What was your first impression? | ナノ
What was your first impression?

 ある休日の陽が傾く頃、恋人からただ「頼みを聞いてほしい」と言われた一言に君と一緒なら何だってやるさ、と胸を叩いたトレヴァーはキルクスの高級住宅街の一角、そこに建つ蜂蜜色の家──この街自体がそんな色の家ばかりである──の一室に連れ込まれていた。落ち着いた色合いの部屋に、これまた落ち着いた雰囲気の家具や本棚が並ぶそんな場所、エリックの自室で、なぜラグに胡座をかいて数年前の雑誌を読み漁る羽目になっているのか。もうかなりの数は読み終えた筈なのに、隣にはまだ手をつけていない古い雑誌の山がトレヴァーの胸くらいまで積まれており、一番上にある当時の最先端だったファッションに身を包み、満面の笑みを浮かべるニャオニクスの女優の表紙は、さながら久々に読んでくれる相手に精一杯のアピールを向けているように映った。
「これも無かったぞ」
 手にした雑誌を読み終えた雑誌の山の上に置き、ニャオニクスの表紙の雑誌を手に取りながらトレヴァーは首を後ろに向ける。そこにはベッドの上で大きめのナマコブシのぬいぐるみを抱きながら、やはり同じく胡座をかいて雑誌を読むエリックの姿があった。彼の家でくつろげるのは有難いが、まさかエリックの載っている記事を可能な限り探してほしいと頼まれるとは。しかもその数は二人で取り掛かっても数時間はかかるくらいにあり、今の地点で作業の合間に飲んでいた熱々の紅茶は既に冷え切っていた。
「悪いな、おばあちゃんの頼みなんだよ。今度僕をモデルに小説を書くって言うからさ」
「それは初耳だ。だから君の情報をありったけくれって事?」
「そんなところ。トレヴァーもまだ探してくれるよな?」
 流石のエリックも疲れの色が見えているのに、どこか自信げなのは生来の気質か、或いは彼がおばあちゃん子なところがあるが故のものか。エリックと付き合う中でトレヴァーは彼の家族についても少しずつ耳に入れており、中でも祖母に関しては物書きである者同士気が合うと度々聞いていた。しかも名前を聞けば作品が何かの賞を受賞する程の小説家である。そんな自慢の祖母が、自分を題材にすると言われれば張り切るのも無理はないか、とトレヴァーは疲労を苦笑で上書きする。エリックの満足げな表情を見ていると、雑誌という大海からお宝を探し当てるのもそこまで苦には感じない。
 ニャオニクスの雑誌は掲載されているセレブや当時の流行りとして紹介されているアイテムを見た限り、まだトレヴァーが十代前半だった時期に発行されたものと推測できた。今より名前を聞かなくなったミュージシャンの写真に懐かしさを覚えながらページをめくる。次に小学生バンドとしてプリンとピッピの写真が飛び込み(二人は今も現役である)、更にめくれば有名なグレイシアのフィギュアスケーターの子供時代の写真が数枚に渡って掲載されていた。そう言えばこの当時はスーパーキッズと称して、それぞれの分野で早くも才能を見せる子供達がメディアに多く取り上げられていた時期だったっけ、その中にエリックの姿もあるはずなのだ。彼も子供の時から文芸誌に作品を掲載していた「スーパーキッズ」の一人だったのだから。
 思えばエリックを初めて知ったのも、この雑誌の発行からそう遠くない時期だったとフィギュアスケーターの写真をぼんやり眺めながらトレヴァーは意識を過去に飛ばす。大学生だった時だから十三か十四歳か、それくらいの時期にたまたま何かの雑誌でエリックを見たのが出会いだったのをうっすら記憶している。何かの詩をあげていたから文芸誌だろうか、ただ内容までは覚えておらず、当時の有象無象の神童達の中に埋もれていったような気がする。当時はそれだけスーパーキッズの話題で溢れかえっていたのである。
