負けず嫌いの夜 | ナノ
負けず嫌いの夜

 胡桃色を基調とした色合いの店一面を酒瓶と額縁、そしてポケモン達が覆い尽くす光景。トレヴァーがお勧めだと語るウィンドンのパブに二人で乗り込んでからそれなりに時間が経つが、今なお未知の空間に僕の胸は高鳴っていた。
 パブ自体はキルクスの街で何度か足を運んでいるが、いつもは昼間にしか行かないので日が落ちてからの姿を知らなかかったのである。酒を取り扱う店故に夜の方が賑やかだと頭で理解はしていても、実際に老若男女で溢れかえる空間を目にすると、これが噂に聞いていた賑やかさかと感心する。店内に響き渡る会話や笑い声は、まるでパーティーでも開かれているようだ。
「それでカールが言ったのさ。『俺たちは高みを目指すしかないんだ、燃え上がる炎である以上はな』って」
「中々面白い事を言う従兄弟だな、一度会ってみたいものだ」
 そんなパブで、僕とトレヴァーは最近の身の回りの出来事を話していた。僕の出来事と言えば最近詩作に関してスランプである事と姉がつまらない買い物を自慢していた事くらいしか無いが、反面トレヴァーの話はついモクテルをあおる手が止まる程で、巡業先の話から、彼のホームタウンであるモトストークでの話まで多彩な話題が彼の口から飛び出すのだった。彼のパフォーマンスが常に新鮮味に溢れている理由だ、と心の中で思う。色々な経験を糧にして力にしている、だからトレヴァーは強い。
「カールならジムリーダーでもあるし、戦いたいですってモトストークに行けば会えると思うよ」
「ジムチャレンジの登録をしてない状態で行っても迷惑じゃないか?」
「いや、バトルジャンキーだしいいよって言ってくれると思うけど」
「ふうん、考えておこう」
 話題はトレヴァーの従兄弟カールの内容になっていた。一人っ子のトレヴァーがあたかも兄弟がいるかのように彼の事を語る姿を見ると、こちらも表情が伝染する。カールに出会ったことは無いが、貴族である以上社交界に現れる可能性はゼロとは言えないので、そのうち会えるだろうとトレヴァーの話に耳を傾ける。或いはトレヴァーの言う通り果し状を送り付けても良いかもしれない。流石にジムチャレンジという、膨大な時間と準備が必要となる祭典に飛び込むつもりはないが、トレヴァーと親しくしていると言えば快くオッケーを出してくれるだろうか。しかしジムチャレンジの関門を務める相手が立ちはだかるとなれば、それでもかなりの準備が必要となるのは目に見えている。この話題は保留にして、思い出した時にでも検討しようと決める。
 やがてカールの話題から各地に点在するバトルカフェの話題に移ろうとトレヴァーが口を開いた瞬間、その声は店内中に響き渡る歓声でかき消された。何だ、と思わず口を開いた自分の声が聞き取れないくらいのどよめきが更に店を覆い尽くすものだから、嫌でも発生源が気になって目を向けるしかない。
 そしてトレヴァーと共に椅子を横に向けると、大型テレビが天井から吊り下げられているのが目に入った。その周辺に集まり食い入るように見上げる客達。映し出されている画面には、倒れるカイリューと誇らしげにバトルフィールドに立つハルクジラの姿があった。
「これか」トレヴァーが頷いてモクテルに口をつける。僕も今日の番組表を思い出してテーブルに膝をついた。
 国民の戦闘能力向上を掲げるガラルではバトルが興行化されており、ジムチャレンジのシーズンになると各地で繰り広げられるバトルがテレビ中継されるのである。小中学生の頃は前日の試合を見て両者の戦略やバトルの流れをレポートに記す宿題を嫌と言うほどやらされたものだが、今は娯楽の一つとして何も考えずに観戦できる。
「カイリューがテラスタルできれば勝負は変わっていたかもね」
「無理に決まってるよトレヴァー、ここはガラルだ」
「それもそうか」
 パルデアにしかないとされる不思議な力を頼れる訳もなく、画面はハルクジラの勝利者インタビューに変わっていた。するとパルデアからはるばる挑戦しに来たと語る彼もトレヴァーと同じ事を語っており、思わず僕はトレヴァーに視線を移した。きょとんとした表情のマルヤクデ。そしてどちらからともなく笑い合う。彼の穏やかな笑みにますます愛おしさを感じて口角が緩んだ時、テレビ中継は別会場の試合を映し出そうとしていた。
「次の試合は……マルヤクデとセキタンザンか」
 両者の実力の拮抗具合は分からないが、同じであればセキタンザンが勝つ。見る必要も無いなと視線をトレヴァーに移そうとした時、トレヴァーが素っ頓狂な声を上げて画面を指差した。
「カールだ!エリック、あれだよカールは!」
「あれが?」
