつけたんだ」
「何故に葉野菜?」
「統一感を持たせたかったんだよ、レタスにキャベツと来れば、ほら」
 エリックの言うレタスは彼のベッドの上を定位置とする大きめなナマコブシのぬいぐるみで、キャベツはエリックの机に陣取る手のひらサイズのバチンウニのぬいぐるみの事である。確かに理にかなってはいるが、エモーショナルで繊細な詩を書く男からは想像つかないネーミングセンスのおかしさにトレヴァーは笑いを隠しきれなかった。そう言えばエリックは葉野菜が好きだと語っていたっけ。
 スピニッチには見慣れぬ赤いマフラーとブラウンのニット帽が着せられていた。この服を全てエリックが編んだと思うと、彼の多芸さには感心させられる。アマチュアながら、市場に出せば人だかりができると断言しても良い、それ程の出来栄えだった。
「ふふん、僕の裁縫だって大したものだろう? この子には他にも色々服を縫ってあげてるんだ」
 トレヴァーの視線に気付いたか、エリックがスピニッチを片手に上機嫌で机の引き出しの一つを開ける。その中に敷き詰められたものはさながら花畑のようで、上着からズボンから帽子から、色とりどりの服が小さなクローゼットに並べられていた。どうやらエリックは相当ぬいぐるみをお気に召したようだ。確か半年以上前にあげたものなので、この短期間でここまで服が作られていると思うと驚きの感情も芽生えてくる。
「君からもらった子だから、君の分身みたいなものだと思うとつい気合が入って」
「それにしても作りすぎじゃないか?」
「服だけじゃないぞ、天気の良い日は庭に出して一緒に紅茶を飲んだりしているし、詩を持ち込む時とか読書会の時にはカバンに忍ばせて付いてきてもらっているし、とにかく可愛くてふわふわだから、何でもしてあげたくなるんだ……」
 それからそれから、と話し続けるエリックから口を閉ざす気配が消えたのをトレヴァーは感じる。ぬいぐるみをトレヴァーだと思って可愛がっているなんて、彼の愛がどれだけ大きいかを実感させられたようなものである。エリックにとって俺がそんな存在だなんて、引き出しの中を見た瞬間はエリックに抱きつきたくなる衝動に駆られたものだが、気付けば話を半ば右から左へ聞き流している自分がいた。この愛おしい感情が本人に向けられていない不条理さ、やるせなさ。あくまで可愛がられているのはスピニッチと名付けられた布と綿の塊だ、夜ベッドで一緒に眠るのは俺じゃないし、休日庭の木に乗せられて写真を撮られるのもあのぬいぐるみだ。そう考えると喜ばしい気持ち以上にモヤモヤとした闇にも似た感情が湧き上がってくる。ただの物言わぬ無機物のくせに、エリックに気に入られているのが許せない。あいつはエリックの何なんだ?
「おい」考えるよりも先に体が行動を移していた。両腕が勝手にエリックの肩を強く掴んでいる。「ここに本物がいながら、よくそんな事をベラベラ喋れたものだな」
 いつもの自信げな表情がエリックから消える。片手のスピニッチはそのままに、呆然とした顔のまま石像のように固まってしまった彼に、いつもより低い、地の底から響くような声と燃え盛る炎の睨みを送る。
「念のために聞いておくが、俺とそいつとどっちが大事なんだ?」
 眼前の奴はまだ目を丸くしてこちらを見ている。背丈は同じはずなのに(と言っても自分は立ち、相手は座っている構図である)、まるで小動物を相手にしているような感覚だ。エリックとは暫く無言で目を合わせていたが、彼が瞬きした瞬間急激に理性が戻る音がトレヴァーの中で響き渡った。このドス黒い感情を行動に移すつもりじゃなかった、脅すつもりもなかったのに、俺は何て愚かな事をしでかしたのか? 急いでエリックから両手を離し、うわ言のように謝罪の言葉を口にする。
「ち、違う、こんなつもりじゃ……」
「ははあ」動いた石像がこちらを見透かすように首を傾ける。彼は怒りもしなければ、怯えもしなかった。申し訳なさそうな素振りは見せつつも、その目は悪戯っぽくエメラルド色に光っている。スピニッチを机に置き、立ち上がったエリックが顔を寄せる。「妬いてるんだな? どこまでも可愛い奴」
 そのまま頬に軽いキスをされれば、冷たい感触のはずなのにトレヴァーの体に火照る感覚が駆け巡る。耳がかっと熱く、胸の奥がキュッと掴まれたようになる。これが図星というやつか。逃げようと無意識に体をエリックから逸らそうとしたが視線の先に立たれてしまい、観念して頭の中で両手を上げる。
「ごめん……俺は、その……」
「何言ってるんだ、君の方が大事に決まってる。悪かったよ」
 ああ、だからエリックには敵わないんだ。優しい笑顔で頭をポンポンと撫でられれば、ますますエリックの顔を見られなくなる。そう言えばエリックは触覚抜きでも数センチ高いんだっけ、と無関係な事を考えながら顔を覆う。暫く冷静になれる時間が欲しい、なのに至近距離の気配はますます情緒を掻き乱す。
「大人気ないよな、たかがぬいぐるみに」
「そういうところも好きなんだから、自分を受け入れろ」
「お、俺はあくまでクールに振る舞っているつもりなのに」
「今の姿でよくそんな事が言えるな!」
 ポンポン撫でられていた頭がクシャッと軽く乱される。エリックが相手だから許される行動だ、トレヴァーが髪に命をかけている事を知っているからこそ、あえて荒っぽくしないエリックの優しさが身に沁みたところで、ようやく覆っていた顔を上げることができるようになる。
「トレヴァーにもまた何か編んでやるよ。それとも一緒に庭でお茶でも飲むか?」
 返事の代わりにトレヴァーはエリックに飛び込んでみせた。まだ足りない。休日に俺を被写体に撮影したり、あと聞き逃したあれやそれやだってやって欲しい。エリックの首元に顔を埋め、精一杯甘えた仕草をしてみせると、エリックの腕が自分の腰に回されるのを感じた。
「何が欲しい? マフラーか? 大きなサイズのセーターは編んだ事ないけど、君に贈るなら喜んで編んでやるさ」
 そうだな、と蕩け始めた頭で考える。エリックが作ったものなら何でも良い、それが例え不器用でカッコ悪い代物に出来上がってしまったとしても、大喜びで身につけて大きな街の通りを闊歩するつもりでいる。と、そこまで考えたところで脳裏を過ぎったのは一回も手を通していない手袋の存在だった。勿体無いというふざけた理由でしまいっぱなしのそれをまず身につけるところから始めよう。一生身につけないままでいるなんて、着せ替え人形にされているぬいぐるみ以下だ。可愛い分身に負けないところをエリックに見せてやったら、きっと彼は喜んで今の体勢から大袈裟にぐるぐる回って祝福してくれるに違いない。
「手袋に合うものなら、何でも……」
 彼の耳に囁くように呟いて、白い髪のかかる首に回していた腕を僅かに強める。氷タイプであるはずのエリックは冷たいのに、今は不思議と温かい毛布に包まれているようなふわふわとした、優しい気持ちに溢れていた。

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とにかくカワイイ!に全振りしたエリトレが描きたかった話でした。イチャイチャもそれなりに。
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