きっと別な炎でも | ナノ
きっと別な炎でも

 目の前のトレヴァーは白地のTシャツに赤と白のスカジャンを羽織ってジーンズを履き、バイザーにカラフルな三角形が散りばめられた赤と白のキャップを被った姿をしている。そんな彼が帽子の間から目を覗かせ、パブのカウンターの向こう側にある厨房をじっと見つめているのは、少し遅めの昼食を待ち侘びているからである。そりゃ待ち遠しいだろうと空きっ腹を抱えながら僕は思う。彼はこの街モトストークでは有名人すぎて、客がまばらな時間帯に入店しなければたちまち人だかりができるからだった。
「エリックもお腹すいただろう、悪いな俺に付き合わせてしまって」
「いや、気にしてないさ。少しくらいなら待てるし」
「流石にこの時間帯は人も少ないし、これだけラフな格好をすれば、誰も領主一族のゴードルフ坊ちゃんだと思って話しかけないはずだ」
 バイザー部分をつまみながらニッと笑うトレヴァーは、いつ見てもチャーミングで愛おしい。瞳の中の炎もきらきら輝いていて、そんな彼をカウンター席の隣で間近に拝める事に心の中で感謝する。相変わらずファーストネームのゴツい響きにに苦笑しながら。
「ああ、寧ろラウドボーンに見えるな」
「そうか?」
「知らずに着てきたのか?」
 きょとんとするトレヴァーに僕はため息をつく。彼の炎のような美しい長髪も相まって、頭の中には彼の本来の種族とは別なシルエットが鮮明に浮かんでいた。そう言えばトレヴァーは炎で鳥を形作ることもできたっけ、といつぞやのショーで見せた技を連想すれば、一層スマートな虫の姿は遠ざかる。
「買ったばかりの服だったから、着てこうかなくらいの気持ちで着ただけさ」
「ま、君が優しいのはラウドボーンらしいっちゃらしいけど」
「マルヤクデなのに……」
 むっと顔をしかめてみせるトレヴァーも、ついからかいたくなるくらい可愛らしい。そんな男がバトルの時には好戦的な表情に変わり、容赦なく挑みかかってくるのだからそのギャップがたまらない、といつも思う。やはり彼は頭から爪先までマルヤクデなのだ。
 もっと良い表情を見たくなって、もう少しこのネタを擦ってやろうかと口を開いたところで待ちに待った瞬間がやって来た。目の前に二人分のプラウマンズランチが置かれ、どちらからともなくグウと鳴った腹の虫を合図に僕たちはナイフとフォークを取り、暫くの間目の前の食事の事しか考えられなくなる。トレヴァーが街に帰る度に足を運んでいるという店のランチメニューは、流石人気のメニューと銘打つだけあって素朴ながら味わい深い。パンはふかふかで、ローストビーフは舌でとろけ、野菜も瑞々しく思わず舌鼓を打つ程だった。この店を教えてくれたトレヴァーには感謝という気持ちだけでは言い表せない。店内の落ち着いた雰囲気も相まって、幸せな空間が周りを包んでいた。
「ところで、エリックは帽子を被らないのか?」
「布に触覚が当たり続けるとゾワゾワするんだよ」
「確かに、それもそうか」
 そう言って最後のパンに齧り付くトレヴァーの横で、僕は相変わらずマイペースに半分残っているサラダを口に入れる。食べるスピードを気にせずにいられるのも彼の良いところだ。気を使わなくて良い場面でとことん自分らしくしてくれる事がどれだけ嬉しいか。適度にペースを合わせてくれる存在がいると心地が良い。
 そしてようやく僕が最後のチーズに手をつけた時、再びラウドボーンの事を思い出すタイミングがやって来た。トレヴァーがカウンターの向こうで皿を洗う店主と話をしている声が聞こえたのだが、店主曰く店の隅に置かれたピアノで一曲弾くと飲み物が無料になる、との事だった。目の前のザロクのジュースと年代物と思わしきピアノを交互に眺め、それからトレヴァーの方を向く。そう言えばトレヴァーはピアノとギターが弾ける。ここは是非君のピアノが引きたいと僕は両手を合わせた。
「君の演奏が恋しくなっていた頃合いだ、頼むよ」
