空走る電車 | ナノ
空走る電車

 今日はイレギュラーな日だと、配達用のリュックにアフターヌーンティー用のお菓子やサンドウィッチを詰め込みながらウォルターは思う。一つはこれがポケジョブである事。建前上は冒険者という立ち位置である以上、いつもはギルドから依頼を受けてその解決に向けて動き出すのだが、依頼がない日は人手が足りない店の助っ人として手伝いに行くのである。それが今日ウィンドンのバトルカフェで働いている理由でもある。
 そして二つ目は──店の外で通りを眺める青年をちらと見る。黒い帽子を目深に被り、サングラスをかけた姿でも上品な立ち振る舞いとポニーテールにまとめた炎のように鮮やかな長髪を見れば、見知った年上の友人だと分かる。彼は先ほどまでセドリックと名乗り、このカフェで一試合していたマルヤクデだ。その戦いぶりは圧巻としか言い様がなく、思わず配膳の手を止めて中庭のバトルコートを見入ってしまった程だった。確か彼は一昨日までバウタウンでパフォーマンスの公演に出ていた気がするが、と疑問を浮かべながらも店に出かける挨拶をしてウォルターは外に出る。
「やあ、セドリック」
「父さんの名前だよ」
「分かってるって、まさかウィンドンにいるなんて思わなかった」
「刺激を求めていてね」彼がサングラスを外す。「この街なら退屈しなさそうだなって」
 それに地元の街程外に出ても騒がれないし、と金色の瞳がそう語っているようにウォルターは感じた。彼の正体はモトストークの統治者の子息で、パフォーマーとしてのファンや親しい相手はセカンドネームのトレヴァーで呼ぶが、貴族としての彼はファーストネームのゴードルフで呼ばれるのが一般的である。種族や様々な階級の坩堝である
王都ウィンドンでは他のポケモン達に埋もれて目立ちづらいし、ゴードルフと呼ぶ相手も貴族と一部のメディアしかいないから気が楽だ、と以前彼が言っていたのを思い出しながら、ウォルターはトレヴァーと共に通りを歩き始めた。普段なら自転車を借りているところを徒歩で進んでいるのは、高低差の激しい場所に配達先の家があるからである。
「あーあ、ドンみたいに翼があればあっという間に着くのに」
 路地裏を抜け、坂を登りながらため息をつく。今頃造船所で作業の手伝いをしているであろうアーマーガアの親友が、今だけ羨ましい。よりによって面倒臭い住所に届ける羽目になったものである。しかも最寄りの駅が駅の少ないモノレールなのが一層厄介さを引き立てている。路線が広い地下鉄やバスを使えるならこの足取りがもっと楽になっていたのに、もっと言えばそもそも何故今日に限って空を飛べる従業員がいないのか。
「良いよね、空を飛べるって」
 トレヴァーの言葉に相槌を打ちながら視線を上に向ける。曇りがちなガラルにしては珍しく晴れ渡るような青空が広がり、ガラルの風物詩ともなっている黒光りするアーマーガアタクシーが行き交っている光景。ウォルターが暫く空を見上げていたのは青空を目に焼き付けたかったのもあるが、青空と同じくらい珍しい物体を見つけたからでもあった。
「飛行船でも良いから、僕を配達先まで送ってくれないかな」
 雲のように真っ白なツェッペリン型飛行船を見かけるとは。地下鉄やバスに乗っていたら見ることは無かったであろう飛行物体に思わず心が沸き立つ。国外等遠距離の移動手段として鉄道や船以外に使われるようになったのはウォルターが物心ついた頃からだが、今だに乗った事はない。きっと優雅で快適な空の旅が待っているのだろうと考えるだけでワクワクしてくる。
「飛行船ねえ」
「トレヴァーくらい社会的地位が高いなら、乗るのも日常茶飯事だって?」
「いやいや」トレヴァーが首を横に振る。「二度と乗りたくないね」
 帰ってきた答えにウォルターは目を丸くする。坂で重くなる足取りに無理やり力を込めて踏み出しながらトレヴァーを見れば、その表情は青空とは正反対に影が差していた。それが帽子のつばによるものなのか、坂道を歩く疲労によるものか、それ以外の理由かは判断できないまま、トレヴァーが続けて語り出す。
「聞かせてあげるよ、あれは俺が十一歳の時だ……家族旅行でカロスに行く時飛行船に乗ったんだが、ひどい乗り物酔いになってね。乗った直後からずっと顔が青くて親やグロリアから心配されたんだが、平気なふりをして」
「へえ」
「で、夕食の時間遂に耐えられなくなって夕飯全部テーブルに吐き出した」
「それはお気の毒様」
「それから数日間はずっと船室のベッドで寝ていたけど、水も飲めないくらい吐き気が酷かったし、寝ても悪夢ばかり見てさ。寝る度に違う悪夢ばかり見るんだぞ、乱気流に飲まれる夢とか、飛行船から落ちる夢とか」
「乗り物酔いに寝不足か」
「そんな感じで地上に着いてすぐカロスの病院に直行したって訳。忘れられない思い出になったよ」
 苦々しく語るトレヴァーを見ればそれ以上は何も返せなかった。気付けば既に坂は登り切っており、平坦な道に変わっている住宅街を二人は歩いていた。確かにトレヴァーの鉄道や船での話はこれまでにも聞いた事があったが、飛行船の話は今の今まで聞いた試しがなかった。彼は親の仇を見るかのように険しい顔つきをしていたが、その表情はすぐに穏やかなものに変わる。
「でも、空が嫌いって訳じゃないよ。アーマーガアタクシーより高いところに行けたら楽しいだろうなって思うし、いつかは気球ってやつにも乗ってみたいと思ってる。良いよね空って」
 空を見上げながらトレヴァーが口を開いた時には、既にいつもの彼に戻っていた。相変わらずの変わり身の早さに驚きつつ、ウォルターはそう言えば、と辺りを見回す。そして見上げた先に浮かぶお目当てのレールと電車を発見する。
「あれに乗った事はある?」


