熱なんて怖くない | ナノ
熱なんて怖くない

 薄暗い館内ロビーの一角に取り付けられた大型モニターを眺めながら、トレヴァーはため息をつく。最近できたばかりという映画館は平日にも関わらず老若男女でごった返しており、近くのベンチでは家族連れの客が早くもポップコーンを食べている。本来到着する時間帯であればもっと空いていただろうに、という気持ちが湧き上がるのを感じながら壁に寄りかかると、上映スケジュールが書かれた電光掲示板から戻って来たエリックの影が走り寄ってくるのが見えた。
「駄目だトレヴァー。この作品、次はもうレイトショーしかない」
「ごめん、俺の電車が遅れたばかりに……」
「仕方ないさ、公共交通機関に絶対はない」
 エリックと予定が合い、久々に会える日に気になっていたファンタジー映画を見に行くと決めたは良いものの、出だしから暗雲が立ち込める有様に、既にトレヴァーは幾許かの苛立ちを感じていた。これが人身事故であれば恨む相手の顔も思い浮かぶだろうが、倒木という天災の事故はどうしようもできない。そして改めて、今日の相手がエリックだった事を感謝する。彼は不運に対して理不尽に怒らないばかりか、寧ろ巻き返しを図ろうとしてくれる。
「折角だし別な映画でも見ていくか?僕は小説原作の映画以外なら何でも良いぞ」
「そうだね、ここまで来たからには何か見ていくのも良いかもしれない」
 目の前の大型モニターでは、上映中の作品の予告が延々と流れている。この中から気になる作品を適当に見つけるのも良いだろう、そうトレヴァーが思った瞬間、映像はアジアンな宮殿の中にいるモスノウの女優に切り替わった。古代中華圏が舞台と思わしき物語の予告は淡々と進み、見続けていくうちにこの作品が後宮の皇女であるモスノウと、後宮で働く官吏マルヤクデのロマンスものだと分かる。
『氷と炎、触れたら消えてしまう二人の身分を超えた愛の行方は──』
 ナレーションが流れる映像では、マルヤクデが触れたモスノウの翅がみるみる溶けていく様子が映し出され、ほうとトレヴァーは心の中で呟く。その後も映像は目まぐるしく切り替わり、オーソドックスなタイプ差と身分差の話にありがちなシーンが流れた後に、官吏マルヤクデが皇女モスノウを抱き止めるクライマックスと思わしきシーンでモスノウが「あなたの炎で私を溶かして」と涙を流したところでタイトルがでかでかとモニターを埋め尽くす勢いで表示された。
「エリック、これはどうだ?『蝶は朝日に微笑む』だって──」
 歴史物のロマンス映画は悪くない、非日常感を味わえそうでたまにはこの手の作品を見るのも面白そうだ。大型モニターを指差しながらトレヴァーがエリックの方を振り返ると、エリックは険しい顔つきでモニターを睨みつけており、その気迫に思わずトレヴァーは手を引っ込める。
「ふん、辛気臭い映画だな」彼の頭上の白い触覚がピンと張り詰める。「フィクションでもモスノウが炎に溶ける映画は見てられない」
 それもそうだった。何も考えず、自分達と同じ種族が出演しているのもあって軽はずみな発言をした己をトレヴァーは激しく悔いる。基本的にエリックはどんな作品でもある程度楽しめるたちではあるが、どんな相手にも苦手な物の一つや二つはあるものである。その事を完全に忘れていた自分が情けなく、腹立たしく感じる。
「ごめん、変な事言って」
 無意識に謝罪の言葉が出ると、エリックは驚いた顔でこちらを向き、あー、と頬を掻きなながらばつの悪そうな表情を浮かべる。あくまで先ほどの事は独り言のつもりだったと言いたげに。
「いや、僕も悪かった。それで何を見ようか」
「君の見たい物を」考えるよりも先に言葉が口をつく。
 帰って来た答えは本当に、と目を見開く彼の表情だった。いいから好きな物を見てくれとトレヴァーは手をひらひらさせる。それが効いたのか、エリックは上映中の映画ポスターが貼られた壁をじっと眺め、今週封切られたばかりのコメディ映画を指差した。それで良い。
「一応上映時間も確認してくる、本数多そうだし多分大丈夫だと思うけど」
 そう言って再び電光掲示板へと小走りで駆けていくエリックの背中を見送りながら、トレヴァーは大きく息を吐いた。