 両者を紹介する映像が流れるテレビに再び目を移せば、そこにはトレヴァーには似ても似つかぬ男性が勝負前のインタビューに答えていた。トレヴァーと違って真紅の髪と筋肉質な体型をしており、事情を知らなければ二人が親類とは到底思えない。続いて対戦相手のセキタンザンが映し出されると、今度は僕が声を上げる番だった。
「クライヴじゃないか!こんなところで見かけるなんて」
「キルクスのジムリーダーだっけ」
「でもあるし、僕の友人の一人さ」キルクスの街の発展の為に尽くしている郷里の友人の姿に、思わず握る手に力が入る。「頑張れ!君なら勝てる!」
「違うな、勝つのはカールだ。相性なんてひっくり返せるくらいにカールは強いぞ」
「今までのクライヴの試合を見てないのか?あいつなら絶対今回だって勝ってくれる」
 新たな試合の始まりに再び店内がざわめく。客の殆どがテレビに釘付けになっている中で、トレヴァーが不意にテーブルにのど飴を置いた。細長いパッケージは開封されており、個包装の飴のいくつかを彼が既に食べたと思わしき痕跡が残っていた。
「だったらこいつを賭けてやる、クライヴが勝ったらこれをあげよう」
「自信満々だな、君がそう言うなら」鞄を漁る。のど飴に釣り合う物ならチョコレートがあるが、甘い物が苦手なトレヴァーには差し出せない。それならば、と未使用のメモ帳を取り出す。「これでどうだ?」
「よし、カールが勝ったらそれは俺のものだ」
「いや、僕がそののど飴をいただこう」
 実のところ、開封済みののど飴を見て僕の心は試合へ抱く感情とは別な高揚感が湧き上がっていた。トレヴァーが手をつけた物だと知っただけで、何故こうも心臓が跳ね上がる?たかが彼の所有物に。幼稚すぎる自分に嫌悪感を抱きつつ、それでも彼が置いたのど飴が気になって仕方ない。そしてトレヴァーの顔も。
 かっと顔が火照る感覚を覚えたのもあって、トレヴァーから顔を逸らすようにテレビの試合に集中する。試合は順調に行われ、中盤で両者がダイマックスした時はクライヴの勝利を疑わなかった僕ですら息を呑む展開になった。
「勝ったな、メモ帳はもらった」
「まだだよ、最後に立っている方が勝者だ」
 そして心中で祈る。クライヴが勝利しますようにとただひたすら、彼の為でもあり僕のためでもあり。最終的にはその祈りが届いたのか、最後のぶつかり合いの砂塵が晴れた後によろめきながらも二本の足で立つクライヴと、地面に倒れ込むカール、そしてクライヴの勝利を高らかに実況するアナウンサーの叫びがテレビに流れた。店内で湧き上がる歓声。拳を握りながら悔しがるトレヴァーの横顔。
「くそっ、勝負は勝負だ」
「どうも」勝利の余韻に浸りつつ平静さを取り繕ってのど飴を受け取る。パッケージの一部が剥がされて商品の正式名称は読めないが、ノンシュガーと書かれてある。トレヴァーらしいチョイスだ、と思った瞬間全身が熱くなったような感覚に襲われ、それ以上はパッケージを見れず乱雑に鞄の中に押し込んだ。
「エリック、俺はまだ負けちゃいない。次のバトルはブリムオンに賭ける」
 その言葉で僕は我に返る。炉のように煌めく目を吊り上げ、鮮やかな朱色の髪を不満げに弄る様子は今まで見た事ない彼の姿だった。まるで不貞腐れた子供のようにも見える彼に可愛い、と言いかけた口を噤み、代わりにもう一つの言葉を口にする。
「まだやるのかい?」
「勿論。次はこのミステリー小説を賭けようと思うけど、読んだ事は?」
「無いけど……尚も賭けようとするんだな」
 当然、と鼻を鳴らすトレヴァーを見るとそれ以上は何も言えず、僕も読んだばかりの歴史小説を取り出してテーブルに置く。それからは散々な結果だった。カールとクライヴの戦い以降更に数試合観戦したのだが、トレヴァーの賭ける相手は悪魔に取り憑かれたかと思うほど負け続け、試合が終わる度僕の前には様々な物が並べられた。小説本、香水、リップクリーム、サングラス。実力が拮抗している対戦カードが続くにも関わらず的確に負ける方を引くのだから、僕は賭けながら負け続ける確率を計算する程だった。二分の一、四分の一、八分の一、十六分の一……。
「トレヴァー、この辺にしたらどうだ?」
「いや、俺はまだ諦めないぞ。何なら次はこの腕時計を賭けてやる」
 何十分の一を数えたところでゴトリとテーブルに置かれた時計が、店内の照明の光で金色に鈍く光る。最初こそトレヴァーの所有物にときめいていた僕も額に汗を滴らせ、目を血走らせるトレヴァーを眺めるうち不思議と状況を冷静に俯瞰できるようになっていた。僕は相変わらず小説本を賭けている。トレヴァー側のテーブルには飲み干されたモクテルのグラスと、腕時計しかない。テレビに目を移せば、バウタウンのジムリーダーのカジリガメと、挑戦者のバイウールーの試合が始まろうとしている。炎タイプだからか熱くなりやすい、とトレヴァーが以前語っていたのを思い出す。その時は常に落ち着いていて大人びた彼がそんな姿を見せるものかと首を傾げたが、その意味がこうして分かるとは思ってもいなかった。
