春めく季節のスノーマン | ナノ
春めく季節のスノーマン

 リナルドにとって雪だるまは特別なものではない。春になれば花粉が飛ぶ、夏になれば広場の噴水で子供達が行水する、同じように冬になれば街ゆく人々が雪を積み上げて雪だるまを作る。別段気にもしない季節の風物詩でしかないのだ。子供時代を振り返った時、確かに雪の日は雪自体に大はしゃぎして積もった道に足跡をつけたり、魔法で作ったソリ遊びに興じることもあったが、雪そのものを掴んで遊んだ思い出が無いと言ってしまえば他の人からすれば「歪だ」と言われそうな話である。しかし雪合戦も雪だるま作りも興味が無かったのだから仕方ない。
 だからある日、スーパーで買い物中におつとめ品コーナーにちょこんと置かれた季節外れの「雪だるまチョコレート」と目が合った時も、リナルドだけならそのまま通り過ぎていたところだが。
「おにいちゃん!雪だるまっ!雪だるまだって!」
 隣にいたマヒナがぱあっと顔を綻ばせて雪だるまの前から離れなくなったのだった。買うと決めた商品以外に手を出さない、と教え込んでいるので手は出さないようにしているが、今にも手を伸ばしそうなくらいにじっと雪だるまを凝視している。
「はあ」
 やれやれ、またマヒナがお菓子をねだり始めたか。聞き分けの良い子であっても時々年相応に物を欲しがるのだ。特にお菓子はスーパーに足を運べば三、四回に一回はあるのだが、今回はいかにもマヒナが好きそうなお菓子だ。パック飲料程の大きさのチョコレートの入った箱にはポップな文字で商品名が書かれており、箱に描かれた装飾からは本来クリスマスの時期に向けて売り出していたであろう事実がうかがえる。そして側面にはチョコレートの食べ方が載っていた。あたためたミルクに入れてかき混ぜると雪だるまが溶けてホットチョコレートが出来上がります──。
「そもそも春に雪だるまなんて要るか?」
「春でも夏でも、雪だるま好きだもん」
「そうか……」
 マヒナの決意は固く、普段ならダメだと断ったところで引き下がってくれる場面でも頑としてその場から離れなさそうな予感がした。寒さもやわらぎ、咲きほころぶ花々で街が色彩豊かになる時期であっても雪だるまに執着するとは……。ここで頭ごなしにダメだと言っても駄々をこねられて面倒な事態になりそうな気がして、リナルドはふうっと息を吐く。
「……今回だけだからな」
「ほんと!?やったー!おにいちゃん大好き!」
 どうせおつとめ品だから破格の値段で売られている。実際その雪だるまチョコレートも旬を過ぎに過ぎた結果三割引と派手に書かれたシールが貼られており、それが今回折れた理由でもあった。自分とマヒナの分で二つ、リナルドは箱を手に取るとカートの中に投げ入れる。
 そして何事もなかったかのように歩き出すリナルドの横から、マヒナが紫の耳と白い尻尾をぴこぴこ動かしながら着いていくのだった。


「えっ……雪だるまさん、とかしちゃうの?」
 雪だるまをカシャカシャ振って──雪だるまの中にマシュマロやココアの素が入ってるのだ──ご機嫌に遊んでいたマヒナの表情がサッと青ざめたのは、リナルドがホットミルクを入れたマグカップをドンとテーブルに置いた瞬間だった。
 帰宅したのはおやつに丁度良い時間帯で、早速マヒナと飲もうと洒落込んで用意したところまでは良かったのだが、リナルドがもう一つの箱から雪だるまを取ろうとした瞬間バッとマヒナが横から箱を奪い取る。
「もっと雪だるまさんみてたい!せっかくたすけたんだよ?」
「助けたところでそれはチョコレートだ、いずれ食べられる運命にある」
「うう、でも雪だるまさんがかわいそう……」うるんだ瞳で箱をぎゅっと抱きしめるマヒナ。
 リナルドはあまりマヒナの気持ちが理解できなかった。ただ雪だるまの形をしたチョコレートによくそこまで愛着を持てるものだ、しかも買ってすぐの商品に。そもそも雪だるまは数日間道ゆく人を楽しませるだけ楽しませた後は自然の摂理に従って溶けるもの。ルドヴィコが「いずれ溶ける物悲しさも雪だるまの魅力だ」といつぞやの時に語っていたが、子供のマヒナはその事実を受け入れたくないというのもあるのだろう。マヒナを拾って後悔した事は無いが、時々衝突すると面倒くさく感じる。
「あー、マヒナ。その……雪だるまは溶けるのが運命だ。冬の日もずっと立ち続けたやつは一体もいなかっただろう」
「……」マヒナがきゅっと口を結ぶ。
「それが雪だるまなんだ、ただ水に溶解してそのまま蒸発するより、食べられる方がまだマシだ、そう思わないか」
「わかんない……」
「とにかく、この雪だるまの行き着く先は遅かれ早かれホットミルクの中って事だ。それさえ分かれば良い」
「ん……」
 なるべくマヒナの目線で語りかけたつもりだが、どうも彼女はまだ釈然としない様子だ。テーブルの上のホットミルクの湯気が減り始めている。また温め直すか、とリナルドは考えつつ更に今の状況を後押しする何かを探していた。これ以上マヒナに何を言えば諦めて箱を渡してくれるのか。子供の扱いが上手いエルミニアさんなら簡単にできる事だが、マヒナ以外の子供を嫌うリナルドにとっては至難の技だった。だからカレンダーと目が合った時にやけくそ気味に箱の賞味期限と比べる。
「いいか、カレンダーを見るんだマヒナ。今日がこの日で、箱に書かれてる賞味期限は明日だ。この日付を超えると食べられなくなるんだぞ。そのまま雪だるまが腐っても良いのか?」
「……それは、いや」ぶんぶんと首を振る。
「それじゃこの雪だるまはココアにしよう、良いな」
「……うん」
 マヒナが頷いた瞬間、リナルドは見えない荷物が降りた気がして思わず安堵の表情を浮かべた。


