手のひらの憧れ | ナノ
手のひらの憧れ

博物館の展示物のパネル写真に目を奪われた。
 熱砂の国をテーマにした特別展で見たそれは、キュウコンの姿になれば大きな尻尾も含めてすっぽり収まりそうな大きさに印刷された、ガラルの貴族の何某一家が集合したセピア色の家族写真に過ぎないが、赤茶けた色合いでも奥にそびえ立つカエンジシのような姿の守護神の頭部や、均整のとれた三角の墳墓が存在感を放っていた。この像は現在は胴体部分まであらわになっているのだが、写真の撮られた当時は砂に埋まって顔だけ覗かせていたという。
「あんなになるまで砂があったんだ……」
 思わず小声で呟き、紫の瞳を子供のように輝かせた次の瞬間にはその写真の絵葉書を購入し、絵柄を眺めながら鼻歌交じりに家路についていた。
 砂漠。今まで数々の地を訪れ、あらゆるもの目にしたルドヴィコにとって砂漠は未知の領域であり、憧れだった。一面が砂に覆われ乾燥した大地。見渡す限り砂丘、砂丘、砂丘で緑は一切見当たらず、緑を見つけたと思いきや、それは歌声のような羽音で砂塵を巻き起こすカゲロウの竜だったりするのだろう。遠くの景色も陽炎で揺らめき、それは時に癒しの泉と緑地の天国を映し出す。
 そんな情緒溢れる場所に足を運ぶ事は氷タイプである彼にとって夢で終わってもおかしくない、至難の業である。いくら暑さを冷気でカバーできるとはいえ、かんかん照りの中で長時間出し続けるとなれば氷を操る力に優れる者でも酷な話になってくる。ましてや冷気を体に纏わせることが下手なルドヴィコにとっては尚更である。聞いた話によれば地域によっては時間帯での寒暖差が激しく、夜中は氷タイプでも過ごしやすい温度になるそうだが、夜は夜で昼間以上に悪党がのさばり、危険が伴う。それにルドヴィコは照りつける日光の下で黄金色の砂漠を踏みしめるのが夢だった。果たして砂漠はどんな感触で、いかなる色で輝くのだろう?
 世界の果てでオーロラを目にした時、自分は世界の大半を見て回ったと慢心したものだが、三百年弱生きていても掘り返せばまだまだ未知は溢れ出るものなのだ。
 以前から本で目にするたび好奇心を募らせていた場所だが、いつかの旅行先候補になり得るか少し考えてみようか。早ければ来年、再来年にでも……。自室で寝転がり、絵葉書を電灯にかざしてルドヴィコは大きく息を吐いた。


「で、俺に聞きに来たと」
「魔法に関して右に出る者はいない君なら、砂漠に対応できそうな良い案を出してくれそうだと思ってね」
 かくして彼が後日訪れたのは、かつて高等学校級の勉学の知識とほんの少しの魔法を教え込んだ元弟子──今は王宮で魔法学の発展に貢献している若きホープことリナルドの元だった。
 一生を国内どころかこの街で過ごしたい(と言いつつ仕事で国外に出向く事もある)と語るリナルドは、にルドヴィコから砂漠の絵葉書を見せられても興味なさげに眺めるだけで、ピクリとも尻尾を動かさなかった。それでも本棚から分厚い学術書を取り出して思索してくれるのは、幼少の頃からルドヴィコに何かと面倒を見てもらったが故の行動なのはルドヴィコも分かっていた。冷たく、そっけない態度ではあるが良い奴なのだ。
「……まず、体全般に作用する医療系の魔法を使える人を探す必要がありますね。脳や神経にする魔法を使うので」
「神経を麻痺させて暑さに対応するのかい?」
「いえ、脳内に直接情景を落とし込んで、なんなら神経全体にもその情景に見合った感覚を伝わせて、実際にそこに行った気になるのが一番手っ取り早い方法かと」
 思わず手にしたコーヒーをテーブルに落としそうになる程、斬新で合理的な方法にルドヴィコはがっくり項垂れた。正に彼が思いつきそうな方法ではあるが、行った気になるつもりはない。
「リナルド、僕は実際に足を動かしてその地へ向かいたいんだ。だからもう少し……」
 歯切れが悪くなるのを感じつつ、尻すぼみになりながらなんとか言葉を結ぶ。「その、別な方法だってあるはずだ」
「そう言われても……ルドヴィコさんに合わせるなら、後はもう砂漠を作り出すしか」
「いや、人工じゃなくて天然の砂漠に行きたくて……」
「そもそも、そこまでして砂漠に行きたいって考えが俺にとっては謎ですね」
 狐耳を横に伏せ、すっかり氷の溶けたコーヒーを一気に飲み干すリナルドの表情には疲弊が見てとれた。事前に連絡を取ったとはいえ、半ば唐突に押しかけ振り回してしまって申し訳ない気持ちでルドヴィコも素直に謝罪し、今度リナルドの魔法の実験に付き合う事を約束して二人は別れた。
「まったく、くそ暑い場所に出向くくらいなら宇宙に行く方が何百倍もましだ」
「宇宙でもどこでも、リナルドが街以外に目を向ける気があるだけで嬉しいよ」
「俺はルドヴィコさんやエルミニアさんみたいなアウトドア派とは違う」
 リナルドの何気ない言葉にルドヴィコの尻尾がぴくりと動いた。エルミニアさん、その手もあったか。彼女に頼る気は無く、ここで案が出なくても行きつけのバールでオルゾコーヒーを飲んで帰ろうと考えていたが、回り道も悪くない。リナルドのアパートを後にした次の瞬間には、もうルドヴィコの頭の中はいかにエルミニアに話を切り出すかに切り替わっていた。それでも、すがる思いである事に間違いはないのだが。


