感情の器 | ナノ
感情の器

 シンプルな白い壁にずらっと飾られた絵、絵、絵。風景画から肖像画、抽象画に囲まれて感じるのは「圧迫感」の一点だ。昔から絵や彫刻といった芸術品を見ても絵だ、彫刻だ、と認識する以上の感情を抱けない。流石に今のような状況であれば、他人から一斉にジロジロ見られているような気がして今すぐこの場から逃げ出したくなるのだが。
「おい、早く行くぞ」
「待て待て、まだ絵を見てる最中なんだからよ」
 俺がさっさと目当ての展示を見たいのに、今日の同行者は呑気なものだ。陰鬱な田園風景の絵をじっと覗き込んだきり石のように動かない。ここに警備員や他の客の目が無ければ魔法で引き離せたものだが、代わりにふうっとため息をつく。緊張と不安で思わず耳も尻尾もそわそわし出す。
「大丈夫だって、絵は襲ってこねーからさ」
「そういう事じゃない」
「後でお望みのもの見せてやるから」
 唸り声の代わりにふん、と鼻を鳴らして次のコーナーの看板に視線を向ける。『パルデア王国の宝』──少しでも自分の見たいものに関心を向けて心を落ち着かせようとしたが、運悪く看板の近くにある絵が目に入ってしまった。それはまるで、小さい頃退屈まぎれにノートに落書きしたそれを思わせて。
 別に惹かれた訳ではないが近づいて絵を観察すると、絵心皆無の俺でも簡単に描けそうなマフォクシーの女性が何を考えているのか分からない表情でこちら、いや更に遠く彼方を見つめている。これならマヒナの方がもっと上手い絵を描ける、そう考えていると不意に肩を叩かれる。
「リナルド、そろそろ次のコーナー行かないか?」
「あれだけ急かすなと言っててこれか」
「それは悪いって、にしても珍しくお前が絵に夢中になるとはな」
「こんな絵が美術館に飾られるなら、俺も画家になろうと思えばなれるんじゃないかと考えてただけだ」
 すると彼、タンクレディの目の色がふっと変わった気がした。まずい、これはスイッチの入った表情だ。間違いなく面倒なことになると察して耳が水平に動く。
「バッカお前、こいつはキュビズムと言って計算され尽くして描かれた絵なんだよ。色々な角度から見たものを平面的に描く画法の事で……」
「……」
 ああ、面倒臭さだけじゃなくもっと別な感情……哀れみも感じ取ってますます居心地が悪くなる。俺には芸術を理解できる感性なんてない。小さい頃の、二度と思い出したくないのに時々悪夢にみる日々の影響からか昔からこの有様なのだが、タンクレディはそんな俺をどこまでかは知らないが、少なくともある程度配慮してくれる程度には把握しているからか時々そんな感情を向けてくる。何だか介護されているような気もして申し訳ない気持ちまで芽生えてくるから、タンクレディからも離れたくなってきた。
 そんな複雑な感情で自分でも気付かないうちに唸り声が小さいながらも漏れていたところで、タンクレディも俺も同時にハッとして口を閉ざした。
「おっと、それじゃ行くか」
 目の前の奴と違ってスパッといきなり感情を切り替えることはできないので、ただ頷いて彼の後に続いて歩くしかなかった。


