寒空に包まれる夜に | ナノ
寒空に包まれる夜に

 レストランから出たウォルターを真っ先に襲ったのは吹きすさぶ寒風だった。ほんの一瞬でもついさっきまでシノノメと穏やかな雰囲気の中で食事をしていた温もりの殆どを奪うのには十分で、思わずくしゃみが出る。
 もう少し厚着してくるんだった。シノノメに心配そうな目つきで見られて思わず否定したが、いつまでこの強がりが通じるだろうか、通りに並ぶパブやレストランの明かりが届かないくらい闇に包まれた黒い空を見上げて息を吐く。師匠であるシノノメが日頃の頑張りの褒美にご飯を奢る、と夕飯を食べにレストランに入ったところまではまだここまでの寒さではなかった。そして食べたのが今の時期体の芯から温まると評判な熱々の辛いカツカレーだったのもあり、この時は寧ろ長袖を二枚羽織ってきた自分の過剰さを恨んでいたのだが、そんな甘い考えも今はすっかり頭から消し飛んでいた。
「日が落ちたから後は寒くなるばかりデスね」
「そうだね……」当たり前のことに頷くしかない。二人並んで歩きながらダッフルコートのボタンを全部閉じる。
 冬でもあまり雪が降らず、それどころか時々見てて大丈夫か、と思うくらい薄手の格好で歩く者を見かける時期だ。それでも今日は日没から一気に冷え、普段なら耐えられる服装の者が風で飛ばされそうになったり寒い寒いと騒いでいる。本当に大丈夫か、と見知らぬ相手にも話しかけたくなるくらいの寒さだ。
「シノノメさんはよく平気でいられるね」
「フフフ、こう見えて着込んでマスから」
「嘘でしょ!?」
 レストランで他愛ない会話をしてる時、シノノメはダウンジャケットを脱いでいたのでコートの下は知っているのだが、全然そんな風には見えなかった。それにチキンティッカマサラに舌鼓を打っている時も特に暑そうな素ぶりを見せておらず、なぜ自分ばかりが汗をかいているのか不思議に思う程だったが、魔法でも使っているのか、或いは自分がまだ未熟だからか。ヒートテックと言われてもピンと来ない。
 涼しい顔で歩くシノノメは灰色のダウンジャケット以外にも赤いマフラーを口元まで巻いている。勿論忍びの姿をしてる時のものではなく、よそ行きのきちんとしたものだ。側から見てもウールー乃至ワタシラガの毛のような暖かそうな素材を使っていることが見てとれ、少しだけ羨ましく感じる。マフラーもしてくるべきだった。それか厚手の服をもう一枚着込むべきだったか。

 家まで送る、と歩き出すシノノメとアーマーガアの銅像の広場まで歩くと、丁度一組のカップルが目に入った。リーフィアの女性がアオガラスの銅像の下で「温かい〜!」とブースターの男性の両手を握りしめているところが駅の照明からの逆光に照らされている。それから、手袋をはめているシノノメの手に視線を落とす。
 その手は常に彫像を触っているように冷たい。吸血鬼の血を継いでいるからでは、とは彼女に向かって口に出しては言えない推測で、夏はこの上なく心地よい感触になり、冬は外の寒さと同化してただ「冷たい」という感想しか浮かばない。今までごく普通に受け入れていた事実なので、今後も何も思わずに過ごしていくことなのだが、先ほどの光景を見ると少しだけ物足りない気持ちが芽生えていた。
 冬の日に触れ合いながら温かさを共有することが、彼女とはできないのだ。例え爪楊枝くらいの鋭さで心に刺さっても、刺されたことは確かだから少しだけ寂しさを覚える。
「ま、だから何って話だけど」
 ぽつりと口にした呟きが目の前の相手に聞こえませんよう。雑踏に入り込んだ時にコートを掴みながらシノノメを追う。こんな重要そうでしょうもない話をしたら笑われるに決まってる。

