想いに心を躍らせて |
ダブルデッカー(二階建て式バス)に乗るときはいつも慌ただしい。客の多い時は服や帽子が汚れないよう、細心の注意を払いながら人波をかき分けて空席ないしなるべく広い空間を陣取れないか探し回り、客がまばらな時も一々停車予定のバス停を読み上げてくれない不親切なバス会社のために窓に張り付きながら停車する場所を探すのだ。 そして今回はーーウォルターの話に相槌を打ちながら外の景色をチェックをしなければならないから大変だ。話に夢中になって目的地を過ぎてしまったらと思うとぞっとする。やはり次の停車駅をアナウンスするシステムは必要だ、ついでに電光掲示板か何かで知らせてくれるものも欲しい。いつも思う。 「ドンだったら毎日運動を欠かさない奴だし、それに合う品物が良いんじゃないかな。水筒とかタオルとか」 二階の後ろの方の窓際の席に座り、隣のウォルターにうんうん頷く。二階は客が少なく、普段通りの声量でも周囲から注目される事はない。有難いタイミングで席に座れたことに感謝する。 そして今は日頃優しくしてくれる彼へのお返しに何か贈り物をしたくて、今日一緒に買い物に行く相手に相談を持ちかけていたのだが、なるほどそれは良いアイデアかもしれない。 「タオルだったら良い店を知っているから、それを何枚か贈ろうかな」 「それで良いと思うよ、ぶっちゃけドンだったら、オーレリアから何貰っても喜ぶだろうし」 「女児向けのプラスチックのアクセサリーでも?」 「『オーレリアがくれたんだ、俺にとっては宝石みてえなモンだ!』て言うだろうね」 思わず笑みがこぼれてしまう。もっともらしい話をもっともらしく真似して言われたら誰だって笑いを堪えきれないに違いない。仏頂面な姉のコーネリアも口角を上げるに決まっている。 「それじゃ、私の買うものは決まりね。次はウォルター君の番だよ」 「分かった、オーレリアが着いてきてくれて助かったよ」 一瞬、ウォルターの頬が赤みを帯びたのを見逃さなかった。今日の買い物を誘ってきたのはウォルターからだ。これをドンが知ったらやきもちを焼きそうだ、と返したが当然そんなつもりはなく、単純な人助けで了承しただけの話である。この時期に持ちかけられたのでおおよそ予想はついているが、ウォルターの次の言葉が気になって仕方ない。 「その、バレンタインにシノノメさんに何贈ろうかなって」 若干遠慮がちに返ってきた予想通りの答えに微笑みを返す。ガラルのバレンタインといえば男性が女性にバラを贈る日だ。その逆もあるが、どちらかと言えば男性側から女性に愛を伝える日の印象が強い。当日になるとあえて差出人を伏せたバレンタインカードと贈り物を贈ることが風物詩となっているのだが、ウォルターも例に漏れず、のようだ。 ふむ、と思考を巡らせてみる。シノノメさんの事は親交の深い相手なのでこちらもそれなりに知っている。勿論ウォルターのバトルや教養の師匠で、それ以上の……かけがえのない仲であることもだ。さて、そんな二人の仲がより深まるには何を提案するのが一番だろうか? 停車した感覚を覚えて視線を窓の外に移すと、丁度真横の店が目に入った。可愛らしい雑貨屋で、窓にファンシーな雰囲気のプレゼントや風船、ぬいぐるみのディスプレイが飾られている。自分なら目を輝かせて喜ぶが、シノノメさんにはもう少し落ち着いたアイテムが似合うだろう。そしてこの店が目に入ったという事は、もう少し会話を続けても問題ないという事でもある。 「一般的にはチョコレートとかワインとか、あとやっぱりバラがプレゼントで選ばれやすいけど」 「それでも何を贈れば良いか分からないんだ、考えれば考える程シノノメさんに何が似合うか……チョコレートは買ったけど、まだ何か足りない気がして。バラはありきたりすぎるし……」 まるで明日にでも巨大隕石が衝突する事態に頭を抱える科学者のような、神妙な顔で腕を組むウォルター。そんな表情でうなだれてしまってはこちらも大いに悩まなければならない。ウォルターもシノノメさんも大切な友人なのだ、この二人の幸せを願うならここで動かねば。ただ、これ以上は思い浮かばない。それでふと先ほどの会話の感想が口をついて出た。 「ウォルター君って、シノノメさんの事を大切に思っているんだね」 「うん、僕にとっては大切な人だから……」 相変わらず顔は床を向いたまま、ウォルターがぽつりぽつりと話し始める。 「何言ってんだって話だけどさ、師匠だけど姉みたいに思うこともあるし、その……まだ早いって言われるけど、一人の女性としてもとっても魅力的だって。これだけ僕の事を思ってくれて、優しくしてくれたのが初めてだったんだ、だから僕もシノノメさんの役に立ちたいし、ずっと一緒にいたいって……」 「そっか」 「これ、恥ずかしいからここだけの話ね」 小さいながらも芯の通った声を聞いているうち、心が温かくなる心地を覚えていた。天涯孤独なウォルターと、家族から浮いた存在のシノノメさん。この二人だからこそここまで互いに寄り添えたのだろう。孤独な立場や気持ちを完全に理解することは難しいが、ウォルターの決意のこもった瞳を覗くうちに、案がふわっと頭に降りてくる。何としてでも二人の助けになりたい。 「バラそのものでなければ、バラの香りの香水とかは?」 「シノノメさん、香りの強いものが苦手って言ってたんだよな」 「うーん……それじゃ香水じゃなくてバスミルクは?屋敷だから浴槽あるはずだよね」 「……良いかも!」ぱあっと体を起こしたウォルターの顔が輝く。これで決まりだ、今家のバスタイムで流行っているものが思い浮かんだのだが、我ながら名案だったようだ。 窓の景色を確認すると、神がかりなタイミングで事が進んでいる。本来ならば次の次の次のバス停で降りる予定だったが、迷わず降車ボタンに手をかけた。 「あれ?もっと先のバス停じゃなかった!?」 「いいのいいの、バスミルクならこの近くに良い店があるからついてきて!」 プシュー、と音を立ててダブルデッカーが停車する。目を白黒させるウォルターを急き立てて階段を降り、うっかり料金を支払わないまま降りようとしたところを慌てて乗車券を見せて事無きを得ると、そのまま足は勝手に店の方角へと早足になっていた。 ようやく現状が飲み込めたウォルターが焦りと高揚感の混じった表情で待ってくれと後ろからついてくるのが心地よい。ウォルターの顔を浮かべ、次いでシノノメさんの顔を浮かべ。ふふっと笑みを浮かべたまま、気付けば足はスキップのようなものを踏んでいた。 - - - - - - - - - - バレンタインの日に書いた剣面子のお話でした! 旧式のダブルデッカー時代は前もってバスのルートと景色を覚えるか、運転手に「このバス停になったら教えてください」と伝えることで目当てのバス停を探してたそうですが、今走ってるバスは電光掲示板もあれば停車駅もアナウンスしてくれるそうです。便利な時代になったものだ。 ←back |