「僕は挑戦者に賭ける」
「なら俺はジムリーダーに」
 レポートの山に追われていた日々を思い返してため息をつく。授業のいくつかは、将来生きていく上で必要かと感じる事がある。だがこれだけは断言できた。どちらが勝ち、どちらが負けるかを直感的に判断できる能力は絶対に必要だと。トレヴァーもバトルの経験はある方だが、集中力と判断力を欠いてる今は僕と逆の方に賭ける事しか考えられなくなっているだろう。だから、僕が先にどちらに賭けるかを口にした。後は思った通りに試合が進む事を願いながら。


「ごめん……酷い姿を見せてしまって」
 パブから出ると、外は建物からの照明と街灯が暗闇の街を照らすだけとなっていた。隣を歩くトレヴァーは僕と然程身長が変わらないのだが、今はその背中が小さく見える。
「しっかりしろ」その背中を僕は叩く。「最後は勝てたんだから良いだろう」
「でも、あそこまで取り乱してしまったのは事実だ」
「物品だって結局僕はのど飴しか貰ってない。後は全部返した、それで充分だと思わないか?」
 トレヴァーが肩をすくめる。素面であの有様だと考えると、一周回って清々しく見える。醜いまでの諦めの悪さは、寧ろ曝け出してくれて有難いとさえ思えてきた。もう賭け事には発揮しないでほしいが、それを別な場面で見てみたい。例えば彼自身がバトル場に登場したら、どんな勝負を見せてくれるだろう。きっととんでもない勝負根性で観衆を沸かせてくれるに違いない。
「まあ、トレヴァーもあんな顔もするんだなっていうのは見てて面白かったよ。流石に賭け事は控えてくれると嬉しいけど……」
「ああ、そうする」
 目の前の赤信号に気付かず歩を進めようとするトレヴァーの腕を掴み、行き交う車のライトを眺めながら考える。それでも僕は彼の負けず嫌いが好きだ。大人びた仮面を剥がし、彼のありのままを見せてくれる。そのありのままが何より愛おしく、守ってやりたくなるのだ。それに、不貞腐れるトレヴァーを思い浮かべてふっと息をつく。今まで見た事もなかったあの表情が頭の中から離れないのである。あの可愛らしい表情を見せられたら多少の事は許してやりたくなってしまう。今だってひどく落ち込みながらもある程度体裁を整えた彼が勿体なく感じてしまうくらいに、あの姿は魅力的だった。
「ほら青信号だ、行くぞ」
 横断歩道を渡り、照明の消えた店が並ぶ通りへと向かう。相変わらずトレヴァーは萎びた葉野菜のようにしょげかえっており、寂しげな表情で横にいる。
「元気出せ、誰だって悪いところの一つや二つはあるものさ」
「それを見て幻滅しただろう」
 まさか、と口にしようとして思いとどまる。秘めた思いを発する訳にもいかず、僕はただ小さく首を横に振ってのど飴を取り出した。
「今は何も考えるな、これでも食べて落ち着け」
 暗闇の中で袋から包装に包まれた飴を取り出し、トレヴァーの手に置く。それからもう一つを自分の手のひらに出して包装を剥がす。
「ありがとう、エリック」
 飴を口に入れた瞬間、むせかえる刺激に吐き出しそうになって手で口を抑えた。ベリブの実の酸っぱさとトレヴァーの微笑みで一瞬頭が埋め尽くされる。やがてのど飴特有の清涼感が押し寄せたところでやっと正気を取り戻せた。思えばのど飴以外全部返したのだが、小説だけは返さなくても良かったかもしれない。読んだ事のない小説で、タイトルも面白そうだった。今になって己の行動を少し悔いつつ、トレヴァーを見れば表面上はいつもの彼を取り戻せているようだった。憂のある雰囲気は残しつつも、落ち着いた佇まいはいつもの見慣れた姿だ。
 ここで小説だけ返してくれと言うべきか、言わないべきか。のど飴の酸っぱさは、今夜の余韻のように口の中に残り続けた。

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二人がテレビでバトル観戦する話を書きたいと思ったら、当初とは違うベクトルに話が突き進んでいた。
という事でトレヴァーの負けず嫌いが伝わったら嬉しいなという話でした!負けず嫌いは時にエリックをスン……とさせる。
きっとこの後二人でいる時にトレヴァーが賭けようとしたらエリックが制するようになるでしょう。トレヴァーに惚れてる彼でもこればかりはね……て思ってるし、トレヴァーも一応自制するようにはなる。
個人的にはトレヴァーのカバンの中身の一部も公開できたのが良かったところ。他には音楽プレーヤーや、エリックからの手紙を持ち歩いています。
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