 だから次のページを何気なくめくって、ヤクデだった頃の見知った顔が一面を飾っている姿を見た時にトレヴァーは思わず声をあげそうになった。モトストークの若き天才、魔法使いとしても一流の次期当主、そんな見出しと共に隙を見せまいと顔をこわばらせている少年は、紛れもなく当時のトレヴァーそのものだった。
「確かに俺も言われてみれば、だな」
 かつて一つの街を治める名家の次期当主として散々持て囃された少年が、当主の座を捨ててパフォーマーになっているのだから、未来というのは分からないものである。ふっと息をつきながらページをめくろうとした時、ふとトレヴァーはそのページだけ折り癖がひどい事に気付いた。まるでこのページだけ繰り返し読まれていたような痕跡に、おやと首を傾げつつも最後まで読み続け、次の雑誌を手に取って再び目を見開く。この雑誌にも幼いトレヴァーが写っていたのだが、これも分かりやすく折り癖がついている。しかも次に手にした雑誌に至ってはトレヴァーの写真のページにご丁寧にも付箋が貼られていた。まるで推しの有名人を雑誌で追いかけるがごとく。心臓の音が聞こえそうなくらいに高鳴る。
「なあ、エリック」考えるよりも先に言葉が口をついて出た。何気ない感じでエリックが雑誌から顔を上げたと同時に続ける。「この頃から俺を知っていたのか?」
 ヒュッ、とエリックが息を呑んでぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。火照る顔のままトレヴァーが昔の自分の写真が載った雑誌の一ページを見せれば、エリックはぱっと顔を逸らした。傾き始めた日差しに照らされながら、ますますトレヴァーは体温が上がるのを感じる。エリックが俺を知ったのはパフォーマーとして活動を始めた時期からとばかり思っていたのに、そんな昔から見てくれていたのだろうか?
「……まあ、概ね君が考えている通りの事だ」
 ナマコブシの黒いぬいぐるみに白い指が食い込む。喉から絞り出すように語り始めたエリックは、何十年も隠し通してきた罪を懺悔する礼拝者のように見えた。悪く思うなよ、僕は最初同い年くらいの貴族として君をライバル視していたんだ。それなのに君は突然パフォーマーになるとか言い始めて、何で当主にならないんだと思いながら、半ばやけっぱちで君の舞台を見始めてそれで……。
「それじゃあ、この頃から俺の事が好きだったとか?」
「分からない。でも君への気持ちを自覚したのはパフォーマーの君を見続けてからだ」
 情けない声が出そうになって慌てて口を抑え、その所為で飛び出そうなくらい丸くなった目を気に掛ける余裕がなくなる。確かにトレヴァー自身もエリックの事をだいぶ前から知っているが、雑誌に折り目を付けてまで追っていた訳ではない。彼が俺に向ける感情はどこから来たのか、気まずい沈黙が続く中でふと好奇心が頭をもたげる。
「その……俺の第一印象はどうだったんだ?」
「いけ好かない奴だと思った。まだこんなに小さいのに子供子供した顔をしてないのが鼻についたし、完璧が服を着て歩いているように感じたからさ。僕はこいつに負けられないって、そんな気持ちだったね」
 ゴードルフというファーストネームもお高くとまって癪だったし、とエリックがぬいぐるみの間から控えめに顔を覗かせる。好きの反対は無関心、嫌よ嫌よも好きのうち、そんな言葉が瞬時にトレヴァーの脳裏を掠めていく。同時に俺はエリックが指し示す程小さくなかったと反論したくなったが、別な言葉で会話を続ける。
「それで俺の雑誌を集めていたって訳か」
「敵の情報収集をして悪いか?」
