写真の前で | ナノ
写真の前で

 蜂蜜色の均整のとれた街並みから一歩足を踏み入れば、そこは赤煉瓦と混沌が覆いつくす空間となっていた。コンセプトがはっきりした飯屋と言われればそれまでだが、パブでもここまで主張が強い場所は早々ない。何より店内の至る所に創業者の愛嬌ある肖像画が飾られており、それが一層非現実的な場所を意識させる。肉の焼けるワイルドな匂いも相まって、店内の雰囲気はガラルというより開拓時代のイッシュを思わせた。
 エリックに誘われるまま、トレヴァーは赤と黄色が交互に並ぶテーブル席を通り抜け、奥の赤いテーブル席に腰掛ける。何度も訪れているキルクスの町だが、まだ完全に網羅したわけではなく、夕食はどこか入ったことのない店が良いとエリックに頼んだのがつい先程の話。そこで彼が提案したのがこの店、ボブズ・ユア・アンクルというステーキハウスだった。
「おかしい、前来た時は百グラムのメニューがあったはずなのに」
 小さな修道院に飾られていそうな風情あるタペストリーがかかった壁に寄りかかり、メニューを眺めながらエリックが眉をしかめる。少食故の受難だとトレヴァーは向かい側の席で直感した。
「多いなら俺が貰おうか?四分の一くらい」
「いいのか?それならこのハンバーグを半分くらい……」
 そう言ってエリックは最低値である百五十グラムのハンバーグの文字を指差す。トレヴァーからすれば適量でも足りないのに、彼はよくそれで体を維持できるものである。
「えっ、本当にそんなに持って行っても……」
「持ってけ持ってけ、僕は半分で十分だ」
 そう言われたら受け取るしかない。かくしてトレヴァーもステーキのグラム数を決め、店員に注文したところで手持ち無沙汰の時間がやって来る。
「この店、近々二号店が出店するんだけどその店の名前を「おいしんボブ」にするとか言っててさ。元の店名の温かみが良かったのに、ふざけたネーミングセンスだと思わないか?」
「奇を衒う名前が受ける場所もあるだろうし、マーケティング戦術ってやつじゃないかな」
 そんな会話をしながらも、トレヴァーはエリックの少食ぶりを改めて思い返す。モスノウという種族が元々少食なのは知っていたが、それでも普段自分の周りがよく食べる者達で溢れかえっている事実を考えれば、少なからず不安感が湧き上がってくる。ましてやエリックが自分と同じ食欲旺盛な年頃の青年となれば尚更だ。本当にあれで足りるのだろうか?
「どうしたトレヴァー、何か悩みでもあるのか?」
「悩みというか……」
 トレヴァーが正直に打ち明けると、エリックは一瞬ぽかんとした顔を浮かべ、その後で声を抑えて笑い出す。何だ、それくらい今の僕を見れば平気だって分かるじゃないか。心配して損した。
「確かに種族柄なのは分かるけど、見てるこっちはハラハラするんだって」
「よく言われるよ、でもモスノウはそういう種族なんだ。それに」
 そう言うと、エリックが横の壁に貼られた数々の写真から何かを探し始める。曰く、この店に来た有名人や貴族の写真だそうで、その中に小さい頃のエリックの写真も混じっていると、入店前に彼は自慢げに語っていた。
「これだ」エリックが一枚を指差す。「これでも昔は食えたんだぞ。ほら笑顔でステーキを食べる僕」
 トレヴァーが覗き込むと、そこにはユキハミの男児がステーキを食べる様子が色褪せた写真版に映し出されていた。今のエリックとは似ても似つかぬツンツンの水色の髪に黒い瞳。だがそんな変貌ぶりよりも目に入る部分が写真にはあった。まるで怪獣のように目をかっ開き、口を大きく開ける表情にトレヴァーは小さい頃に美術館で見た絵画を連想していた。神話に出て来る男神が、破滅の予言を回避すべく我が子を飲み込まんとする姿を描いたとされるその絵画は幼い身にとっては衝撃が強く、暫くあの美術館に行くのが怖かったっけ。
「さしずめ、ステーキを食らうエリックと言ったところか」
「酷い言い様だな!この満面の笑みによく言えたものだ」
 芸術を嗜む彼なら理解できるだろうと口にしたが、その通りになってトレヴァーは笑みを隠せなかった。この笑みはそれだけでない、あの写真も理由に含まれている。
「だって本当に酷いじゃないか、明らかに目がキマっててさ……ごめん、本当に笑いが……!」
「やれやれ、これがトレヴァーじゃなかったら吹雪を浴びせていたところだったが」
 肩をすくめるエリックの向かいでトレヴァーは中々笑いを収められなかった。接してて面白い相手だが、幼少の頃まで面白いとあればますます興味がわく。もっと彼のことが知りたい。
「それじゃこれはどうだ、この店のメニューに昔あったどでかパフェを頬張る僕」
 続け様にエリックが指差したのは、またもユキハミの男児がその名に違わぬボリューミーな苺パフェを前に大口を開ける写真だった。日付は先ほどの写真より数ヶ月先だが、相変わらず凶悪な表情を見せている。きっとパフェに対してとてつもない憎悪を抱いているのだろう。
「親類をパフェに殺された?」
「これもそんなに酷い顔をしているか!?」
 エリックが分かりやすいリアクションと共に、首を傾げながら写真を凝視する。それでも可愛らしさは伝わってくるから不思議な写真だ。きっと彼は昔から天性の愛嬌を持っているのだろうと、テーブルに置かれた水を飲みながらトレヴァーは微笑む。昔も今もエリックはチャーミングだ。そしてそれはこの先も変わらないだろう。
「とにかく、進化して食べられなくなったのは損だとは思うけど、いいんだ。今の方が食べ物が美味しく感じるからな」
 それが本音か強がりかは分からなかったが、再びどっかりと座席に座り込んだエリックの表情は至極落ち着いたものだった。どっち道本人が少食で納得しているなら構わない、それが分かったところでトレヴァーはこれ以上言う事はなかった。ただ一つだけ、心に残ったものを抱えながら厨房の方を見やる。そこそこ客のいる時間帯に入ったからか、注文したステーキはまだ来る気配がない。
「君の可愛い顔は他にあるのかい?」
「何て?」エリックが上ずった声をあげる。「ああ、写真か。この店にはもうないけど、そんなに見たいなら今度アルバムを見せてやるよ」
 まだエリックの事は知らない事だらけだ。深淵まで踏み込まなくても、知れる事はたくさん見たい。そう感じるのは親友だからか、それともそれ以上に気になる相手だからか。ここまで考えたところでトレヴァーは頬杖をつく。空腹でこれ以上思考が回らない頭が限界を迎えていたからだった。

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小さい頃のエリックは一口が大きかった事と、キルクスのステーキハウスを一度は描写したかった小話でした。
ステーキハウスの名前こんなんだったけ問題は、英語版を見れば分かると思います。
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