動かない、動けない日 | ナノ
動かない、動けない日

 雨粒が窓枠を激しく叩く音でぼんやりと覚醒する。普段のリナルドならのっそり起き上がってカーテンを開けるところだが、今日は起き上がるどころか目を開ける気力すらわかない。手だけを掛け布団から泳がせてサイドテーブルの目覚まし時計を探し、しっかりと固い感触を感じたそれをベッドに引き込めば時計は十一の短針を指している。ふむ、と半開きの右目で確認して再び時計を無造作にテーブルに置き、右目を閉じる。外は雨の影響で昼だというのに暗く、それが一層眠りへの気持ちを強くする。折角の休日なのだから、買ったばかりの魔法学術誌の論文を読もう、そうするにはまず起きなければ……本能に反抗するようにそう考えているとはいえ、この石のように動かない体に対してはどうする事もできない。
 何、連休なのだから予定なんて明日に回せば良い。体がきつい時は無理するなと周りからも言われているし。これが眠くても寝足りない状態なのだろう、睡魔に打ち勝てないままリナルドはベッドの中に潜り込み、丸まって大きな尻尾に体を埋める。こんな時にこの尻尾は便利だ。ひんやりとしつつ毛に蓄えられた温もりが程よい心地よさを与えてくれる。安眠グッズなんか買わなくても、この尻尾だけでどこまでも眠れる気がする。そのまま上質なふわふわに包まれ、意識も現実から薄れていく感覚を覚えつつこの身を夢の世界に預けていると。
「おにいちゃん、おきてる?」
 幼い声がリナルドの耳に入った。次いでぺしぺしと掛け布団の上から子供の腕で叩かれる感覚。しまった、もう俺一人で暮らしている訳じゃないのだと意識は一気に現実に帰ってきた。リナルドにとってマヒナは愛すべき庇護者であり、妹のような存在である。これが養父やルドヴィコだったらベッドの中で粘っていたところだが、体が重かろうが起き上がらねばならない理由としてはこれ以上ないくらいだった。
「マヒナ、おなかすいちゃった。なにかない?」
「ああ……待ってくれ、今用意する」
 彼女の存在を面倒に感じたことはない、と言ってしまえば嘘になるが、少なくとも今くらいの気力なら辛うじて昼食の用意くらいはできる。雲の中のような浮遊感を感じる頭を無理矢理起こしてまだ夢の世界に半分浸かっている体に鞭を入れ、唸りながらベッドから起き上がる。雨模様の外と電灯のついてない部屋の薄暗さに映るマヒナの表情は哀れな少女にも見えつつ、どこか自分を心配しているようにも感じ取れた。
「悪いな、調子が悪くて」部分的には合っているので嘘は言ってない。
「……だいじょうぶ?」
「大丈夫だ、シリアルで良いな」
「うん……」
 遠慮がちに顔を覗き込むマヒナを心配させまいと頭を軽く撫でると、重い足取りでリナルドはキッチンへと向かった。


 一時間後、寝室には再びベッドの中で目を閉じるリナルドの姿があった。マヒナにシリアルを出したが自分は食べる気が起きず、彼女には見ている姿だけで腹が膨れると言って居間に置いてきた。ソファで眠る手もあったが、マヒナにこれ以上迷惑をかけたくない気持ちが再びリナルドをここまで歩かせる動力源となったのである。夕飯を催促されたら昨日の残りを出せば良い。それまでは兎角、一人になりたかった。
 雨の日というのは体も心も重くする。陰鬱な性格にはジメジメしているくらいが丁度良いのだろうが、許容範囲というものがある。それにここ数日は相手にしたくない奴の相手をしたり、仕事を増やされたりとろくな思い出がない。ああ、自分は疲れていたのだと当たり前のことを思う。
 だが最低限動けるのであれば動かなければいけない、と心の片隅では引っ掛かっている。今の怠惰な自分の情けなさは許せるか許せないか、ギリギリのラインにあった。頭の一方では疲れているのだから休め、と言うしもう一方では怠け者で子供を困らせる嘘つきが、と罵る声がする。今日やる事を明日に回せば明日やる事はいつするのだ?
 そんな考えをぐるぐる巡らせたところで、これ以上思考能力は続かなかった。何もかも知らん、と心の中で吐き捨ててリナルドは寝返りを打つ。このままベッドと一体化して気が済むまで眠りたかった。ここだけが自分の世界だ、これ以上外界へ出る元気が無いのだから仕方ない。今はただどんよりとした空気に身を任せ、一切合切を考えないのが一番だ。
 実際、思考を止めると急速に意識が沈んでいくのが分かった。激しくなる一方の雨音も、ドアの向こうから聞こえるマヒナの声も今のリナルドには睡眠の助長に最適な音と化しており、自分でも気付かぬうちに再びリナルドは暗闇へと堕ちていった。