 いやいや、とつい抑えていたものを吹き出してしまった。エリックは耐えきれなくなったか、ぬいぐるみに顔を埋めたまま顔を上げようとしなくなり、その可愛らしい仕草にますます表情筋が柔らかくなるのを感じる。それで充分だった。いつから自分を知っていようが、今こうして愛を交わし合う関係になっているのは事実だ。変えられないものに今からどうこう言う筋合いはない、ただ雑誌に折り目をつけながら負けず嫌いを発揮する小さな少年の様子を思い浮かべると、案外その光景も悪くないように思えた。どうやら俺は過去のエリックのことも好きになり始めているのかもしれない。だからこそ、同時に湧き上がる不安から目を逸らせなくなる。
「でもさ」トレヴァーは立ち上がり、雑誌を手にエリックの座るベッドの隣に腰掛ける。「知っての通り、俺は完璧でも何でもない。そんな俺に幻滅はしているか?」
 エリックが第一印象で挙げていた「完璧が服を着て歩いている」は幻想でしかない。それは小さい頃から隙や弱みを公に隠し続けられているからこその一面であり、本当のトレヴァーは己と向き合うのも気恥ずかしいが、脆い面もある。エリックの前で大粒の涙を流しながら背中をさすられた事だってあるし、周りからの期待、プレッシャーに応えねばという気持ちから焦燥感で何にも手がつかなくなる事だってある。時に視野が狭まって袋小路に迷い込み、エリックに悩みを打ち明ける日もあった。パフォーマーとして注目されてなかった時期に飛び交う手紙の中で何度か弱音を書き記した事も懐かしい。
 彼はよく俺に語りかけてくれる──君はそのままで良いんだ、と。だが昔から弱みを見せまいと振る舞ってきたプライドや習慣がそう簡単に抜けるものではないのも確かである。
「まさか!」エリックが顔を上げてまっすぐトレヴァーを見つめてくる。エメラルドの煌めく瞳に不安げな顔が映る。「君に幻滅なんてしていない、これだけは言える。寧ろホッとしたよ……君が驚くほど普通、いや自然体で等身大な事に。親しみやすいっていうのかな、そういう姿を見て、一層愛おしさっていうのを感じた」
 愛おしさ。恋仲になってもまだ好意を向けられることにむず痒さを感じてしまい、トレヴァーは反射的に心臓の辺りを抑える。掴んだ右手に先ほどよりも活発な鼓動を感じながら、遠慮がちにエリックの瞳を覗き込もうとすればその顎をクイと持ち上げられ、エリックの顔が一層近くに来る。
「僕は完璧じゃない君が大好きだ」
 全身の血液が逆流しているような感覚を覚えて思わず唇を噛む。視線をどこへ向けて良いか分からなくなり、返答を考えながらも視界はぐるぐると目まぐるしく動き回る。きっと今の自分はマグカルゴよりも赤い顔をしている事だろう、上昇する体温にエリックは火傷しないだろうか? えっと、と上手く言葉を発せない中でも無理やり声を出そうとした口は、思考が混沌としたうちに冷たい唇に封じ込められる。柔らかくて心地よいそれに口元から冷やされ、きちんとした返答を考えるのがどうでもよくなったトレヴァーは冷たさを取り込もうとする。熱さを程よい温度に変えてくれる彼を、俺は心の底から愛している。
 息が詰まりそうになったタイミングでやっと唇が解放され、自由になったところでトレヴァーは隣のエリックに寄りかかり、肩に頭を預ける。
「君は俺を受け入れてくれた」
「ああ、何だって曝け出して良い。負けず嫌いになりすぎて賭け事にのめり込むのは勘弁してほしいけど」
「それはもうやらないって言っただろう」
 エリックの首筋に頭を擦り付けて精一杯の主張をすると、その喉元がくっくっと震え出すのが伝わってきた。そのまま片腕で肩を抱かれ、暫くトレヴァーはエリックに包まれる構図を楽しむ。第一印象も素顔も何もかも受け入れてくれる相手の前では心が雲のように軽い。身も心もエリックの腕に委ねて今までにない多幸感に目を細め、暫くエリックを全身で堪能しながら午後のひと時を満喫できれば良かったが、バサッとトレヴァーの片手から何かが床に落ちる音が夢から覚める合図になった。
「あっ、雑誌……」
