心の中のリスト | ナノ
心の中のリスト

 どこへ行こうかと、目的地を決めない街歩きもたまには良い。そういう時こそ今まで見落としていたものに気付いたり、今まで後回しにしていた場所へ行こうという気になれる。それは初めて足を運ぶ場所で行っても楽しいが、案外何度も訪れている街で行う方が、灯台下暗しとも言えるものを見つける事ができてお得感が増すのである。
「エリック、次はどこへ行こうか」
 ウィンドンの大河にかけられた橋の上、トレヴァーが欄干に寄りかかって街の景色を眺めている横で、エリックは腕を頭の後ろで組んで考えていた。ここまで何も考えず、足の赴くまま街を歩いてきた。王都は何度も訪れている場所だが、訪れるたびに様々な発見がある。今日も小さい路地を抜けた先に美味しいフィッシュアンドチップスの店がある事を知ったり、普段は行かないマーケットを覗いてみたら掘り出し物で溢れている光景が目に入ったりと、充実した結果を得ている。それに加えて新規開拓するとなれば、どこへ行こうと尋ねられたところで現状思いつくものはない。
「君の行きたい場所は無いのかい」
「そうだな、独特のセンスのブティックとか?エキセントリックな服とかもたまには着てみたいし」
「そんな場所が都合よく見つかるか?」
 エリックの問いにトレヴァーはふっと鼻を鳴らしてみせる。その反応でこれが半ば冗談で、半ば本気である言葉である事をエリックは察する。歩いて見つけたら嬉しいなくらいの答えだが、エキセントリックな服を身につけたトレヴァーはきっと最高に似合うだろうと考えただけで、エリックは彼の顔を見られなくなって視線を上に向けた。これ以上妄想が先走ったらいよいよ一日中トレヴァーを見ずに過ごす羽目になるかもしれない、それだけ彼は魅力的で、カッコよくて、美しい。そんなトレヴァーに惚れたのである。
 だから視線の先の観覧車が目に入り、咄嗟に乗ってみたいと呟いたのは意識的なものだった。新世紀を記念して建てられたウィンドンのシンボルの一つであるそれは、期間限定のつもりで建てたとは思えないくらいハイセンスな見た目で、恒常化して久しい現在目にしても古臭さを感じない。この街に来る毎に目にしてはいたものの、いずれ乗る機会があるだろうとスルーしていた存在だが、そのまま後回しにし続けるのも勿体無い気がしてくる。それを理由にして脳内のトレヴァーを払拭しようとする。
「あの観覧車?」トレヴァーが振り返り、観覧車を見上げる。
「それ。いつも気になっていたし、君が良ければ……」
 するとトレヴァーは目を見開き、暫く観覧車に釘付けになる。その横顔は誰が見ても関心を寄せている顔だと分かるものだった。おもちゃ売り場で新品のプラモデルを目にした男児を思わせる、フォーマルな場所では絶対に見せないトレヴァーの顔。不意に胸の奥がドキドキするのを抑えてエリックも再び観覧車を見上げた。
「決まりで良いんだな」
「ああ、考えてみれば俺も乗った事がなかったんだよな。ブティックは次の機会にも行ける」


 少し気取ったレストランのご飯代程の料金が財布に入っているかを確認しながら、エリックは心の中のリストにチェックをつける。夢見がちだった小さい頃から、無意識的につけているものだ。どでかいパフェを食べる、パルデアに行く、幼馴染とレストランでご飯を食べる等、叶えてきたものも数あれど、まだリストとして残っているものはある。そのうちの一つに「ウィンドンの観覧車に乗る」がある事を思い出したのは料金表を見た瞬間だった。それにしても、レストラン一食分の値段を払ってでも乗りたい客の多い事。観光名所あるあるだが、搭乗の列が目に入った瞬間エリックは大きなため息をついた。皆考える事は同じなのである。ただ、それが今なのかそうでないかの違い。通りがかりの観光客の会話を盗み聞きすれば、一時間以上列に並ぶ事もあるらしい。
「まあ、持ってきた本の半分以上は読めそうではあるけど」
「あれ、待つのか?」トレヴァーがきょとんとした顔をする。「ファストパスを使うものかと」