 目の前のエリックがスプーンでフォンダンショコラを掬い上げ、付け合わせのアイスと共に口へと運ぶ。その瞬間彼のエメラルドの瞳が輝きを増し、どう見ても「美味しい!」としか読み取れない顔つきになると、声にならない声をあげながら二口目をスプーンの上に乗せる。いつもならストレートかつ詩的な表現で感想を述べる彼の言葉が無くなるのは、それが格段に美味しい事の証である。感極まると言葉を失う、という事は先ほどまで鑑賞した映画の内容について語れていたのは面白かったが、一層突き刺さった内容では無かったという事だろう。甘さの加減が自分好みのビスケットを齧り、トレヴァーは湯気の立つコーヒーを啜る。
 確かに映画は面白かった。行く前まではテレビで時々予告を見た程度で、あまり記憶に残らないものだったが、予想以上に大きなスクリーンに見入ってしまう自分がいた。エリックも楽しめたらしく、劇場を出てからカフェに着き、注文した食べ物を待つ間までずっと二人して映画の感想を話していたのである。あの演出が良かった、台詞と台詞の「間」が絶妙、テンポも良いし有名コメディアン扮するあの役の演技は最高だった、等等。
「ああ、君が甘い物平気なら絶対勧めてたんだけどな」
「エリックの表情だけで充分さ」
 一瞬エリックがぽかんとした表情を見せたのも束の間、その顔は再び目下のフォンダンショコラへと向かう。とろけるチョコレートソースの黒にバニラアイスの白が混ざり合わさった皿。エリックは暫く煩悩を払うかのように一心不乱に残りを食べ進め始めていたが、ふとその手が止まった。
「僕は熱さと冷たさは共存できるものだと思っているんだ」
 おやとトレヴァーは顔を上げる。頭の中には劇場で見かけた『蝶は朝日に微笑む』のポスターが思い浮かぶ。
「そうでなきゃフォンダンショコラアイスやアフォガートなんてこの世にないし、僕達だって仲良くなってない。実につまらなく寂しい世界だよ。そう思わないかい」
 そういう事か。エリックが劇場で見せた鋭い視線に納得がいく。あの設定がファンタジーにしろ、悲しい世界をエリックが望む訳が無い。彼の世界はいつだってポジティブで可能性に満ちている。
「そうだね」トレヴァーがふっと笑う。「君はそういう奴だった」
「まあ、あの映画は興味半分で見ても良かっただろうけど」
「後から地上波で見るならともかく、それに金を出せるか?」
「あー……」
 そこでエリックは首を横に振り、その様子が面白くてトレヴァーはますます笑い出す。エリックといて楽しいと感じるところだ。そんな楽しい彼だからこそ、トレヴァーに一抹の不安がよぎる。例え熱と冷たさが共存できたとしても、熱が冷たさを傷つけるのはこの世の理の一つであり、冬の雪は春になれば照りつける日差しで姿を消す。今こうしてカフェでのんびりのんびりしている間だって、ふとした瞬間に彼を燃やしてしまうかもしれない。エリックは俺といて本当に平気なのだろうか?物理的に。
「映画じゃないけどさ、それでも俺はいつだって君が溶けてしまわないかハラハラしているんだぜ。俺の炎が怖くないのか?」
「へえ」エリックが鼻で笑う。「お前は僕に流れるマルヤクデとウルガモスの血を疑っているのかい?」
 これまで何度も聞かされたお決まりの返事だが、未だ本気で信じられぬ言葉に何も言い返せないでいると、エリックが更に続ける。
「僕の友人にはキルクスのジムリーダーだっている。つまり、セキタンザンとも仲が良いって事だから今更な話さ。それに、君の炎は、その……」そこで言葉が途切れ、エリックが目を逸らしながらトーンを落とす。「華やかで優しいから、大好きだ」
 そしてくしゃっと笑って見せた笑顔に、ようやくトレヴァーも信じられる気になってきた。考えてみれば炎を操る自分のショーに足繁く通っている相手だ、いざとなれば炎から身をかわす術だって身につけているだろうし、ハートはどこまでも炎に近寄らんとしている。炎をも恐れぬ溶けない氷。
「最高だよ、エリックは」
 ついそんな言葉が口から飛び出していた。素晴らしい、クール、持ちうる語彙力をありったけ使って彼を褒めたくなる衝動に駆られるが、トレヴァーはエリック程この場に的確で、洗練された言葉を知らない。寧ろ言い表せぬ言葉を体や炎で表現するタイプなので、今この場で火を起こしてみせようかとさえ考えてしまう。魔法で彼の瞳の色の炎に変えて、目の前で燃やしてみせたら、彼はどんな顔をしてみせるのかを考えただけで胸が躍る。
「トレヴァーの炎だったら、どれだけ強くても受け止めてやるさ」
「それじゃ今、この場で炎を起こしてみせても?」
「流石にやめとけ、喫茶店の中だぞ」
 冗談に真顔で返されるとは思っておらず、想定外の反撃に大袈裟に仰反ってみせる。炎と氷、熱さと冷たさが共存できる世界は、確かに愉快で面白く、幸福感に溢れている。フォンダンショコラアイスは食べないが、エリックといると不思議と心が温かくなる。氷タイプの冷たさに触れているのに不思議な話だと思いながら、トレヴァーは微笑みが止まらなかった。

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某コンビニのフォンダンショコラアイスが食べたい一心で思いついた話でした。
バツグンタイプな二人組がタイプ差関係なく仲良くしている関係性に萌えるので、エリトレにもそれを反映させているつもりだけど、やはり熱さ冷たさという相反する属性だと、タイプ差の話も入れたくなるものであり。
ましてやエリックは炎4倍だからね……。それもあってタイプ差に関する諸々は取り入れたくなる。

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これは没になった劇中劇のネタ。
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