 エルミニアもリナルドに負けず劣らずの魔法使いである。彼女はリナルドほど高度で多彩な魔法を扱えないが、現代のポケモンの技術では再現するのが難しい唯一無二の魔法や、長命のルドヴィコより更に長命が故の豊富な経験が武器だった。彼女の視点からだとまた違った意見がもらえるかもしれない。
 入り組んだ路地を進み、いくつかの階段を上り下りしたところにある雑貨屋が彼女の現在の住まいである。時々この旧知の知り合いの顔を見たくて足を運ぶのだが、いつ訪れても客がいないのが不思議でならない。
「心配しなさんな、貴方の見えないところで商売してるだけよ」
「それなら良いけれど」
 今日も今日とて自分と店主しかいない店内を見回して商品をざっと眺める。彼の目から見れば似たり寄ったりなアクセサリーに雑貨、大小の魔法道具しか並べられていないため、本当に売れているのかを確かめることはできない。意外と周囲で彼女の店の話題を耳にすることや、エルミニア自身がしばしば仕入れに行っている事実で推測するしかなかった。
「今日は私の様子を見に来ただけ?」
「それだけに見える?」
 これくらいの用件ならば互いの表情と簡単な言葉だけで通じ合う。カウンターに頬杖をついて本題をわくわくしながら待つエルミニアにリナルドの家であった事を一通り話し、例の絵葉書を見せると、好奇心旺盛な彼女はリナルド以上に食いついて話に聞き入った。同じ種族のエルミニアも流石に縁遠い世界の話は新鮮なのだろう。寧ろ変な茶々を入れずに話を聞き、相槌を打ってくれるだけでルドヴィコにとっては有難かった。
「その特別展なら私も見に行ったわ。もう何百年も世の中を見ているけど、まだまだ私の知らない事ってたくさんあるのね」
「そうなんだよ、それでエルミニアさんもこういうのを現地で見たいとは思わないかい」
「機会があればね」
 エルミニアも旅自体は好むタイプだが、ルドヴィコのような他の文化や自然に対する貪欲さは持ち合わせていない。砂漠に対応できるかの問いにも、リナルドとそれだけ考えて思いつかないなら私はもっと思いつかない、古くからの魔法を含めた持てる限りの魔法があっても焼きつくような熱波や太陽光に勝てる可能性は今のところ薄い、となるべく柔らかめな表現で返した。
「いいんだ、今日はエルミニアさんに慰めてもらいたくて来たんだから」本心をそのまま呟く。
「でも、きっと数百年もあればそのうち克服できるようになると思うわ。貴方はまだまだ若いんだし、いくらでもチャンスはあると信じているわ」
「そうなる事を願うよ」
 この一、二年の旅行先に砂漠を候補に入れられるか無謀な試みを企てたのは誰か?リナルドの家を出る頃にはそれなりにあった自信も今となっては一欠片の小ささになっていた。心の中では無理だ、と最初から諦めの気持ちもあったのだが、やはり大真面目に考えてしまうと虚しさが増してくる。だからこそ話をうんうん聞いてくれる相手を必要としていたのである。
 エルミニアの言葉の通り、いつかその機会が訪れるにしても来年再来年規模の話ではないだろう。それでも彼女と話しているうち本来の楽観的さがこみ上げてくるのを感じた。こういう時に長命で良かったと思うのだ。時間の経過で科学や魔法の技術も進歩するだろうし、待つ事には慣れている。
「砂漠に行かなくてもこういう物だってあるのよ」
 エルミニアがカウンターに何かを置いたのは、ルドヴィコがそろそろ帰ろうと切り出そうとした瞬間だった。ごとりと音を立てて置かれたそれは、遠い国の地名が刻まれたシンプルな水色の台座に両手で包み込めそうな大きさのガラス玉が収まっており、何か透明な液体の入ったその玉には異国情緒あふれる装飾を身につけた行商人と思わしきバクーダが砂漠で一休みしているミニチュアと、金に光る細かいホログラムのパウダーが閉じ込められている。
「スノーグローブなんて久しぶりに見たな」
「実のところ、私はこれを眺めるだけで十分砂漠を満喫できるの。見てごらんなさい、彼のこの表情。臨場感がここまで伝わってくるものは早々ないわ」
「は、はあ……」
 生憎土産物屋の定番だけで満足できるほど無欲ではないので軽く聞き流そうとするも、視線はガラス玉の中をとらえていた。確かにこのミニチュアはよくできている。きっと彼は朝から一日中歩き通しで物を売り、やっと今休息の時間を得たのだろう、疲労感と安堵感が伝わる味のある顔つき、造形の丁寧さには思わず感心する。重そうな積荷の重厚感も、砂漠のリアルさも素人目ではっきり確認できるくらいに伝わるとなれば、僅かながら興味が芽生えてくる。これは砂漠への憧れ関係なしにインテリアとして机に飾りたい。
「ふふっ気になる?貴方みたいな人のところにいる方がきっとスノーグローブも喜ぶかもって思うけど」
「えっ、本当?」
「そんなに興味があるなら底まで見てほしいわ」
 言われた通りにひっくり返して顔が引きつった。底に貼られたラベルに書かれた値段は高級レストランのランチほどではないにせよ、絶妙に手が届かなさそうで届くギリギリを攻めている。なんてことだ、気が抜けている時ほど不意打ちはよく効く。
「よく分かったよエルミニアさん、この店は潰れない」
 ちなみにこの手を喰らうのは過去にも何回かあり、その度に値切り交渉をするのが常であった。今回もまたルドヴィコはエルミニアの温情にすがる思いで砂漠への興味と憧れを再び説き、今度執筆する作品にエキストラとして出しても良い、と語る事でようやく手が届く値段まで下げてもらった。まったく、彼女には頭が上がらない。
 他人に干渉されずひっそり暮らしたいから小説には出さないでほしい、とエルミニアはやんわり付け加えて電卓を叩く。
「この店も売れすぎると逆に困るの。だから自ずとこんな場所に来る相手も限られてくるし、弟子にも店番を頼めるって訳よ」
「まだ小さくないかい?」脳裏に彼女が魔法を教えている弟子、幼い小狐のマヒナが浮かぶ。
「あら平気よ、足し算引き算くらいならできるもの」
 そういう訳じゃ、と突っ込む気もエルミニアのペースに乗せられて失せてしまい、ルドヴィコはただ代金と引き換えにスノーグローブを受け取る事しかできなかった。毎日朝夕近所のバールでオルゾコーヒーを飲むのが日課だが、数日は自宅で煎れて飲むしかない。そんな事も考えながらそのまま二人は別れた。