 あれだけココア作りを渋っていたマヒナだったのに、いざ雪だるまを溶かすと笑顔でスプーンをかき混ぜるのだからリナルドはため息をついた。あそこまで箱を取り返そうと躍起になっていた自分が馬鹿らしい。
「むう、やっぱり雪だるまさんかわいそう」
「ああ、そうだな」最早相槌も呆れながらだ。確かにマヒナに雪だるまを哀れに思う気持ちはあるが、それ以上に今はココアを飲みたい気持ちが勝っているのがリナルドでも分かった。
 じわりじわりと白い海に溶けていく雪だるま。同時に雪だるまの中のココアが海をチョコレート色に染め上げていく。その過程も楽しいのかマヒナはしきりにみてみて!とリナルドにマグカップの中を見せたがり、リナルドもココアやそこに浮くマシュマロを目に留める。食べられそうな甘い匂いもし、思わずリナルドは自分のマグカップをかき混ぜ、完全に雪だるまをミルクの中に沈めた。さらば雪だるま。
 完全に雪だるまチョコレートを溶かした後は、リナルドが冷気を吹きかけて氷タイプでも飲める温度まで冷ましてからマヒナとカップを交わす。リナルドは青と白の縞模様のシンプルな絵柄、マヒナはデフォルメされた星座が描かれた絵柄。ガラスの当たる音に続けて同時にココアを口にすると、マヒナは声にならない声をあげてきらきら輝く瞳とココアで茶色くなった口をリナルドに向けた。
「おいしい!すごく甘くて!」
「良かったな、マヒナ」
 一方のリナルドも真っ先に思った感想こそ「飲める飲み物だな」だが、本来想定されたであろう冬の時期に飲めば、ホッとして落ち着けたことを思わせる甘ったるさは悪くなかった。これが「美味しい」という事なのだろう。マシュマロも程よくもちもちして良いアクセントになっている。マヒナがまたねだれば買ってあげても良いかもしれない。
「おにいちゃん、おかわりある?」
「あの二つしか無かったからない」
「……そっか」
 マヒナは寂しそうに自分のマグカップの底をのぞき、それからリナルドの手にしたマグカップをじっと見上げる。
「おにいちゃん、もう飲まない?飲まないならマヒナ飲みたい」
「ああ、たくさん飲みな」
 一見図々しそうに聞こえる言葉も、きちんと言葉で伝えないと通じないリナルドに向けてマヒナなりに考えた言葉だ。リナルドもそろそろ甘ったるさに飽きてきた頃合いだったので、グッドタイミングとばかりにココアが半分残ったマグカップをマヒナに持たせる。そして笑顔でココアを飲み始めるマヒナにリナルドは頬を緩めた。ココアがなくてもマヒナの笑顔があれば充分満腹になれる。
 リナルドの分も飲み干してすっかりご満悦なマヒナの口を拭いてやると、マヒナは自分のマグカップの星座を眺め始める。星々が好きなマヒナらしい、とリナルドはしばし愛らしいマヒナを眺めていたが、ふいに彼女が口にする。
「おにいちゃんと雪だるまをつくれたみたいで、たのしかったなぁ」
 やってる事は真逆だったのだが、と突っ込みを入れそうになってリナルドは口を閉ざす。まだマヒナは何か続けたそうにしていた。
「ことしの冬、おにいちゃんと雪だるま作らなかったからさみしかったなって。つぎの冬はいっしょにつくってくれるよね?」
「……雪だるま、か」
 リナルドにとって雪だるまは特別なものではない。ただの季節の風物詩に対してよくそこまで思い入れが持てるものだ、と冬の間ずっと道ゆく人に思っていた。
 でも、それでも彼には雪だるまを作る理由を見出すことができた。雪だるまにあんなに喜んでいるマヒナの笑顔。ココアだけでこの大はしゃぎ様なら、本物の雪だるまを作るとなればどれほど笑顔が綻ぶだろうか?次の冬を想像する。少し背の伸びたマヒナが一生懸命雪玉を転がす姿、木の実で雪を飾り付け、仕上げに枝の手とニンジンの鼻をさしてできたー!とぴょんぴょん飛び跳ねる姿が見えただけで、リナルドの答えは一つしかなかった。
「分かった、次の冬は一緒に作ろうな」
「うんっ!約束だよ!」
「ああ、勿論」
 マヒナのためなら北海から流氷を引っ張ってくることだって造作もない。彼女の笑顔がそこにあるなら……。絵本を読み始めたマヒナをテーブルに残し、マグカップを洗うリナルドはふとマヒナが雪だるまチョコレートに大喜びしていた姿も思い出し、気づいてあげられなくてごめん、とぽつりと呟いていた。子供に正面から向き合うのは難しい。無意識に飛び出した言葉は絵本に夢中のマヒナには届くことなく、水流と泡の音にかき消された。

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カルディのメルティングスノーマンが飲みたい!と思い続けて早2年。そんな悲しい気持ちを昇華させたのがこの小説でした。
リナルドは歪な上に不器用だからマヒナちゃんとどうやって接するか、と考えただけでも一苦労だったりする。これでも少しずつ変わってはいるのだが。
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