その感情の名は | ナノ
その感情の名は

 タンクレディがリナルドの家へ魔法の学術書を借りに行った時、リナルドは職場から持ち帰った論文を閲する最中だった。
 すぐに終わるから居間でマヒナと遊んでてくれ、と言い残して自室にこもったのはマヒナがタンクレディに懐いているから、短時間なら彼に任せられるだろうと考えたからである。人見知りなマヒナが持ち前の明るさを見せる相手はリナルドが知る限り少ない。その中でもタンクレディは子供の扱いに慣れているからか、マヒナと話す時は大抵彼女の目線でいてくれるし、彼女から話を引き出すことも得意だ。リナルドもその才能を認めており、早々に心を開いたマヒナは今はすっかり奴とぬいぐるみ遊びに興じている。
 タンクレディが家から持ってきたという、ツンベアーのぬいぐるみに目を輝かせるマヒナの図を最後に見たのが一時間前。予想以上に作業に時間がかかり、流石に待たせて申し訳ないと二つのコーヒーとマヒナ用のミルクを注いでから居間へ向かうと、予想外の光景が目の前に広がっていた。
「……」
 一つのソファに丸まり寝息を立てる二人。暖かな日差しが二人を照らすように降り注ぐ姿は、人によっては柔らかな天使の絵画を連想するんじゃないか、と考えたところでいやいやと首を振る。こんなイコンがあってたまるか。
 静かに遊べと言い残した事に従ってくれているのはありがたい。そして作業に時間がかかった事には謝るが、ふつふつと怒りのような、不満のような煮えたぎる感情がリナルドの中で渦巻く。マヒナはまだしも、俺の家で勝手に寝るとはどういう事だ、という気持ちもあるが、それだけではまだ言葉が足りない。
 あろう事かタンクレディはマヒナをぎゅっと抱きしめて眠っているのだ。落ちないように、愛おしさを噛みしめるように。その上腕の中のマヒナはツンベアーのぬいぐるみを抱きながらタンクレディに身を預けている。ぷすーぷすーと聞こえる寝息はすっかり安心している証拠だ。じわりじわりと心が闇に飲まれる感覚を覚える。思わず足音を立てて二人に近寄ったが共に起きる素ぶりは見られない。
 こんなにも自分が言葉にできない感情で苛々しているにも関わらず、タンクレディは呑気にいびきまでかき始めた。ふがふがと不快な音がマヒナの寝息をかき消した時、リナルドは居ても立っても居られなくなって棍棒状に氷の杖を生成すると、無防備な彼の後頭部めがけてそれを振り下ろした。