 『特別展・パルデアの秘宝と美術』に行こうと誘ってくれたのはタンクレディからだった。本来ならばエルミニアさんと行く予定だったそうだが急遽都合がつかなくなり、俺に声が掛かった訳なのだが、丁度俺の関心もパルデア王国の時代に東方より伝わった四つの宝にあったので、珍しく休日美術館に足を運ぶことになったのだった。当初はそれさえ見れれば満足だったのだが、そこに行き着くまでの過程がここまで長いのは誤算だった。奴がここまで芸術に入れ込む男だったとは。
「おお……」
 部屋の中央のガラスケースに収められた四つの宝に思わず二人して感嘆の声が出る。レプリカとはいえその存在感は流石と災いの品と言うべきだった。異国情緒溢れる器、剣、木管、勾玉は逸話が無ければ見向きもしなかっただろうが、魔術と関係あるかもしれない道具と聞くと高揚感が湧き出てくる。エーテルが負の感情にあてられると災いとも言うべき魔法──呪術ともいう──を生み出す素となる。逸話によると四つの宝からは呪術を操るポケモンが生まれ、厄災の力で一夜にして王国を滅ぼしたと言うが、それだけの力を持つ相手と聞いては普段は眠りっぱなしの闘争心も刺激される。俺の魔法と彼らの呪術、どちらが上なのだろう?
「綺麗だよな、パルデアの宝。オリエンタルで趣があって」
「ああ、これらの呪術と俺の魔法、どっちが強いんだろうな」
「やれやれ、リナルドはそういう奴だった」
 常人相手に同じ態度を取れば不機嫌になるのは分かるが、タンクレディは少し呆れるだけで受け流してくれる。だから彼といるとあまり身構えなくて安心する。
「リナルド、少しは物を見て美しい、とか凄いとか思えないのか?」それでもこんな事を言ってくるが。
「そう思わなくても生きていける。これまでの人生が証明している」
「確かにそうだけど、芸術は更に人生を豊かにするぜ?」
「興味のないものに向き合うつもりは無い」
「興味が無いにしろ、例えば夕日とか虹を見て何も思わない、とはならない筈だぜ。感性を磨くと言うかお前は気付いてないんだよ、それらの感情を理解できるだけの能力がある事に」
「能力」
 例え専門的な知識を持たなくても感想を抱くだけでも充分、と続けるタンクレディ。そう言われても目の前の宝からは知的好奇心以外何も感じないし、この感情が芸術的感性と言われてもピンと来ない。この先もきっとパスタを口にして食べられるパスタ料理だ、としか思わないだろうし、立派なルギアの彫刻を見てもルギアだなあくらいにしか感じないに決まってる。こればかりは自分でもどうしようもないのだ。
「この器だってここからじゃ見えないけど、人々の恐怖が注がれたって言うから禍々しい、怖いって俺は思ったぜ?きっと内側にはレプリカでもやべーものがべったりと……」
「そうか」
「……何て言うか、そう反応できるのも一種の能力に見えてきたぞ」
 肩をすくめるタンクレディを尻目に、俺は再び古代の呪術の世界に浸る作業に戻った。


「眩しっ」美術館を出た瞬間ギラッと差し込む夕日に思わず目を逸らした。
「へへっリナルド、それだって芸術的感性だと思うぜ」
 さっきの話はこりごりだ、と口をつく前に耳が水平になっていた。エルミニアさんへのお土産と称してトートバッグやキーホルダーを買い込んでご満悦なタンクレディが上機嫌に階段を降りていく。それに続きながら嫌でも思考は彼の話題に侵食されていた。
 何かを見て芸術的な感想を抱かなくても、実はそれなりに楽しめているのだ。今日の美術館だってお目当ての宝以外にも何となく楽しい、と思えたといえば嘘ではないし、下手に色々考えるよりありのまま見て感じるのが良いのではないかと自分では思っている。それで充分なんじゃないか。言ってしまえばこの世には理解できなくても楽しめるものはいくらでもあるのだ。それこそタンクレディといる時のように、例えば彼の思考が読めなくて困惑しても、一緒にいる時間は悪く無いと感じるように。
「それにしても綺麗な夕日だな」
 ふと彼の言葉に顔を上げると、眩しくない程度の角度になった夕日が空を緋色に照らしているのが見えた。今頃マヒナはルドヴィコさんの元で本でも読み聞かせてもらっているか、昼寝をしている最中だろう。昼頃預けてきた彼女の顔を思い浮かべてふと口が緩む。彼女へも良い土産話ができた。
「……ああ、悪くは無いと思う」
「おっ、もしかしてお前も良さが分かったのか?」
「ただの夕日にか」
「ちぇっ、もっとストレートに物事を捉えな!多分楽しめというより素直になった方が良いって……でもまあ、今のお前楽しそうだから良いか」
 階段を降りたところでタンクレディとは別れ、足はマヒナのいるルドヴィコさんの家へと向かう。今日の話はマヒナだけじゃなくルドヴィコさんにするのも良いだろう。彼ならうんうん頷いて聞いてくれそうだし、どんな返答が来るかを考えただけで少しだけ足取りが軽くなる感触を覚えた。

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リナルドの歪さが伝われば嬉しいです。だから書きづらかった。
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