君だけの歌 | ナノ
君だけの歌

「おいしい!」幼いキモリのように大きく目を見開き、きらきらとした視線を向かい側に座るベニータに向けるアララルは、再びガケガニのアヒージョを頬張る。
 まるで生まれて初めて食事をとる子供のようだ、と苦笑しながらベニータも自分のパエリアをスプーンで掬い、ムール貝の風味に舌鼓を打つ。旅先の楽しみの一つが食事だ。その土地ならではの食材や調理法で作られた料理には、希少性と未知に対する高揚感がある。ベニータが旅をする理由は様々あるが、各地の食事もその一つになっている。その割に食べているのは有名になりすぎて、パルデアのバルならどこも出してそうなパエリアだろうと突っ込まれそうだが、いやいやとベニータは心の中で首を振る。魚介類を使うことで有名なパエリアだが、発祥の地では魚介類を使わず、米と獣肉や野菜を材料とするのだ。そういった地域ごとの違い、文化を知るのも食の醍醐味だとベニータは思う。
「ベニータ、ぼーっとしてたらこれも全部食べちゃうよ」
 気付けばアララルはアヒージョを食べ尽くし、ペピトリアの皿も空にして、二人で分け合って食べていたエスカリバーダに手を付けている。自分も少しずつ食べていたのだが、流石に彼に独り占めされるのは許せない。もう少しパエリアを食べていたかったが、ベニータはフォークに持ち替えてパプリカとナスを頂戴する。全く、私よりも注文している筈なのによくもまあ早く食べられるものだ。
「アララル、自分だけで食べようとしない。まだ私が食べてるのが分かるでしょ」
「うっ……でも、見てたら食べたくなってくるじゃん」
「空気を読むのも生きてく中で必要になってくるスキルよ」
 がっくり項垂れたアララルに合わせて、バルの舞台で歌っていた音楽隊がメロディアスな音楽を奏で始める。まるでタイミングを見計らったような巡り合わせに思わずベニータの目尻が下がる。ベニータは音楽が大好きだ。思わず体が動いてしまうようなノリの良い音楽なら尚良しだが、酒場の雰囲気を引き立たせるアンニュイな音楽も心地良い。食べている間も音楽に耳を傾けていたが、このバルは当たりだと思っていた。知らない曲も含めて選曲が自分に合っている。
 そしてアララルも同様のことを思っているらしい、レシートに書かれた料理を全て各々の腹に収めた後も、アララルは食休みと称して席から動こうとしない。そして舞台に顔を向けてうっとりと音楽に聞き入っている。バンドゥリアとギターの音色、歌手のラウドボーンの女性のソウルフルな歌声。なぜラウドボーンは心に響く歌声を出せるのだろうと彼らの歌を聞く度思う。種族ならではの特権だろうか。歌うのは好きだが所詮アマチュア、と学生時代に当時の学友達から散々言われた自身の歌を思い出し、頬杖をついていた頬を膨らませる。
「いい歌だね、ベニータ」
「そうだね、本当」
 目を細めてふんふん鼻息を鳴らすアララルに思わずニヤリとする。「分かっている」音楽センスだ、そうでないと自分の旅にはついていけないから当たり前なのだが。既にメロディアスな歌は終わっており、今は軽快なギターとカスタネットの音色に合わせてラウドボーンが地元の賛歌をパワフルに歌い上げている。太陽は黄金に輝き、海は宝石のように青く空も青い。そんなのどこの国だってそうだ、太陽を赤と表現する国もあるそうだが。でも音楽は悪くない。気付けば勝手に指がリズムを取っている。
「ベニータ、前に行って踊ったら?」
「そこまではしないってば」
 今はただ音楽に酔いしれながら今日の余韻に浸りたい。昼下がりの大道芸で受けた拍手喝采、先程夕飯として口に入れたパエリアの味。今日という日の締めくくりにピッタリな音楽だった。伴奏が、歌が続く限りこのメロディーやビートを感じていたい。明日の活力だって得られそうだ。
 やがて歌が終了すると、バルのあちこちから拍手が鳴り響く。その内の二つはベニータとアララルのものだ。歌い終わったラウドボーンや演奏家達に惜しみない賞賛を送り、それは彼らが舞台を降りるまで続いた。もう少し聞いていようか、どうすべきか。壁時計をちらと見ると、後一グループくらいなら演奏を聴ける余裕がある。アララルに目配せすると、彼も残る気でいる。決まりだ。
 席に座り直して次の演奏グループを心待ちにしていると、ふとアララルの表情が強張っているのがベニータの目に映った。目が合う。「大丈夫?」と何かを心配する目線。別に何も、と言いかけてハッとした。アララルが目を向けていた視線──次の演奏グループの中にふくよかな体型のプクリンの女性がいる。
「ごめん、外の風に当たってくる。会計もやっておくから」
 胃の中のものが逆流しないうちに、警告してくれた彼に感謝しながらベニータの体は勝手に飛び跳ねるようにバルを出ようとしていた。焦りすぎて財布の中身を取り落としかけながらも、お釣りはチップだと言い残して勢いよく出入り口の扉を開ける。早く新鮮な空気を吸いたかった。店のことはもう何も思い出したくない。ラウドボーンのパワフルな歌声を頭の中でリフレインしながら、少しずつ悪夢を頭の中から追い払おうとする。うん、大丈夫、もう脅威は去った。
