花咲き、花舞う | ナノ
花咲き、花舞う

 ウィンドンの民の憩いの場となる大きな公園の一角は、うららかな日差しに心地よいそよ風が舞う今の時期になると桜の名所に変わる。
 かつて極東にいた種族がガラルに移り住んだ際に持ち込んだ苗が、今となっては立派に成長し、地元の民をも魅了する樹木になったのだから植物の生命力には関心させられる。ふわりとなびく白髪を抑えながらエリックは桜が続く並木道を見上げた。パステルピンクが灰色の空を覆い尽くす光景はいつ見ても癒される。まるで曇りがちでつまらない空を隠すよう清々しい咲き誇りぶりも良い目の保養だ。桜がずっと咲いていれば良いのに、と思わず心中で呟いてしまう。
「いや、初夏の間は槻並木でも良いか」
 何気なく差し出した手にくるくる回りながら着地した桜の花びらをしげしげと眺めながら、エリックは少しだけ初夏にも意識を飛ばす。木々が生き生きと生い茂る季節の中で一番美しいのは槻だ。あの青々とした葉を眺めるだけで活力が湧いてくるのだから不思議な木である。そんな並木道を歩くのも桜とは違った魅力があり、甲乙つけ難い。
 そんな事を考えながら詩作にどう活かせないか悩んでいたために、エリックの頭は足元に散らばる桜の花びらの山まで回っていなかった。その結果次の瞬間にエリックの身にちょっとしたアクシデントが起こる。
 足元が花びらの山に掬われ、体が前のめりになる。うわっと声をあげ、地面に顔が激突する、と危惧した瞬間胴体を横の青年に支えられる。そのまま体を起こしてもらい、エリックは恥ずかしそうに彼から目を逸らす。
「大丈夫か?」
「ああ……何とか」
「桜が綺麗だからって、気を取られてばかりじゃ転ぶぞ」
 それじゃあ桜より綺麗な君に見惚れるのは良いんだな、と言いたくなる言葉を飲み込み、エリックは軽く首を振った。こんな場面で到底言える台詞ではない。格好悪い姿を見られた事と、青年トレヴァーに触れた感触が思いのほか心に刻まれてしまい、エリックは取り繕うように会話を繋げる。
「そ、それくらい桜は魅力的なんだよ、分からないのか?」
「確かに綺麗なのは分かるよ、でも俺は消えそうな雰囲気の桜より、ヒマワリとかダリアみたいな派手な花が好きだな」
「分かりやすい奴」
 都会と田舎なら刺激の多い都会を選ぶ男らしい答えをしている。そんなところも面白いからトレヴァーといると楽しい。ただ美しい存在と信じてやまない桜を軽くあしらわれたようで、少しだけ気に入らなかった。だからこそ辺り一面をパステルピンクが取り囲む中で一際目立つ朱色の髪を上機嫌に揺らす彼に、持ち前の知識を披露する。
「知ってるかトレヴァー、極東では桜の下に屍が埋まっているから、桜は綺麗だって言われるんだ……物語上での話だけどな。それだけ桜には妖しい魅力があるって事さ」
「何だかエリックが好きそうな話だな」
「それだけじゃないぞ、桜にさらわれるなんて言葉もあるくらいで、桜吹雪にはそう錯覚する程の力強さがあるくらいで儚いだけじゃ……」
 そこで横のトレヴァーを向くと、そこにいたはずの姿は忽然と消していた。ひらりと舞った花びらがエリックの鼻をくすぐり、風に乗って去っていく。まさか、と辺りを見回す。本当に桜にさらわれる奴がいるか?
