レモン色の秘密 | ナノ
レモン色の秘密

 キルクスの街は夜も活発だ。元来貴族の保養地だったこの街は、今となっては観光地として階級関係なく様々な者が集い、古代の遺跡や温泉を楽しんでいる。そんな明るく輝く街灯が立ち並ぶ賑やかな通りを、まるでそこだけ影がうごめいているように歩くルクレツィアの姿があった。
 おしゃれに些か自信のない彼女は黒いトレンチコートを身にまとい、背中に届く程の黒髪をなびかせてきょろきょろと周りを見回しながら目的地に向かっている。故郷由来の浅黒い肌もあって、闇に紛れば溶け込んでしまいそうな出で立ちは太陽に照らされて建物の蜂蜜色が映える時間帯には不自然に見えるが、灯りが消えれば黒一色に染まる今は昼間ほど違和感は感じられない。
「この辺のはずなんだけどなあ」
 建物の立ち並ぶ通りの端でぐるっと周囲を見渡してもそれらしき店は見当たらない。パブが稼ぎ時を迎える時間に見えるのは貴族とは無縁の大衆、そしてこの時間から見かけ始めるようになる吸血鬼や獣人達の姿。ガラルに降り立った当初、地元では見慣れぬ存在だった吸血鬼や獣人が当たり前に闊歩する景色に怯んでいたルクレツィアも、すっかり馴染んで日常の一部となっていた。それにこれから会う約束をしている相手だって吸血鬼なのだ。
 と、ため息をついた彼女の目にひっそりと佇む住宅が映った。向かい側にあるにも関わらず、まるで道端の石ころのごとく目に入っても気にも留めない建物だったのだが、よく見るとドアの横に小さな看板が立っている。おそらく普通に歩いていればそのまま通り過ぎてしまいそうなそれに近付いて文字を読んでみれば、まさに探しに探していた店の名前だ。確かに気付かないはずだ、と思いつつこの場所を指定した相手の顔も頭に浮かぶ。喧騒を嫌い、目立たなない場所でひっそり佇む事を何より好む彼女らしい。
 店じゃなかったらどうしようとおずおずと扉を開けて、やっとルクレツィアは安堵のため息をつくことができた。茶色と赤を基調としたこぢんまりとした、どう見てもパブであると断定できる空間は閉業していなければ店としか言い様がない。そして五席で埋まってしまうカウンター席にちょこんと座る一人だけの客は、正に探していた友人であるキャロルだった。その出で立ちはモスノウの種族特有の白い髪を顔の左側で結い上げたサイドテール、吸血鬼由来の青白い肌に加えて服装まで白を基調としたセーターとライトブルーのロングスカートなので、全体的に重めで暖かい雰囲気の店からはかなり浮いている。加えて陶器製の妖精を思わせる澄んだ青い瞳と整った顔立ちがよりこの場に存在する異質ぶりを加速させていたが、本人はさも当然のように居座ってショットグラスに口をつけていた。
「随分遅かったじゃない」壁時計は約束の時間から十数分を過ぎていた。
「初見でたどり着けただけでも褒めてくれたって良いじゃん」
 それにキルクスの街は数える程しか足を運んだ事がないのだから仕方ない。今となっては彼女の方がここの地理には詳しいはずだ。例え出不精を自称していても思いつめたり暇な時はしばしば散策に興じていると聞いている。
 キャロルの隣に陣取りつつ、穏やかな雰囲気のイエッサンのマスターにカフェオレとシェパーズパイを頼む。すぐに熱々のカフェオレがカウンターに置かれ、マスターが料理を作る為店の奥に引っ込んだところでルクレツィアが口を開く。
「今の生活はどう?」
「どうって……別に、普通だけど」
 面倒臭そうな表情でキャロルが伏し目がちに答える。ガラルに住む幽霊や吸血鬼等の魑魅魍魎の問題にあたる仕事に就いた初期にルクレツィアが出会ったキャロルは、共に暮らしていた唯一の家族を亡くした事がきっかけでルクレツィアの職場で暫く保護していた時期があり、今はキルクスの統治者一族の庇護下のもと工学の才能を生かして様々な事に手をつけている。有象無象の客の一人ではあるが、キャロルは不思議とルクレツィアと馬があった。だからこうして今も度々顔を合わせているのだ。
 手持ち無沙汰気味にショットグラスを揺らすキャロルの手元に視線を落とすと、その液体が冷えた紅茶である事にルクレツィアは気付いた。他の者からすれば少なすぎる量でもキャロルにとっては十分すぎる一杯にあたる。種族柄の少食か、吸血鬼故に普通の食事にあまり手をつけたがらないかは知る由も無いが、少なくとも彼女にとってはこれが普通だった。ともあれ、いつもと変わりない様子に安堵してカフェオレを一口飲む。