「ってて……お前寝てる相手に何しやがるんだ!」
「その前に何故他人の家で寝てるんだ」
「うっ……それは悪かったけど、流石に後頭部ゴンはないだろうが」
「加減した」怒りに身を任せてはいたが、流石に力を調整する理性は残っていた。
 上半身を起こし、痛みに唸りながら涙目で睨みつけてくるタンクレディに、リナルドもじろりと睨みを効かせる。比較的大きな声で騒ぎ立てるタンクレディが目の前にいるにも関わらず、マヒナはふわふわなツンベアーと共にまだ夢の世界である。こんな中でも平和だなあ、とタンクレディが呟きながら彼女を起こさないようにソファから下りると、リナルドが衝撃でソファから滑り落ちたマヒナのメテノのぬいぐるみを拾い上げる。
「それにだ、マヒナに何をやっていたかも問題だ」
「いや、ただ一緒にぬいぐるみ遊びしてただけだが?」
「それは分かる、だがあれだけくっついて寝ているのは許せん、あんたがマヒナを悪い目で見ていなくても、こう……」
 ここで言葉が詰まり、紫色のメテノに見つめられながら無理矢理絞り出す。「とにかく、駄目なものは駄目だ」
「言っておくが危うい趣味の話じゃないからな、第一俺にはエルミニアさんがいるし」
「それじゃ何故寝ていた」
「えーと……マヒナちゃんがうとうとし始めたから、寝かしつけてたらこうなったというか?」
 ピエトロを誰かに預けるなんてこれが初めてだったんだぞ、と付け加えて肩をすくめるタンクレディ。ピエトロがツンベアーのぬいぐるみの名前だとリナルドが気付くのには数秒かかった。
「まあ、マヒナの世話をしていたなら良い、か」
「へへっ、分かってくれて助かるぜ!」
 上機嫌でマヒナを覆う毛布を掛け直すタンクレディの側で、相変わらずリナルドは負の感情を燻らせていた。一向に晴れない黒い霧が心にへばりついたまま、寧ろ徐々に濃さを増している気がする。確かにタンクレディはいい奴だが、この感情は俺にもう一発奴を殴れと語りかけてくる。感情のままに動いても良かった、だが子供じみた言動として表に現れそうな気がして気が引ける。
 リナルドは何も口に出さなかった。かわりに耳が警戒時のようにピンと立ち、尻尾の毛をぶわっと逆立たせる。そのままさっと眠るマヒナの元に寄ると、腰を落とし、彼女の白い髪を荒く撫で始めた。本当だったらタンクレディの臭いのついたピエトロも叩き落としてやりたかったが可能な限り理性で押さえつけた結果だった。
「リナルド……?」
 そんなリナルドの奇行を眺めるタンクレディは暫くきょとんと固まっており、何がなんだか分からない状態でいた。それもそうだ、リナルド自身も何故こんな事をしたのか分かっていないからだ。とにかく、マヒナを独り占めしたくなったのは確かだ、と思いつつ。
「ははあ、さては妬いてるな?」
 次に飛び出した彼の言葉に、今度はリナルドがきょとんとする番だった。まるで悪いことを閃いたかのようににやにやするタンクレディに、小馬鹿にされたようで向っ腹が立ってくる。
「俺に取られたみたいで焼き餅を焼いたってところだな、いやいやそれなら悪かったよ!マヒナちゃん可愛いしリナルドに懐いてるしな!」
 暫くきょとんとしたまま表情を動かせなかった。この言葉にできない苛々の正体を飲み込むまでにリナルドは数分の時間を要した。今まで彼女の師匠であるエルミニアさんに懐くマヒナを見てもそういうものとして眺められたが、ただの遊び相手であるタンクレディ相手だと取られた気持ちになるのは当たり前だ。そう言えばこの感情には覚えがある。養父が遊びに来た子供を可愛がってたのを見た時一日中口をきかなかった日があったっけ。
 それを思い出した瞬間、顔が火照る感覚を感じた。足先から耳の先まで点火したように熱い。まるで自分が愚者じゃないかと蔑むと同時にカラカラと笑うタンクレディの視線があまりにも痛く刺さった。恥ずかしくて、やり場のない怒りがこみ上げてきて、リナルドは暴言の一つや二つを吐きたい衝動に駆られたがその言葉すら思い浮かばないくらい心が乱れている。
「……っ!」
 最早やる事は一つだった。声にならない声はこの際仕方ないとして、テーブルに無造作に置かれていた魔法学の学術誌の一冊を丸め、あらん限りの力でタンクレディの横顔を殴打した。
 情けない声と共に崩れ落ちるタンクレディをまだリナルドは直視できなかった。歯や顎に深刻なダメージが出ない程度に引っ叩いてやったから暫くすれば立ち上がるだろう。
「……今度口を開いたら凍らせる」
 やっと言葉にできた文言を吐き捨てて、とどめと言わんばかりにメテノのぬいぐるみを彼の頭上に置く。こうして精一杯の照れ隠しを終えて耳の火照りは若干収まったが、紅潮した顔はマヒナにも見せられないくらい酷い顔をしているに違いない。ここで彼女が起きたらどうしよう。そうリナルドが考えた最悪のタイミングでマヒナがとろんとした瞳を浮かべながら起き上がったので、リナルドは彼女から小さな背を向けるしかなかった。大きな水色の尻尾が不自然なまでにばふばふ動いている事をマヒナが不思議がるとは思わないまま。

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ロコンの日なので書いてた小説を一気に書き上げました!
小物、と言うよりぬいぐるみ関連にも細かい設定がついてくる弊世界観。
私がぬいぐるみに名前つけて可愛がる族なので、必然的にそうなっているのでした。
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