夜明けのサウンド | ナノ
夜明けのサウンド

 誰もいない朝に街中を思いっきり走ると気持ちが良い。まして朝の日差しの暖かさが心地よいと尚更だ。大通りや有名な観光地もこの時間は清掃員くらいしかいないし、朝早いパン屋の前を通れば芳醇な麦の香りが鼻をくすぐる。黄昏の姿、という夕焼けを連想させる毛並みに反してグイードは早朝が一番好きな時間帯だった。何より、朝日が昇り始めるのも希望を感じて今日も頑張ろうという気にもなれる。
 そして今日も朝日を拝みながらさて頑張ろうとなったところで、グイードは分かれ道に差し掛かった。まっすぐ進めばいつものランニングルートだが、左には入り組んだ路地裏が続いている。普段なら気にする事なく直進していた道だが、今朝は体力もあり余っており、休日で精神的にも余裕があったのでふと脳裏に思い浮かぶ。このまま寄り道しても良いんじゃないか。
 何より寄り道を決定づけたのは、奥からアコーディオンの音色が聞こえた事だった。この早朝に誰が鳴らしているのか、音の出所も探したくなって結論を出すより先にグイードの足は路地裏に繋がるレンガの道を踏んでいた。


 実家のある街区なら自宅の庭同然だが、今のランニングルートである街区は知り合いの庭のようなものだった。仕事のない日に多少冒険して頭の中で地図を作り上げてはいるが、完全に全てが埋まった訳ではない。今回の道はまさに未知の領域で、この先に何があるのかも分からなかったが迷子になっても優れた嗅覚と聴覚で元の道に戻れるので何も問題はない。それに迷ったら迷ったで楽しそうな何かが待ち受けてそうだった。そう感じるのはよく晴れた日の朝で気分が高揚しているからか。
 アコーディオンの音を羅針盤に、グイードは一心不乱に走る。路地裏も他人の気配はなく、のびのびと走れるのも一層心地よさを高める要因となった。似たようなレンガの家々を抜け、落書きの書かれた壁を通る。音色は確実に近づいている。果たしてどんな相手がこの音楽を奏でているのだろうか。実技試験に追われている芸大生か、プロかアマチュアの音楽家か。色々な相手を思い浮かべながら路地裏を出ると、そこには家々や壁に囲まれた小さな広場が広がっていた。
「へえ、こんな場所があったのか」
 観光客は絶対行かないであろう一角の真ん中に琴を鳴らす女神の噴水が立っており、音はそこから聞こえる。なるほどこの女神が美しい旋律を奏でていたのか、という訳がなく、噴水の裏側に回ると全く予想外の相手が紙とペンを傍らににアコーディオンを奏でていた。
「ルッジェーロ!?」
「グイード!?」
 間違いない、軍警察の寮のルームメイトにして友人のルッジェーロである。女性を思わせる顔立ちと水色の長い髪を見間違えるはずがない。相手は驚いてそのまま立ち上がり、その拍子に紙が風圧で飛ばされそうになるのを慌てて足で抑えた。この驚き様も彼であることを確証づける。
「何でこんな早朝に?」
「グイードこそどうしてここに?」
「アコーディオンの音が聞こえて気になってさ」
「あー……」納得した表情で白い前髪をかき上げるルッジェーロ。「ここ、俺の秘密の場所みたいなところだったんだけどね」
 ルッジェーロが言うには、休日たまにこの広場で音楽を奏でたり作曲をしているというが、今日は珍しく朝から作曲したくてここでアコーディオンを奏でていたという。
「だってこんなに晴れてて気持ち良い朝なんて早々ないじゃん、グイードもそう思わない?」
「分かる、だから俺も寄り道しようって気になったんだ」
「へえ、何だか運命みたいだな」
 そのまま噴水に寄りかかる様に床に座り込むルッジェーロに合わせ、グイードも隣に座る。レンガのひんやりとでこぼこした感触はあまり不快ではない。
「で、曲の進捗は?」
「そこそこかな。いつもよりは順調だけど」
 そうして彼が熱心に書き込んでいたメモを見せられる。「夜明けのサウンド」と仮の題名が付けられた歌詞を読み上げるまでもなく、ルッジェーロがアコーディオンの音色に合わせて歌い出す。朝っぱらから彼の歌声を拝めるのはラッキーだった。グイードはルッジェーロの伸びやかで自由な歌声が好きなのだ。屈託ない清々しい歌声としゃれたアコーディオンの音が広場に反響する感覚を肌と耳で感じ、思わずグイードは震える。
「……で、ここからが微妙で」あまりにも聴き入りすぎて音楽がやんだことで我に返る程だった。
 ルッジェーロが最後の数フレーズを歌う。昔賛美歌で歌ったことのある曲を思い出す歌だった。朝の始まりは鳥のさえずりのように始まる。讃えよ朝を歌を、新たに生まれし万物を……。そんな事を考えていると、彼がこちらに青くまっすぐな瞳を向ける。
「良い朝だからついインスピレーションが湧いて」
「確かに、良い朝だ」そうなるとこちらもアイデアが湧き上がる。「ここの歌詞、『優しい雨に打たれて』だと良くね?」
「……いいね!」
 音楽に関しては素人同然だが、彼の助けになりたいと思った。それに朝にぴったりな曲だったのが最高で、そんな気持ちが通じたのかルッジェーロは笑顔でこちらに相談を持ちかけてくる。違うメロディーを二つ演奏してどっちが良いか尋ねてきたり、二人で即興でハモりを効かせたり。気付けば時間も忘れて曲を組み上げる作業に没頭していた。
「よし、これでどうだ」
 あらかた歌詞も曲も出来上がったところでルッジェーロが立ち上がる。その姿は朝日に照らされ、噴水の女神の隣に相応しい音楽の神様のように映った。神々しくも陽気で活力に満ち溢れ、堂々とした姿。グイードは無意識のうちに感嘆の声をあげていた。そこから奏でられる歌も先程以上に魅力を増し、思い浮かぶ朝の情景が今の景色とオーバーラップする。ああ、自分はこの朝を忘れないだろう。目を閉じて音楽に意識を集中させる。何気無くも神がかった特別な朝が、爽やかな音楽と共にグイードの心に響きわたった。