 バルがあるのが人気のない通りだった事にも感謝する。今の自分を誰かに見られたくない。脆い部分を見せたら終わりだと思っている。この世の終わりではないにしろ、世界の半分以上は終焉を迎えるだろう。そんな場所で生きていける訳がない。ベニータは改めて辺りを見回し、誰もいない事を再度確認するとへなへなとバルの壁に寄りかかるようにして倒れ込んだ。幼い頃からプリンやプクリンが苦手な事は彼女と親しい相手なら誰もが知る話だ。あの凶暴な目つきを見ていると、幽霊よりも恐ろしい何かが蘇ってくる……まるで体内から食い破ろうとしてくる怪物のように。それはインテレオンの少年との旅で根本的な原因が分かった今も同様のことで、寧ろ判明してしまったからこそ恐怖が具体化されたようにも感じる。
 あの目と口が怖い。こちらを見透かしてくるような視線と牙に、今度襲われたら私は──。
「ベニータ!」
 聞き慣れた声に目を見開く。気付けばアララルが乱暴に丸くなった背中をさすっていた。平気だ、と振り払い立ち上がろうとするが、足がふらついて生まれたてのシキジカになりかける。そんなベニータにアララルが手を貸した。
「退屈な音楽だから飛び出してきたんだ」
「ファドでも歌い始めた?」
「まあね」
 声が震えている事をアララルに悟られませんよう。あくまで平常心を保とうとしながらアララルの支えから離れる。
「やっぱりまだ苦手?」
「当たり前だよ、私にとってあの種族は全部サケブシッポに見える」
 トラウマの元凶が大穴にしかいない存在だと分かっていても、あれに似たものが街中をうろついていると考えただけで夕飯をぶち撒けそうになる。が、アララルの目の前で無様な格好は見せられない。
「歌声は良かったんだけどねえ」
「声だけでも虫唾が走る」
「うーん、それは流石に勿体ないような……」
 首を傾げるアララル。そう言えば店内の音楽が外まで漏れ出ていることに今更気付く。忌々しい歌声と共に聞こえる伴奏は、初めこそ悲しげなイントロが続くが、歌い出しの地点ではアップテンポな曲調に変わって最後までその流れが続く曲だ。ベニータは思わずアララルの脇腹を小突く。
「これ、アララルも知ってる曲じゃん」
「えっ?あっ……本当だ!でもさっきまで悲しくなるようなメロディーだったんだよ?」
「そういうイントロの曲なんだよこれ。知らなかったの?」
「知らなかったから外に出たんじゃないか」むう、と不貞腐れながら扉を眺めていたアララルがベニータに顔を向ける。「知ってても飛び出していたけど」
「ありがとう」
 やっぱり、弱い部分を誰かに見られないようにするなんて無理だ。アララルに駆け寄って頭一つ分大きなその体を抱きしめると、不意に涙腺が緩む感覚を覚えて必死に目をきつく閉じる。それでもまだ顔を見られたくなくて彼の胸に顔を埋めると、抱き返す感覚を感じて心が温かくなる。背中に当たる大きな手の温もり。だから彼が相棒で良かったのだ。
 そのままベニータの心が落ち着くまで同じ体勢でいると、アララルの心音に混ざって違う音楽が店の中から流れ始める。既にイントロが悲しい曲は終わり、ベニータのお気に入りの歌が始まろうとしていた。
「あーあ、あのまま店に残っているんだったかな」
 だいぶ気持ちが戻ったところでアララルから離れ、伴奏だけに耳を傾けようとする。ラテンの情熱的で軽快なリズムに体を沿わせたくなる衝動に駆られ、ついベニータが軽くステップを踏むと、アララルの表情がみるみる明るくなるのが目に映った。それが嬉しくてベニータも一層派手にステップを踏み、腕を振り上げる。更にそれを見たアララルが伸びやかな声で歌い始めた。
「店や周りに聞こえたら迷惑だよ」
 そう彼を制する言葉が本心じゃないのはベニータもアララルも分かっている。とにかく今はただ二人の世界に浸りたかった。目の前の相手のためだけに歌ってくれるアララルの歌声はどんな音楽家、それこそラウドボーンの歌にも勝る。そんなアララルのために、ベニータも彼に捧げるようにくるっと回ってみせる。
 周囲は夜の闇に包まれ、バルからの照明と月光が唯一外にいる男女を淡く照らす。感情的に奏でられるギターに合わせながら路地で歌い踊るベニータとアララルの、それぞれを観客とした大道芸は今日のベニータのパフォーマンスに負けないくらい静寂に包まれた大地を弾ませた。

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そろそろベニータとアララルの旅の話も書きたくて、思いついたネタを一気に出力しました。
ベニータの意地っ張りで繊細なネコチャン具合が伝われば嬉しい。
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