「オッケー、そこまで頼まれたらタダにするしかないな」
 そう言うな否やトレヴァーは飲みかけだったモコシのジュースを飲み干し、帽子を被り直してピアノへと歩き出す。その背中を目で追いながらやっとチーズを飲み込むと、鍵盤の前でトレヴァーが首を捻り始めた。
「何弾くか迷うな」
「何でもいい、君が思いついた曲なら」
 一瞬振り返ったトレヴァーと目が合う。それ以上彼は何も言わず再び鍵盤に向き直ると、刹那に聞き覚えのある伴奏がパブの空間に響き渡る。それが僕の好きなカントリーロックの一つだと気付くのに然程時間はかからなかった。目を丸くしながらトレヴァーの顔を覗き込めば、その口元は僅かに上がっていた。
「トレヴァー……!」
 後ろから抱きしめてやりたい気持ちを抑えながら音色に耳を傾ける。彼は僕の望むものを何でも叶えてくれる。流石に空に浮かぶ月を取って来てくれ、なんて願い事は無理にせよ、歌声が聞きたいと言えばこの場で弾き語りしてくれるだろう。するとその願いを聞き入れたかのように調子の上がったトレヴァーが歌い始めたのだ。声楽はそこまでかじってないと謙遜しているのに、その歌声の素晴らしさよ。ラウドボーンは力強くソウルフルな歌声の持ち主というが、その声は優しさの中に凛としたものがあり、まっすぐ心に突き刺さった。
 温かく、満ち足りた気持ちがじんわりと染み渡ってく。もし彼が本当にラウドボーンだったとしても、僕は同じように彼を想えたのだろうか?きっと違う種族だとしても同じだったかもしれない。僕は彼の炎に焼かれてこうなったのだ。恐らく彼が水タイプだったとしてもその水に打たれて惚れていたかもしれないし、とにかく、トレヴァーだから良い、その結論に変わりはなかった。
 ふと周りを見渡せば、数人いた客が演奏に釘付けになっているのが見えた。きっとパフォーマー気質の彼は周りの客への気遣いも忘れていないだろう。だが、今だけは僕だけに宛てた曲である事を願わざるを得なかった。この選曲に、先ほど見せてくれた笑み。彼を独り占めしたいなんて考えが邪であっても、この瞬間だけは特別であってほしかった。
 永遠に思えたはずの時間は数分で終わった。僕が壁時計の針の位置に驚いている間にトレヴァーは椅子から立ち上がり、一礼して座っていた席へ向かう。アドリブをふんだんに効かせた演奏に客が惜しみない拍手を送り、店主も歓声を上げる。
「トレヴァー、君は最高だ!」
 戻って来たトレヴァーの背中に手を回したくなる気持ちを抑え、固い握手で迎え入れるにとどめる。はにかむトレヴァーの表情は僕しか見ていない。それがまた彼を独占しているような気がして少しだけ優越感に浸る。
「この場にバイオリンがあったら、お返しに君の好きな曲を弾いてあげたのに」
「いや、お返しならもう貰っているさ」
 目を細めるトレヴァーを見ながら僕は首を傾げる。昼食の代金は各々が支払った筈だし、何に対する対価だろうか、と考えているうちにトレヴァーが続ける。
「途中で君も一緒に歌っていただろう、それで十分さ」
 はて、と更に首を傾げる僕に客の一人が声を上げる。「あんたも最高だったぜ!」そして店主が一言。「君たちの歌とピアノで二人分タダにしてあげよう」
 トレヴァーがくすくす笑い出す、と共にピアノに聴き入っていた時間が鮮明に浮かび上がる。楽しくて嬉しくて、つい声を張り上げた瞬間。高揚感で満ち溢れたパブの中で、僕だけが気まずい気持ちで顔を真っ赤にしていた。

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こんな感じの服をトレヴァーに着せたいな!という気持ちで書いた小話でした。
トレヴァーとエリックには二人でドゥービーブラザーズのListen to the Musicをセッションしてほしい。ギターとバイオリンで。
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