 道端に人影がちらほら現れ始める時間、グイードとルッジェーロはパンを片手に広い通りを歩いていた。あの朝の音楽が二人だけのものと思いきや、起き出した近所の住民にしっかり聞かれており、賛美の声と共にフォカッチャパンをチップがわりにくれたのだ。
「いやー、歌は粗方出来たしパンも貰ったし、良い朝だ!」
 大きな声で笑うルッジェーロの隣で、グイードはあの音楽を噛みしめるようにパンを一口かじる。程よい空腹に小麦の風味が優しく体全体に染み渡り、つい目を細める。
「粗方か?今のままでも充分すぎる出来なのに」
「八割ってところかな。タイトルも決まってないし。でもグイードがいなかったら六割のままで詰んでたから、本当いてくれて良かったよ」
「あれこれ文句をつけてただけなのにか?」
「いやいや」ルッジェーロが首を振る。「あの朝を共有してくれる相手がいたからこそだよ!」
 心がくすぐったくなり、ハッと目を見開いて前を向く。道を歩く者の足取りが心なしか遅く感じる。休日のゆったりとした時間の流れは経験を昇華するには丁度良かった。今のルッジェーロは神々しさのないただのアシレーヌだ。いつものように明るい笑みを浮かべながら背中のアコーディオンの重みを気にせず軽やかに歩く。
 ルッジェーロという奴はストレートすぎて時折危うさを見せるが、一緒にいるとどこまでも楽しくなれる。友人として、彼の人生に少しでも関われたことが誇らしくて、嬉しくて、グイードはルッジェーロに問いかける。
「朝は好きか?」
「もちろん!」
 答えはそれだけで良かった。彼が伸びをしたところでグイードは街の景色を眺めながら満足気にパンにかぶり付いた。

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元々の題は創作者さんに50未満のお題の選択式お題から「二人でいれば最強」でした。ちょっとタイトルが合わないなって変えた。
早朝出勤していた時期は気付かなかったけど、改めていま朝という時間を過ごしていると、あの爽やかさを胸いっぱいに感じられるのは幸せだなと思えてきます。
話のイメージとして70年代くらいのメロディアスでシンプルな洋楽を思い浮かべつつ、根底には絶対Morning has broken(邦題:雨にぬれた朝)がありそうだと思われそう。よく分かったな、いい曲だよねあれ。
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