「私を視察しにに来たわけ?アフターケアだかなんだかの仕事として」
「違う違う、ただの友達として会いに行くよって伝えたはずだよ」
「あっそ。まあ、最近はぼちぼち仕事も軌道に乗り始めてるかな」
「それは良かった」
 本業の発明家も、副業の工学講師も上手くいっているようでルクレツィアも自分のように嬉しくなる気持ちを抑えられなかった。本当にこの年齢で優秀すぎる少女である。自分が同じ年だった頃は魔法学校の生徒として勉学に励みつつ、一族の圧――白を神聖視する家系で黒い姿に進化したプレッシャー――に耐え忍んでいた思い出しかない。
「最近だとあの街灯もあたしが作ったやつ」
 キャロルの指差した窓の外には、いかにも最近設置したばかりの街灯が通りの店々や人を照らしていた。おそらくエネルギー源を変えただとか、電灯のパーツやガラス材を変えてみたとか、そういった代物なのは想像つくが、素人目からは従来の街灯との違いがさっぱり分からない。ただ、レモン色に優しく輝くそれはなんとなく心をほっとさせるものを感じた。
「綺麗だね」
「クライアント先から“太陽の光っぽく”て言われて、似せるのに滅茶苦茶苦労したけど」
 キャロルの声はどこか不機嫌そうな調子で、吐き捨てるように言い放つや紅茶を一口飲んだ。太陽の光が天敵である吸血鬼に無茶な注文をする受注先もいるものだ。しかもキャロルは特に太陽の光を疎ましく感じる少女だった。
「吸血鬼でなくても太陽の光が嫌いなんだっけ」
「……あたし、生まれてから碌に太陽っていうのを見た事無いんだよね。生まれた家でも窓にはカーテンか鉄格子がかかってた記憶しかないし」
 生まれた家、とは純粋な魔法使いの家系の話だ。生まれつき魔法が一切使えないキャロルが監禁された後に捨てられた話は保護した時に身の上話でルクレツィアも聞かされた。
「山に捨てられた時が夕方だったんだよ。思えばあれがあたしの見た最初で最後の太陽ね。待ってくれって縋ろうとしても無慈悲なまでに沈んでいくのが、薄情なやつに見えて……」
 ルクレツィアはカウンターの上で腕を組みながら話に聞き入るしかなかった。身の上話を聞いた時も相槌すら返せなかったのだが、今回も全く同じ心持ちで、気休めとしてカフェオレの茶色く揺れる水面を眺めるしかなかった。と、流石に思い雰囲気にしようと思わなかったキャロルがはっとし、いつもの調子でぶっきらぼうに付け加える。
「日光なんてくそくらえよ、白昼堂々何の気無しに歩き回る奴らを考えるだけで虫唾が走る」
 ふんと鼻を鳴らすキャロルにルクレツィアも漸く苦笑を零せた。とにかく、辛い過去を持ちながらも仕事を全うできた彼女を労ってやりたいのだが、食べ物を奢れないなら何が出来るだろうか?しかしまずは閃く前に疑問が浮かんだ。
「太陽を見た事がないのによく作れたね」
「太陽自体は本とかテレビで見られるし。あと月も参考にした。月光って、要は太陽光を月が反射してるものだから……」
「へえ」
 キャロルは月光浴を好むが、元は太陽光と知っての発言なのが不思議である。だがその点については彼女自身が月が吸血鬼にとって有害なエネルギーを弾いた上で降り注ぐ太陽光が月光になると付け加えてくれた。太陽光だが太陽光ではない、そう答えるキャロルはやや不服そうにも見えたが、それも受け入れて月光が好きなのだろう。
 するとこの都合の良いタイミングで外から数人の話し声が聞こえた。素晴らしい、太陽のようだ、白昼歩けていた頃を思い出す、としきりに街灯を褒め合う会話を聞くに、相手は吸血鬼か、夜行性の種族だろうか。ルクレツィアが期待のこもった目をキャロルに向けると、彼女の思惑に反してキャロルは口角を上げつつ、釈然としない表情で紅茶を飲み干しているところだった。
「あたしの作ったものがこうして有り難がられるのは嬉しいけど、だからこそ後悔もあるんだよ」
「そうか、職人としてのプライドが許せないって訳か」
キャロルが頷く。「今の話はあたしとルーだけの秘密にしておいて」
 勿論、と心の中で先程視線を向けた事を謝りつつルクレツィアは軽く椅子に座り直す。キャロルは自分よりも遥かに大人びている。幼い頃から苦難の連続を乗り越えながら、今も必死に前に進んでいるのだ。それに比べてキャロルのような信念も無く、流されるままに生きてきた私は見た目の通り真っ黒で地味な存在でしかない。ぼんやりと外の街灯を眺めながら湯気が少なくなり始めたカフェオレを一口啜る。きっと、このレモン色の光はキャロルのキラキラした光でもあるのだ。そうでなければあれ程印象に残る輝きにはならない。
