消えない炎 | ナノ
消えない炎

「これさ」トレヴァーが懐からよれよれになった四折りの紙を取り出し、カフェのテーブルに広げて見せる。丁寧な筆跡で書かれたそこにはトレヴァーのパフォーマンスは極上の素晴らしさを誇り、それを目にした時に救われる気持ちだった。その炎を絶やしたらいけない、君はそれで何人もの相手を救わなくちゃいけないんだ、君はこれからも絶対伸びるし僕は変わらず応援し続ける。そんな内容が裏に跡が残る程に刻まれていた。「今も時々持ち歩いて、自分を見失いそうになった時に読み返している」
 その一言に思わずエリックは手にしたティーカップをテーブルに落としかける。この時の手紙は今も覚えている。一年半前のトレヴァーはまだ客がつかない頃で、エリックは閑散とする会場に足を運ぶうち、ふと彼の表情に陰りが見えていることに気付いた。もしかしたら彼はショーを畳むかもしれない、その直感がエリックにとっては苦痛だった。普段筆圧をかけて文字を書くことのない自分が、珍しく魂を込めてペンを取った瞬間。だが今となっては何て愚かな過ちをしでかしてしまったのだろう、という感情の方が強い。
「嘘だろ」
 感情がエリックに言葉を発させる。なんとか受け皿にティーカップを乗せ、向かい側に座るトレヴァーに悟られまいと少し目線を逸らす。忘れられない手紙がある、と呟いたトレヴァーにどんなものかと軽い気持ちで聞いた己の行為を後悔しても遅い。
「あの時の僕はトレヴァーの事を何も知らなかった、それなのにまるで、気持ちを理解しているような偉ぶった書き方をして……」
 そうだ、あの時の自分は彼のパフォーマーとしての名であるG・トレヴァー・HのGがゴードルフ、Hがホリングワースである事を知る、当時数少ないうちの一人である事に対して優越感を持っていた。それだけじゃない、彼の存在は彼が突然パフォーマーに転身する前の、大きな街を継ぐであろう領主一族のご子息だった頃からその名前を雑誌や新聞で見かけていたから知っている。だがその本心なんて知る由も無かった──いつだって僕は観客席から呑気に眺めるだけだ。高所から彼はこういう奴だと勝手に推測している。
「その手紙の事は忘れてくれ」
 思わず、エリックはテーブルに肘をついて頭を抱える。憧れという感情から一歩前進し、彼に歩み寄ったことで見えた景色がある。その美しさは目の前の手紙を書いた当時に抱いていた幻想を打ち砕くには充分すぎる。手紙の先にいるトレヴァーの目を見たくなかった。炉のように燃える瞳、炎のように揺れる髪が白い氷の蛾を蒸発させようとしている。
 だが予想外にも、放たれた言葉には困惑と優しさが溢れていた。
「どうしたんだ急に」
「いや、だから失礼すぎる手紙をよこしたんだぞ。こんな不躾で、下手すれば君の従者に刺されかねない──」
「グロリアは刺さない、ギターで頭を叩き割ってくるところだ」
「それじゃ、ギターが壊れるくらい叩きまくってくる」
 グロリアはトレヴァーの従者である。音楽を愛する彼女が楽器を壊すだろうか?という疑問がエリックの脳内に浮かぶが、どうやら今の自分は冗談を冗談と受け止めきれないようだ。脳内ではそのまま、鬼の形相をした紅茶のお化けが弦とネックだけになったギターの残骸を抱えて少年のエリックを追いかけ回している。
「エリック」
 名前を呼ばれてドキッとする。まだ顔を上げられない。
「君は確実に俺に炎を宿してくれた。あの時の俺は自分がまるでペテン師のように見えて、こんな事を続けて意味があるのか、て本気で己を見失いかけていた。かと言って半ば家出同然に実家を飛び出したから、今後どうすれば良いか途方に暮れてさ……どこかのカフェでピアノ弾きかギター弾きにでもなろうかと考えていたくらいだった。言ってしまえば消えかけの炎だったんだ」
 君のピアノやギターだっていくらでも聴いていられる、と口にしかけたが、冗談か本気かを判別できない今は沈黙するのが正解だろう。少しだけエリックは顔を上げる。それでもまだ彼の顔は視界に入っていない。
「現実はそうはならなかった訳だけどね。君の手紙がある日届けられて、封を切って読んで、泣いた。あの時は本当に心が折れそうだったから、力強い励ましが何よりも嬉しかったんだ。こんなに熱心に見てくれる相手がいるなら立ち上がるしかないじゃん。書いてる事は本心だろう?」
 勿論とゆっくり頷く。あの時のエリックは家のために無理をしていた時期で、そんな時にトレヴァーの炎に魅せられた。なぜ大貴族の子息という立場から降りたんだ、という幼少からの密かな対抗心は変容し、そこにあるのは強い思いだけ。僕だって負けてたまるか。今だって同じように考えている。
「それに、俺みたいな奴が誰かの助けになったのが嬉しくてさ。だから普段返信しない俺が返事を出したんだぞ」
 トレヴァーは当初から貰った手紙に対してはパフォーマンスで返す、というスタンスのもと活動している。彼がパフォーマーの修行を積んだ師匠からの受け売りかは知らないが、随分と大人びた考えだとエリックは思う。だから彼から返事が来るなんて最初は思いもよらなかったのを今でも覚えている。今となっては当たり前になった文通も、最初は一方通行だったのだ。
 エリックの目にまっすぐこちらを見つめるトレヴァーが映る。驚くほどハンサムで凛とした佇まい。憎たらしいほどイカしている。そんな彼がニッと笑い、拳を胸を置く。
「エリック、この炎の一部は君に生かされている。それを忘れるな」
 ああ、とエリックは心中で唸る。あまりにも輝かしく温かい炎のような奴。今の僕に君を引き寄せてキスできる勇気があったらどれ程良かっただろう。苦悩と喜ばしさで悶々とする心を落ち着かせようと紅茶を胃に流し込む。勿体無い言葉と謙遜するつもりはない、寧ろ寄り添うだけじゃ嫌だ、という段階から更に一歩踏み出せている。紅茶の芳醇さを適当に味わいながら考える。だが世の中はまだ思い通りにならない。
「良い事を言ってくれるじゃないか、僕が点けた炎、大事にしてくれてるよな?」
「ああ、現在進行形でね」
 相変わらずトレヴァーは目の前の相手に気付かない。諸々の感情が渦巻くエリックを尻目に湯気の立つ紅茶を飲み干す姿にエリックはため息をつく。きっと僕はこれからもトレヴァーのために熱心にファンレターを送るだろう。無論彼を純粋に応援するためだが、果たしてもう一つの気持ちに振り向いてくれるのはいつになるのやら。でも今は、彼の炎で暖をとりながら今を噛み締めるのが一番だ。数年間心の中で燻っていた思いが昇華された心地よさに浸っていたいのだから。

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これくらいの長さのネタを漫画もどきで描くか文章で書くか、非常に悩むところ。
今回はエリックからのトレヴァーを描きたかったのもあって小説形式にしました。
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