 書きかけの原稿の束と資料の本が積み重なった机の上に飾りを置くだけでも一気に環境が変わったように感じる。例えるならいつものバールでオルゾコーヒーを頼む代わりに紅茶を頼むようなもので、たったそれだけなのに不思議と気持ちも引き締められる。家に着くまでにこの重みある商品の置き場所は決まっていた。
 早速机を軽く整理して買ってきたスノーグローブを置こうとした時、窓から差し込んだ太陽光がガラス球や台座の陶器を照らし出し、きらきら輝く姿にはっとして思わず手が止まった。思わず勢いで購入したものだったが正解だったかもしれない。角度を変えて暫く輝きを楽しみ、ようやく満足して電気スタンドの側に置くとルドヴィコは目を細める。
 青い空の下、見渡す限り砂の景色が広がる大地を太陽をお供に歩くのはどんな心地になるのだろう。さらさらとした砂の感触や熱さを考えるだけでワクワクしてくる。そうして目を輝かせつつヒイヒイ苦しみながらもいくつもの丘を越え、暫く歩いていると行商人に出会うのだ。ぼさぼさの赤毛の商人がこんなところにいる物好きな氷タイプを鋭い三白眼でじろじろ見やり、これは良いカモだと大きな荷物から数々の香辛料や見た事もない食べ物を勧めてくる様子が目に浮かぶ。ザータルやデュカの匂い、植物図鑑の挿絵でしか知らなかった植物の木の実……。
「まだまだ知らない場所ってたくさんあるんだなあ」
 静かな部屋に自分の言葉が響く中、そっと砂漠の行商人が収められたガラス球を撫でる。この憧れが、いつか現実になる日が来ますよう。ふとガラス越しに行商人と目が合って、ルドヴィコはふふっと微笑んだ。 

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 大雑把なイメージだけどルドヴィコはトルコより東へ行った事がなさそうなのと、島国除いたらユーラシア大陸しか歩いた事なさそう。
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