 街のシンボルの一つである大きな川の辺は障害物が少なく、風を遮るものが少ない。一定の距離ごとに立つ街灯なんて、強風が吹けばボキリと折れそうなくらい頼りなく見える。そんな場所を歩くものだから、風が吹くたびウォルターは首をすくめた。周りには自分とシノノメくらいしか人影はなく、風の音が遮る時以外は静寂に包まれている。
 こんな時にシノノメの早足は有り難く感じる。ウォルター自身も歩く速度は早い方だが、それでも普段は歩調が合わずに四苦八苦しながら横を並んでいる有様だ。「もっと遅く歩いて」は何度口にしただろう?だからなんとなく彼女と歩調が合ってる気がするのは特殊な状況下でも少しだけ嬉しくなる。
「……ゆっくり歩いた方が良い?」
「いや、このままで大丈夫」
 珍しくシノノメ側から聞かれた事に思わず目を丸くした。今の自分はそれ程弱ってるように見えた?確かに寒さに震えて暖炉の火やオイルヒーターのことを考えている最中だ。カツカレーで得た熱源は暫く口に残り続けたスパイスの香りごと既に消え去っている。
「それより早く家に帰ろう、風も強くなってきてるしさ」
 これ以上彼女に不安な表情をさせたくない、少し足を早めた瞬間今度はレンガの隙間に躓いてよろめく。シノノメが手を差し出さなかったらレンガに顔面が激突していただろう。あまりの寒さで頭が回らないことが恨めしく、恥ずかしい。
「……ちょっとゆっくりめに歩きマス」
「うっ……」
 そしてますます恥ずかしさに顔を隠したくなる。これ以上また何か気を遣われたらこのまま川に飛び込んでしまいたくなる。1時間くらい寒中水泳すれば火照った気持ちは元に戻るはずだ。だがそんな心情を知ってか知らずか、シノノメが不意に足を止めてこちらをじっと見つめてきた。
「そのまま、動かないで」
 えっ、と言葉を返す間も無くシノノメが息を吐きながらおもむろに首元のマフラーを解く。そして気付いた時にはウォルターの首元ではぐるっと巻かれた赤いマフラーが、青い出で立ちの中で一際存在を主張していた。
 言葉を失う。目の前のシノノメをまじまじと見つめると、マフラーで隠れて見えなかった口元が露わになっていた。街灯で照らされた彼女の頬はほんのり赤みを帯びており、涼しげな顔をしながらも寒さに耐えていたのが明らかに見て取れる。なんだ、シノノメさんだって寒かったんだ。
「フフ、見てられなかったから」
「あ、ありがと……」恥ずかしさよりもっと胸にくるものが込み上げてきて思わずウォルターは目線をマフラーに落とした。びりっと全身に寒気が走ったのに心臓だけはうるさい。本当に今から川に飛び込んでしまおうか?
 マフラーからは直前まで誰かが身につけていた温もりはあまり感じない。体温の低いシノノメだから当たり前だが、それでも彼女が身につけていた微かな熱に気付いた時はますます心臓が高鳴った。これは夢でもなく現実だ、あまりにも突然なことにウォルターは思わずシノノメから目をそらした。嬉しさと申し訳なさと、それから色々な感情に押し潰されそうでふらっと体が川の方へよろける。
「ウォルター?」そして再びシノノメが体を支えた。
「ごめん、ちょっとびっくりして……その、それより寒くないの?」
「あんまり」
「本音は?」
「……ウォルターが思う通りで間違いないデス」
 それじゃ急いで帰らなきゃ!と体は考えるより先にシノノメの手を取っていた。彼女の手は手袋越しでも冷たく、到底互いの熱を分け合える関係にはなれない。だがそんな事ができなくても問題ない。
「僕たちはこれでいいんだ」
 きょとんとするシノノメに何でもない、と空いた方の手でジェスチャーをし、ウォルターは家路を目指し歩き出す。
 吐く息は白く、暗闇が深くなる星空に吸い込まれるように消えていく。そんな夜だが、ウォルターの寒さは熱ですっかり溶かされていた。

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めちゃ寒い時期(2023.2)に書いたウォルシノでした。
普段シノノメに対して積極的にアプローチするウォルターだけど、向こう側から来られるのには弱かったりする。かわいい奴。
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