 トレヴァー、と彼の名前を呼びながら振り返る。返事はない、かわりに少し遠くの方から子供たちの騒ぎ声が聞こえてきてエリックは声の方へと顔を向け、胸を撫で下ろした。子供たちに囲まれているのはトレヴァーだ。この時期よく見かける半袖姿の格好をした長身の彼が、サッカーボールを子供の一人に渡している。彼はその後子供たちと何か言い合った後に別れを告げ、こちらへと走り寄ってきた。
「ボールがこっちまで飛んできたから返しに行ってたんだ」
「何だ、てっきり桜にさらわれたかと」
「桜だって!」刹那トレヴァーの顔が綻ぶ。「桜がさらうとは思えないな!」
 そう言ってふふんと鼻息を飛ばす。極東の話を聞きながらまだ桜の魅力に気付かないらしい。トレヴァーに強い想いを抱いているとはいえ、譲れない部分だってある。
「それに……もしさらおうとしたら燃やしてやるさ」
 そして爛々と目を輝かせ、手のひらから炎を出してみせるトレヴァー。彼の動きに合わせて朱色の長い髪も炎のように揺れた。炎は草に強い、当たり前の相性を見せられてもエリックは釈然としない。それでも彼の心の強さは好きだった。トレヴァーはそうでなくては張り合いがない。
 マルヤクデらしい好戦的な視線にうっかりときめきつつエリックが反撃の言葉を練ろうとしたその時、不意に強い風が吹いた。ビュウッと音を鳴らしながらエリックとトレヴァーの横を猛烈な勢いで過ぎていく風は、桜の枝から花をごっそり取り去り、二人の視界を奪うように花吹雪を巻き起こす。あまりの突然の出来事にエリックは目を丸くするしかできなかった。それから風の強さに気付き、腕で顔を抑えながら突風に耐える。風の音、渦を巻きながら舞い散る花々。駆け巡る花びら。
 突然の風は去る時も突然だった。風が収まったのを確認し、エリックが腕を下ろすと頭からパステルピンクの欠片がひらひらと落ちた。おや、と考える前に手は頭を払い、肩を払う動作を始めており、その度に花びらが体から落ちるのが見えた。ひどい風だった、最後に軽くズボンを払ってから頭上を見上げると、まだ桜が空を覆い尽くす程咲き誇ってはいたが、枝についている数が先ほどよりはっきりと減っているのが見てとれた。
「あーあ、まだシーズンだっていうのに」
 足元に目線を移せば歩く道は辺り一面がパステルピンクとなっており、花びらを踏むのが忍びない気持ちが失せるまでに砂や土に塗れていた。あまりの惨状にエリックは頭の触覚が下がる感覚を覚える。これでは趣もへったくれもない、今からでも公園を出て別な通りの桜を見て口直しでもしようか。
 エリックがトレヴァーに話しかけようと彼の方を向く。そう言えば突風の時は自分のことで精一杯だったが、彼は耐えられたのだろうか。心配は無用だった。彼はエリックの後ろで桜の花びらに塗れながら仏頂面で立っていた。目を半目にし、口を面白くなさそうに横一文字に引いた姿。そのままぶるぶると水浴びしたパルスワンのごとく体を震わせ、花びらを落とすと目が合った。相変わらず表情はそのままで、金色の瞳がエリックの姿を映し出す。それがエリックの笑いの沸点の限界だった。
「ほら見ろ、桜を軽く見た罰だ!」
 これ程滑稽なトレヴァーを今まで見ただろうか?多分これまでに見たと思うがこの場で思い出す事はできない。かわりに込み上げる笑いに身を任せてトレヴァーを見やる。トレヴァーはエリックに対して怒ることもしなければ悲しみもしなかった。ただ仏頂面のまま笑うエリックを眺め、そしてふっと息をついて口角を上げる。
「でも、俺はここに立っているぞ」
 それからはトレヴァーも笑いに加わり、二人は何について笑っていたかも忘れるくらい声を並木道に響かせた。最早この状況こそが愉快でならなかった。あまりにも楽しくて、あまりにも愛おしくて。そのまま二人は並木道を歩き出す。花びらの道を踏み締め、散策はまだ続く。
 やっと笑いが収まった時、エリックはトレヴァーの髪に桜の花びらが一枚乗っている事に気付いた。まだしがみついていたいと言わんばかりにしぶとい花びら。公園近くで売られているスコッチエッグがいかに美味しいかを滔々と語るトレヴァーに、エリックは頬を緩めながら相槌を打つ。彼に花びらの事を言うのはもう少し後にして、今は気付かないふりをしようと決めた。

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平成のオタクとして生まれたからには、誰もが一生のうち一度は夢見る「桜にさらわれるシチュ」。「この話」は「桜にさらわれるシチュ」を令和になって書いた作品である!(哀Believeのイントロを流しながら)
という事で11月に書いた春の桜の話でした。残念ながらトレヴァーは心が強いから望み通りにはならないんだ。
花にさらわれると言えば、ひまわり畑で迷子になるシチュも鉄板だけど、トレヴァーもエリックも長身だから迷子にならなさそうだし、他のガラルのCP達でもすぐ相手を見つけそう。
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