「凄いね、キャロルは」
 どうも、と相手の心の中など知る由もないキャロルがいつもの調子で返す。褒め慣れてないとはいえ、親友の言葉には素直に反応してくれる事がルクレツィアは堪らなく嬉しかった。口下手な彼女が饒舌になる数少ない機会の一つもルクレツィアと話している時なのだ。
「ねえ、私がキャロルの見られないものを代わりに見るっていうのはどうかな」
「……は?」
 ルクレツィアの口から思わず漏れた言葉には流石のキャロルも怪訝な顔で固まってしまった。言った本人も軽率で無意識的な行動にはっとしながらも、慌てて自分の気持ちを乗せながら言葉を紡ぐ。
「わっ、私の独りよがりかもしれない、いや実際そう思われても仕方ないけど……キャロルってその体じゃもう見れないものが幾つもあるなって思って。目になろうって言うのとも違うけど、ただ……何でもいいからキャロルの役に立てたらって思って」
 相変わらずキャロルはきょとんとしたまま足を揃えて行儀よく椅子に座っていた。苦し紛れの「駄目……かな」と絞り出した蚊の鳴くような声も全て耳に入ったようで、ルクレツィアが俯いたと同時に催眠術から解けたように目を瞬かせた。
 当然カウンターの上のカフェオレだけしか見ていないルクレツィアにキャロルの表情は見えてない。先程ちらと考えたキャロルを労わる方法も兼ねて閃いたのがこの有様なのはあまりにもお粗末すぎる。いくら親友でも馬鹿みたいな提案を口走ってしまい、中々顔を上げられなかったのだが。
「ルー、もしかしてあたしが“お前何言ってんだ”思ってるように見える?」
 返す間も無く澄んだ声が響く。「当たり、よく分かったね。でもあたし、ルーが言うなら乗ってあげてもいいよ」
「えっ」
「あたしもルーに助けられているから……ここまで色々話せるのルーだけしかいないし。だからここまで至れり尽くせりでいいのかなって思うけど、貴方が良ければ」
 意外な言葉に今度はルクレツィアが固まってしまった。いつも仏頂面なキャロルが珍しく目を細めてこちらを見つめていた。頬は緩み、吸血鬼特有の青白い肌にも血色が見えるようで。片手に持った空のショットグラスで遊びながら悪戯っぽく微笑む彼女は陶器製の妖精から年相応の少女の姿に変わっていた。
 勿論ルクレツィアもキャロルに負けないくらいに顔をほころばせ、思わず彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られるかわりにショットグラスを握っていないもう片方の手を握りしめてやった。頼むよ、と声は若干柔らかい程度で冷たさは残るものの、愛らしい表情がキャロルの全てを物語っていた。
 長く話し込んだにも関わらず、シェパーズパイはまだ来る気配がない。空腹を覚えて壁時計を見やればまだそこまで時間が経過してないと気付いてカフェオレに手をつけようとしたが、これ以上飲んでは食べる時に支障が出る。するとキャロルが話題を続ける。
「ルー、周りが暗くても明かりを灯せば大体のものは色から何まで分かるでしょう。でも川や海の色って要は太陽光の色だからあたしは黒い海しか見た事ない訳。灯りを近づけても黒いままだから、青い海って言われてもしっくりと来ないんだよね。だからあたしのかわりに今度青い海を見に行ってくれない……?」
 珍しく一生懸命話す少女の声が、話が空腹の感触を薄めるには充分だった。音楽を聴くように耳を傾けるルクレツィアの視界には窓の外の街灯が映っていた。一層暗闇が深くなる中でレモン色の輝きを増していく、暖かく優しい瞬き――。

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ネットで見た一文からインスピレーションを受けて膨らませたネタでした。キャロルの「日光なんてくそくらえよ、白昼堂々何の気無しに歩き回る奴らを考えるだけで虫唾が走る」にも反映させている。
タイトルは街中で見つけたパネルからヒントを貰った。
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