 その言葉で再び料金表を見れば、確かにファストパスの文字が輝いている。リストの事を気にして見落としていた項目にポンと手を叩きたくなる衝動は、追加料金の値を見ても変わらなかった。ご飯代にデザート代を上乗せしたくらいと考えればこれくらい何て事ない。裕福な家に生まれた喜びを噛み締めた後、その勢いでトレヴァーの頬にキスしようとしたところまでは全力で心の奥底に押し留め、二人は意気揚々と大きなガラス張りのカプセルに乗り込む。
 三十分間の空の旅が始まって暫くは、エリックもトレヴァーも同じカプセルに乗った乗客同様眼下に広がる景色に夢中だった。遊園地のものよりもはるかに大きな観覧車から見下ろす景色は格別で、街は博物館に飾られたミニチュアに、先ほどまで歩いていた橋はウエハースに見えてくる。そんな非日常感溢れる世界を拝めただけでもエリックは充分だった。
「なあトレヴァー」凄いな、と続けようと彼の方を向いてまたもエリックは言葉を失う。炉を思わせる金色の目をきらきらと輝かせるトレヴァーは、その瞬間を切り取って写真に収めたくなる程綺麗だった。きっと彼なら世界三大美なんとやらなんて凌駕してしまうだろうと考えてしまう程、彼の横顔、まつ毛の一本一本まで見入ってしまう。最早景色にはしゃいでいた事実が遠くに追いやられてしまいそうになる程に。
「どうした?」トレヴァーがハッとしてこちらを向けば、あくまで表情は冷静さを見せているが、瞳の中のきらめきは隠せていない状態で、その姿にエリックは喉の奥から出かかっていた言葉が引っ込む感覚を覚えた。えっと、と取り繕う言葉すら出てこない。そもそも僕は何を言うつもりで声をかけたんだ?
「観覧車はどうだ?」
「それなら」ニッとトレヴァーが口角を上げる。愛らしいほどの笑み。「最高だよ、君が言わなかったら多分来ずに一生を終えていただろうから……感謝している」
「本当に一生か?気まぐれとか、誰かが連れてくる可能性は」
「少なくとも俺を知る相手は連れて行かないだろうな。俺は高所恐怖症と思われている」
「高い場所にトラウマがあるとか?」そんな話は初耳だ。
「高い場所じゃなくて、飛行船が嫌いなんだよ。あの忌々しい乗り物め、あれに乗った十一歳の俺は可哀想に、ひどい乗り物酔いと悪夢にうなされ散々な目に遭い……」
「そ、そうか」
 気になる話題ではあったが、観覧車が三周はしそうなくらい長くなりそうな予感には手を打たなければならない。精一杯の愛想笑いを浮かべたエリックにトレヴァーが察して口を閉ざした時には、搭乗しているカプセルは頂上に到達していた。周りの客が天辺に着いて歓声を上げる姿を背景に、エリックはトレヴァーと顔を見合わせる。
「僕の方こそわがままに乗ってくれて感謝しかないよ。夢が一つ叶った訳だし」
 そしてガラス越しにウィンドンの街を見下ろす。トレヴァーに心を奪われてもこの光景の壮観さは格別だ。抜けるような青空に手が届きそうな位置から街を眺めていると、自分がふわふわ浮かぶ雲になったように感じる。おそらく一人で乗る勇気は出なかったと思うので、今日思い立ったタイミングは神がかっていたのかもしれない。無論そんな自分に付き合ってくれた相手あっての景色なのだが。
「そうか、なら良かった」
 ガラスにトレヴァーの微笑がうっすら映る。彼の笑顔を見ているとこちらもつられて頬が緩む。ガラスに映る自分も彼と似た微笑みを浮かべた時、更にトレヴァーが口を動かす。
「そう言えば、他にも夢があるのか?さっき「一つ叶った」て言ってたって事は……」
「そうさ、やりたい事が山のようにある。まずイッシュに行く事だろう、有名な雪山の雪解け水を直に飲む事だろう、それから……」
 心の中でリストを展開して言葉に詰まる。次に来る項目を彼の前で話すのは、ガラルの国民を前に演説をする方がましに思えるくらい恥ずかしく、しかし誰かに打ち明けたいものでもあった。少し考え、エリックは言葉を選びながら続ける。
「笑うなよ。カロスのミアレシティにあるプリズムタワーに、好きな相手といられたらどれだけ幸せだろうって」
 トレヴァーに打ち明けるのはここまでが限界だった。多感な時期に見た映画に影響され、妄想した事がある。ライトアップされたプリズムタワーの前で唇を重ねたらどんな味がするのか。だが流石のエリックもこれ以上は言えず、代わりに小さく息をついてみせる。笑われても仕方ないという覚悟を乗せて。