 明らかにマヒナではない女性の声で目が覚めたのはどれだけ経った頃だったか。時計を確認しようと再び手だけで探し当てて時計盤を覗き込もうとするが、眠る前よりも暗闇が濃くなっており針の位置が見えない。諦めてテーブルに戻し枕に顔を埋めると、そのタイミングでドアが開き廊下の光が暗がりに差し込んだ。
「リナルド、調子はどうかしら?」
 穏やかな声は即座にエルミニアの記憶と結びつく。確かに、親交のある相手だが何故家にいるのか全く見当がつかない。少しだけ何かできるだけの気力を取り戻し、ありったけを振り絞って首を起こす。見間違いではない、家にエルミニアさんがいる。
「……何故ここに?」
「マヒナちゃんから電話があって。貴方の事が心配で来ただけよ」
「この大雨の中?」
「それくらい大した事ないわ」
 あっけらかんとするエルミニアだが、耳を澄ませば雨音は一向に衰えを感じさせない。こんな中、わざわざ彼女をここまで歩かせたという事実が包丁のような鋭さでリナルドに突き刺さる。俺は何をやっているんだ。
「すみません、全部俺のせいなんです」
「あら、らしくないわね。何がどうなのか聞かせて頂戴」
 こうして朝までの出来事を洗いざらい語る事になった。己の怠惰の所為でマヒナだけでなく、エルミニアにも余計な手間をかけさせた自分を罰したい気持ちでリナルドはエルミニアの目を見ることができなかったが、彼女の方はずっとこちらを見てくれたのは視線でなんとなく察せた。
「何があったかは大体分かったわ、貴方はもう少し休んでも良いんじゃないかしら」
「でも体は動かそうと思えば動かせる」
「病気って、ひき始めと治りかけに無理すると悪化しやすくなるものよ。聞いた限り、ここ最近大変だったみたいじゃない。体が休めって言っているならそれに従いなさい」
「……良いのか」
 おずおずとエルミニアの顔を覗くと、彼女の顔には此方を蔑んだり、呆れている様子はなく、ただ眉を下げて不安そうにしている表情があった。
「誰も怒らないわ。マヒナちゃんの事は私が見てあげるから、まずは元気になる事を優先なさい。遠慮はいらないから」
 リナルドは言葉を返せなかった。自分があまりにも無力で、そんな自分に心の底から慈愛を向けてくれる事が嬉しくて、慣れなくて、口を開けば思いが涙として溢れてきそうだったから。エルミニアに顔を見られたくなくて、ベッドの中に潜り込んで布団をかぶる。大きな尻尾を乱雑に掴んでそこに顔を埋めると、ゆっくりお休みなさい、と穏やかな声と共にドアの閉まる音が部屋に響いた。
 鼻の奥がつんとし、閉じた目尻に何かが浮かぶ違和感を見て見ぬ振りしながら明日のことを考える。明日はマヒナを連れて彼女が行きたがっていた植物園に行こう。その帰りにバールでパフェを食べさせたらきっと喜ぶに違いない。いや、その前にエルミニアさんとマヒナに謝り倒すのが先だ、それからエルミニアさんには……何で償えば良いか思いつかないから、彼女から直に聞き出すしかない。後は……何をする?
 一日中眠っていたにも関わらず、眠気はどの時間でも等しく訪れる。堪えきれなくなった雫が顔を埋めている尻尾を濡らした事など、最早思考の途中で意識が途切れたリナルドにとってどうでも良い話となっていた。無論一日中あれだけうるさくしていた雨が去り、静寂が戻ってきたのも知る由もなく、暗闇と暖かな布団と滑らかな尻尾だけが今の彼を包み込むように癒していた。

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私がいかに寒がりかつ気圧の変化に弱いかは、ウォルターとシノノメの寒空の話を書いた地点でも薄々分かると思います。
これを書いてた時は25度くらいの暖かい日から一変して一桁台の気温に逆戻りした時期で、雨も降っており気が滅入る時でした。こういう時は無理せずなるべく省エネで、休むに限る。
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