 バニラとシナモンの混ざった甘く芳しい時間から現実に引き戻される名残惜しさ。エリックに目配せすれば「仕方ない」と目が語っており、ゆっくりとトレヴァーはベッドから降りて雑誌を読み漁る作業に戻る。普段ならオンオフを切り替えるのも容易いところだが、まだ甘え足りない余韻が後を引いている。早くエリックの記事を探し出して夢のような時間に戻るんだ──雑誌という雑誌をひっくり返し、ひたすらにエリックの記事が見つかる事を願うトレヴァーの思いは、それから三十分も経たないうちに叶った。ぱっと顔を輝かせ、すぐさまベッドの上で雑誌を手にするエリックの隣に密着するように座ると、無言でエリックの目の前にお目当ての記事の部分を差し出す。
「わっ、懐かしいな!トレヴァーが探してくれたのか?」
「ああ、最初から文芸誌をあたれば良かったよ」
 互いに顔を見合わせ、微笑みを交わす。本棚の奥にあった文芸誌にはあどけない表情をしたモスノウの少年が笑顔を浮かべている写真が「キルクスの雪の詩人」の見出し文と共に載っており、トレヴァーの一番古い記憶のエリックとオーバーラップした。そう言えばこれが初めて見たエリックだったような気がする。同じ時期の違う雑誌だったかもしれないが、これ以上古い彼はエリックのアルバムの中でしか見た事がない。この頃のエリックも雑誌という雑誌から俺を探そうと躍起になっていたのだろうか、エメラルドの瞳をきらきらとさせる彼を想像してくすくすと笑みが溢れる。
「俺が初めて君を知った頃の写真だ」
「そうか、じゃ今度はこっちから質問して良いか? 僕の第一印象はどうだった?」
「そんなの決まってる」ニャオニクスの雑誌を読みながら思い出していた事がそのまま口に出る。「『またスーパーキッズの記事か』あの頃は階級問わず、やけに才能に溢れた少年少女がメディアに取り上げられていただろう、この年で文芸誌に雑誌が載るなんて大した奴だ、くらいには思っただろうけど」
「こいつ!」脇腹にエリックの軽い肘鉄砲が当たる。そのまま同時にベッドに倒れ込み、再びトレヴァーはエリックの腕に包まれた。「僕を有象無象の存在にするなんて良い度胸だ」
 そのまま脇や胸をくすぐられそうになって笑いながら雑誌で防御する。まるで子供みたいなじゃれ合いをしていると、文芸誌の記事の少年の顔が今のエリックとも重なって見えてくる。
「本当の事を言ったまでさ。許してくれるよな」
「そうだな、昔の話だから時効にしても良いけど」これくらいはお仕置きしても良いよな、と普段より低い声が響くな否や額に冷たい唇の感触と音が伝った。
「いいだろう、今は誰よりも特別な存在なんだから」 
 額の冷たさが消えたのを見計らい、エリックのうなじに顔を埋める。まだエリックの記事を探さなければという気持ちはあるが、今はただ彼だけを感じていたかった。安らげる場所のような存在を、今なら有象無象から見つける事は容易い。きっと世界中のどこにいても必ず探し出せる自信も、根拠がないはずなのに湧き上がってくる。
「エリックの匂いだ」
 瞼が重くなる。おいおい寝るのか? と遠くから聞こえる声が子守唄のように耳に入ってくる。君の頼みを聞きすぎて疲れたんだ、と言ったような気がしたが果たして上手く伝えられたかどうか。ふう、とエリックが息を吐く音に心地よさを覚えながら次第に意識は闇の中へと溶けていく。雑誌漁りを頑張るのは次に目覚めてからで良い。今は冷熱に身を預け、ふんわりとした幸せと共にこの微睡を楽しんでいたかった。

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エリトレの互いの第一印象をただ設定としてつらつら語るより、一つの作品として上げたかったという話です。
CP時間軸の二人は周りの目がない場所だといちゃつきまくる。
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