初めましての差出人 | ナノ
初めましての差出人

 トレヴァーがそのメモを拾ったのは、上流階級同士のパーティー会場の隅で疲れた身にモクテルを流し込んでいた時だった。何やら大層な意味があるらしいが、美味しい事に変わりはないズアの実とべリブの実を混ぜたそれに舌鼓を打っていると、ふと足元に手のひらほどの大きさの白いメモ用紙が目に入る。豪勢すぎる照明の眩しさに目を回しそうになり、視線を下に向けていたが故に気付いた事だった。
「誰かのメモかな」
 飲み干したカクテルグラスを近くのテーブルに置き、腰を落として紙切れを拾いながら先程まで会話していた相手を思い浮かべる。王都ウィンドンの名だたる某貴族、学都ハンマーロックの領主一族、それから温泉街キルクスに住む深緑の目をしたモスノウの青年。年は自分と同じくらいだろうか、背丈もほぼ同じで、どこか自信に満ち溢れているようでいて謙虚さも持ち合わせているような、そんな男が最後に会話した相手だった。彼の事は一方的ながら知っている。確か飛び級で入った大学時代、たまたま本屋で立ち読みした文芸誌に写真が載っていたのである。キルクスの若き詩人。
「エリック・フロストバース?」
 近づいてきた彼におぼろげな記憶で問えば、相手はサイレント映画の俳優よろしく、オーバーな程にぎょっとした表情を浮かべ、その通りだと答えた。
「僕を知っているとはな、それ程僕の名声が広まってたという事か」
「昔文芸誌で名前を見た気がして」
「何だあの雑誌か、たまにあそこに作品を載せているんだ」
 それから暫く他の貴族達を観察しながら話に華を咲かせていたのだが、内容は至って他愛のないものだった。天気の話から、彼が作品を載せている文芸誌の事、それから古典文学に関して。古典文学に関しては同じ階級の同世代に話しても盛り上がらない話題のため、ここまで食いついてくれる相手がいる珍しさに思わずトレヴァーも饒舌になっていた。
「それにしても、そんな年から文芸誌に作品を載せてるなんて相当文才があるんだな」
「ふっ、照れるな。でも君の事だって知っている……パフォーマーとして頑張っているんじゃないのか?」
「……そうだね」 
 上流階級の場でパフォーマーとしての顔の話題が出ると少し気恥ずかしさがある。師匠から離れ、一人で活動するようになってから二年が経つがまだ慣れないものがある。思わず編み込んだ髪を触りながら次の言葉を考えていると、その間にエリックは別な貴族に声をかけられて去ってしまった。そうだ、その時彼が何かを落としたような気がする。それがこの紙じゃないだろうか。
 興味本位でメモ用紙を裏返す。そこには詩と思わしき短文が雑ながら丁寧な筆跡で書かれていた。詩作する彼にとってはいかなる場でも忘れる前に閃きを書き留めなければならないのだろう。このメモもその閃きの一部らしく、思わずトレヴァーは見入ってしまう。流れるような筆跡で描かれているのは賑やかなキルクスの街の様子で、観光客と貴族でごった返す混沌が二行程度の短文でまとめられていた。トレヴァーもキルクスの街に何度か足を運んだことがあり、文章を読んでいるうちその光景が脳内に浮かび上がった。コートとコートの擦れる音、忙しなく響く足音、屋外の温泉の湯気。エリックのメモで間違いない、と頷く。
 そしてもう一つ、メモの内容に見入ると同時にトレヴァーは既視感を覚えていた。この筆跡をどこかで見た覚えがある。必死に脳内のストレージを漁る。グロリアの字ではない、そこまで丸みを帯びてないならば父さんの字?いや、そこまで行間は詰め込まれてない。それじゃどこでこれを見たんだ?
「あっ」
 それに気付いた時、トレヴァーはメモを取り落としそうになった。これまで送られてきたファンレターの中でも、一際情熱的なメッセージを寄せる相手がいる。その相手は宛名と住所から、「メイナード」というキルクスの高級住宅街に住む誰かという事しか分からないのだが、女性ともとれる筆跡と文字の癖、特に数字の書き方はまさに彼の字だ。貴族故に高級住宅街に住んでいてもおかしくない上に、メイナードという名前。今までトレヴァーは名字だ思っていたのだが、男性名にも使われる。そして先程エリックとの会話で本名の話題が出た時、彼ははっきりこう名乗っていた。
「エリック・“メイナード”・ウィルフレッド・フロストバース……!」
 考えるよりも先にトレヴァーの足が動き出していた。エリックの去った方へ走り、廊下へ出ていくつかの小部屋を覗きながら多くの顔、顔から該当する相手を探す。長身の自分と同じくらいの背丈で、分かりやすい触覚を生やした全身真っ白の出立ちという目立つ相手だからすぐ見つかると高を括っていた自分を呪ってやりたい気持ちを抑えながら、最後の小部屋の扉に手をかけた時、背後から声がした。
「そんなに慌てて、どうしたんだ?」
 探していた相手の声に、今度はトレヴァーがサイレント映画の俳優になる番だった。高い瞬発力で扉とエリックからさっと離れると、編んだ髪にピリピリする感覚を覚えた。例えるなら、ニャースが驚いた時に毛並みを逆立てるような。
 話さなくてはならない。今まで顔も知らなかった文通相手が目の前にいること。鼓動が早くなる。彼は昔、どん底まで落ち込んだ自分を励ましてくれた事もあった。そんな恩人だなんて今のエリックが知る由もないだろう。だが、ここで口を開かなかったら自分はこの先ずっとモヤモヤしたまま過ごす事になる。それだけは嫌だった。
「あ、あのさ」きょとんとするエリックを前に深呼吸し、トレヴァーが再び口を開く。「これ、君のだよね」
「あっ、どうも」
「良い詩だった」
「そうだろう、もっと褒めてくれて良いぞ」
 違う、そうじゃない。もう一度息を整えて彼の深緑の目を見る。
「えっと、この筆跡とメイナードのセカンドネーム。君、俺に手紙を出した事はないか?」
 しばしの沈黙。扉の向こうからゲームに興じている大人達の笑い声だけが廊下に響く。エリックから自信げな表情は消えていた。今の自分と同じ、驚きと困惑と焦りに満ちた顔。今の二人を通行人が見れば滑稽な姿に見えるに違いない。
「……うん」永遠にも思えた時間が途切れた瞬間だった。「その通りだ」
 その通り。彼の言葉を頭の中で繰り返す。それが分かったところで、また何と返せば良いか言葉が出てこない。色々な思いが今のトレヴァーを駆け巡っていた。まさか君だったとは、なぜセカンドネームだけ宛名に記していたのか、落ち込んでいた時は手紙に本当助けられた、その他諸々。
「……ありがとう」
 そして、散々考えた末の一言が口から漏れる。スーツの裾をぎゅっと掴みながらゆっくり言葉を紡ぐ。
「昔からずっとファンレターを送ってくれたの嬉しかったし、手紙を送ってたって事は、俺の舞台何度も見に来てくれたって事だよな」
「ファンなら当たり前だろう」エリックは触覚の片方をしきりに弄っている。
「それができるのは並大抵の行動力じゃできない。それだけ応援してくれるなんて、その、いざされると……」
 その瞬間小部屋の扉が開き、わらわらと貴族が部屋から出てくる。一瞬で場は騒がしくなり、トレヴァーとエリックが場に呑まれるのもそう遅くなかった。
「今度から宛名にはエリックと書いてくれ」
 結局トレヴァーはそれだけ伝えてエリックと別れるしかなかった。セカンドネームしか宛名に記さなかった理由は聞けなかったが、そのうち手紙に書いてくれるだろう。喧騒の中別な貴族に話しかけられる間際、ポケットの中に何か入れられた感触を覚えてトレヴァーが手を突っ込むと、四つ折りのメモ用紙が入っていた。
 貴族と天気の話をしながらそのメモを開く。あの筆跡で電話番号だけが書かれている。相変わらず数字の書き方の癖が強い、丁寧な字。急いでポケットにしまいながらトレヴァーは、電話でも問いただせるなと思いながらガラルの最近の天気がいかに曇りがちかを語り始めた。