 モノレールの窓に顔を近づけて、トレヴァーは感嘆の息を漏らす。まるで初めてモノレールに乗ったかのような(実際初めてだと彼は語った)反応で、ボックス席の向かい側に座るウォルターはもし彼が獣型のポケモンであれば、耳や尻尾を分かりやすく振っていたであろうと苦笑した。
「刺激にはなった?」
「そうだね」トレヴァーは窓から目を離さない。「ウィンドンにこんな乗り物があったなんて」
「僕だって片手で数える程しか乗ってないよ、大体は地下鉄とバスで事足りるし」
「でものんびり空を眺めたいって時にはピッタリじゃないか?」
 窓側の席に座るトレヴァーと違い、ウォルターは窓側に配達用のリュックを置き、自身は通路側に座っている。そこからでも窓からの景色が美しいのは分かった。澄み渡る青空に大きな川、川の側面に広がるおもちゃのブロックをつなぎ合わせたような小さな街並み。こうしてまじまじと景色を眺める経験もウォルターにとってこれが初めてだった。確かに、空を飛んでるみたいで楽しくなってくる。
「トレヴァー、空だけじゃなくて下を見るのも楽しいよ。ほら歩いてるポケモンがゴミみたいで」
「ゴミとか言うなって、せめて米粒とかにしとけ」
 その瞬間二人の目が合い、同時に噴き出す。こんなに生き生きとしたトレヴァーの表情には見覚えがある。まだ彼が庶民の嗜みや娯楽を知らなかった時期に、ドンと一緒にウィンドンの街中を連れ回して世俗に染め上げた時に見たあの顔だ。もう教える事は無いと思っていたが、愛嬌ある笑顔を見せられたらもっと教えたくなるような事柄を探さねばという気持ちが湧き上がるから不思議なものである。きっと彼の知らないところで、彼に魅せられた相手もいるんじゃないだろうか。
 こうして景色を眺めたり、他愛無い会話をする間に次の停車駅を告げるアナウンスが車内に流れ、ウォルターはハッとする。次の駅が降りる駅だ、トレヴァーに目配せすると彼は少し考え込みながら帽子を被り直した。
「いや、終点まで乗ってるよ。もう少し景色を楽しみたいからね」
「言うと思った」
「良いものを見せてもらったし、お礼もしなきゃ」そう言ってトレヴァーが鞄からハート型の小さなチョコレートを取り出す。「バトルカフェで貰ったやつだけど」
「ありがとう」
 早速包装を開いて口に入れると、ビターな味わいが口の中に広がったところで甘さが押し寄せてきた。これは甘い物が苦手なトレヴァーが食べなくて良かったやつだ。
「また面白い物があったら教えてくれ、大急ぎで飛んでくるから」
「探してみるよ」そう言い残して隣の席のリュックを担ぐと車内から外の世界へと出る。
 電車の発車を知らせるベルを背後に聞きながら、駅の改札口へと向かう中でウォルターは抜けるような青空が忘れられなかった。空の移動は飛べるドンの背に乗って何百回とやっているが、乗り心地の悪い席で優雅に景色を楽しめる余裕はなかった。モノレールに乗れたのは良い機会だったのかもしれない。
 そしてはしゃぐトレヴァーの姿。年甲斐もなく、という事はないが彼なりにこの状況に喜びを見出しているのは隣で見ても伝わってきた。あんなに人生を謳歌している顔を見ると、自分も楽しい事を探したくなってくる。今日のポケジョブが終わったらいつもと違うルートを通って家へ帰ろうか、気になっていた店もあるし、良かったらトレヴァーにも紹介してやろう。
 駅を抜け、トレヴァーから貰ったチョコレートの風味に心地よさを覚えながらウォルターは歩を進める。目的地はすぐそこだ。そう思うと疲れの幾分かは帳消しされたように感じた。
 だからイレギュラーな日は楽しい。思いもよらない事にワクワクできるなんて最高だ。

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トレヴァーの飛行船嫌いと弊ガラルの世界観を描きたかった話でした。
ロンドンの公共交通機関と言えば地下鉄なのに、どこからモノレールが出てきたんだ?て思ったのがウィンドン(シュートシティ)のモノレールに抱いた最初の感想でした。そして今も抱き続けている。
多分テムズ川のケーブルカーが元ネタなんだろうけど、あれが何故モノレールになったのかは製作陣のみぞ知る点である。
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