 そんな感情を抱いて恐る恐る伺ったトレヴァーの反応は、ぽかんとした表情だった。一瞬何があったのか飲み込めないと言いたげに。しかしそれは徐々にぱっと明るくなり、うっとりしたものに変わる。
「良いじゃないか、素敵で。俺もそういうのは好きだ。夜にプリズムタワーから街を見下ろすなんてやったら、ロマンチックすぎて堪らないだろうな」
「ま、まあそんなところ」
 ぼかした部分を微妙にずれて捉えられるのは想定内だ、それでもトレヴァーが自分と同じ感性を持っている事に、エリックは安堵する。と同時に脳裏にトレヴァーとプリズムタワーの展望台でムード溢れる夜景を見下ろす光景が思い浮かび、いやいやと慌てて首を振る。カロスなんてそもそも行った事がないのに、何て幻覚を見ているのか。それでも、エリックは考える。この光景だって、叶ったらきっと嬉しい事だろうな。更に言うと、今乗ってる観覧車だって夜に乗ったら素晴らしい世界が見えそうだ。それをトレヴァーと共有できたら?それも他に乗客のいない二人きりで。
「この景色、観客なしで独り占めできれば楽しいだろうな」つい気持ちが溢れてぽろっと言葉に出てしまい、大声が出そうになるのを堪える。勿論二人で、などと言わなくて良かった。
「できるみたいだぞ」トレヴァーは純粋に言葉を繋ぐ。「さっき他の乗客の話が聞こえたけど、観覧車を貸切で乗れるプランがあるらしい。何でも、パーティーとかで使えるとか……」
「それもロマンチックだな」
「だよな、きっとこういうところで結婚式とかできたら楽しいだろうなー、なんて……相手なんていないのに何言ってるんだって話だけど」
 更に何か言うトレヴァーの言葉がそれ以上エリックの耳には入らなかった。視界が動揺で大きく揺れ、一瞬クラッと倒れかけて手すりにしがみつく。この観覧車で。考えたこともなかった。しかもトレヴァーの口からその言葉が出るなんて。ある年のバカンス直前、帰宅した直後に矢継ぎ早に旅行の計画を浴びせられた時以上に脳の処理速度が追いつかない。何から考える?トレヴァーの相手に立候補するところから?それとも彼の口から結婚式というワードが出たところから?
 君は、と辛うじて声に出る。何を言おうとしているのか自分でも分からない、繋げる言葉が見つからなかった。それでも懸命に探しているうち、目の前にトレヴァーの手が差し出されているのが映る。
「大丈夫か?少しそこのベンチに座ろうか」
 なんとなく彼の手を取る事も小恥ずかしい気になり、何とか自分の足でカプセルの中央に設置されたベンチに腰を下ろす。そうだ、暫く休めば落ち着くはずだ。冷静になって考えるのだ、トレヴァーの言葉が幻聴だったかどうかを。そう、何かの聞き間違いなのかもしれない。それなのに。
 エリックの隣にトレヴァーが座り、しきりに気にしてくる視線が眩しすぎてエリックはつい目を逸らす。そんな目で見られたら観念して幻聴でない事を認める他にない。いや、本当は気付いていたのだ。心の中のリストに「愛する人とウィンドンの観覧車で挙式を挙げる」が加わっている事に。
「トレヴァー、僕は平気だ。少し眩暈がしただけで……」
「そうか?顔色が悪いように見えるが……」
「本当に大丈夫だってば」
 声を荒げる気力も失い、両腕で自分を抱きしめながらゆっくり先程の言葉を繋げようと試みる。君はもし、ここで結婚式を挙げられるならどんな相手を選ぶのか。君の目に僕はどう見えているのか。
 ゆっくり下降するカプセルの感覚に身を預けてもしっくりくる言葉は思いつかず、エリックはそのまま目を閉じて思考を遮断した。リストの事も、トレヴァーの事も、下界に降りれば飲み込めるようになると、目を開けた時にはいつもの元気な自分がいて、トレヴァーをまともに見る事だってできると、そう信じて。

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エリトレをロンドンアイにぶち込みたいという気持ちを出力した話でした。
ゲーム内で背景でしか出て来なかったのは未だ勿体無いと思っている。ライモンシティの観覧車みたいなイベントもほしかった。
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