 その言葉にエリックは飛び上がりそうになった。心臓をぎゅっと掴まれたような心地に呻き声が出そうになり、口を固く結ぶ。彼に話しかけようと近付いて名前を呼ばれた時もつい声が出てしまったが、もう二の舞にはなるまいと心に誓う。
 扉が閉められた先の小部屋では呑気な貴族達の声が聞こえてくる。気まずいまでに静まり返った沈黙から平和な領域に逃げ込んでも良いかもしれないが、そこに飛び込むくらいならトレヴァーに全て明かした方が良い。
 小さく頷き、彼に手紙を送っていた事実を認める。そして再びの沈黙。これまでセカンドネームしか宛名に書かなかったのは、彼に対する遠慮と奥ゆかしさ故の行為だ。本当は彼がまだ大きな街の大貴族の子息の肩書きしか持っていない頃から知っている、とも記したかったが不審がられる行動は極力取りたくない。いや、そもそも手紙をしばしば送っていた行動すら彼にとっては不審に思えたかもしれないと、今になって考える。ああ、次は何を言われるのだろうか。
 だがエリックの予想に反してトレヴァーの口から出たのは「ありがとう」の一言だった。心臓がうるさいまでに跳ね回る。今なら勢いに任せて彼に秘めた思いを伝えられそうな気がして、いやいやと触覚を弄る。平常心を保つのが難しい。火照った顔も見られたくなかった。
「それができるのは並大抵の行動力じゃできない。それだけ応援してくれるなんて、その、いざされると……」
 君だからさ、と言えるほんの少しの勇気が欲しかった。君の炎があまりにも美しくて、強くて、焦がすくらいに熱い、その熱に当てられたら誰だってそうするしかないじゃないかと。ただ幸か不幸かそこで近くの小部屋の扉が開き、貴族達がわらわらと部屋を後にし始めたため会話は立ち消えとなった。これで良かったのだろうか?エリックの中で二つの声が響く。「それで良かったんだ」「いや、良くないだろう」そしてその声は後者の方が大きかった。
 人混みの中でトレヴァーの声を聞きながら、急いで懐から取り出したメモ帳に携帯電話の番号を書く。あの手紙の主が自分だとバレた以上、これくらいタガを外したって良い。宛名の件は彼の言う通りにするつもりだ。
 乱暴にメモ帳から紙を引き剥がして畳むと、間一髪のところでエリックはトレヴァーのズボンのポケットにメモを忍び込ませ、まだ熱を帯びた顔を伏せるようにその場から離れた。
 逃げるように走り去る彼を不審がる者はいない。それでもエリックは周りの視線が痛くて、一層足を速めた。もうどうにでもなれ。この先の未来が明るかろうが暗かろうが、僕たちの関係はこうして始まったのだから。

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トレヴァーとエリックの出会いの話を書きたい場面だけ書いた。
いつもの色々小説お題ったー(単語)で「「蛾」「落し物」「癖」がテーマのトレヴァーの話を作ってください。」とお題が出されてケツ叩きにあった裏話もあったりします。
互いにわーってなってる二人にほわんとしていただければ幸いです。
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