おしゃれの魔法 | ナノ
おしゃれの魔法

 換気をしようと窓を開けた瞬間、ひゅうひゅう吹き抜ける風に思わずたじろぐ。朝起きてすぐの軽く髪を溶いただけの姿に、入り込む強めの風はぼんやりした頭を軽く覚醒させるには十分だった。景色もろくに見ないまま顔を背ければ、風の進行方向に合わせて靡く己の水色と白のグラデーションの髪が視界に映る。ふわふわな指ざわりなそれは自慢、と言える代物ではないが、なんとなく気に入ってはいるので、例え大木の葉の如くぶわっと広がっても邪魔だと思うくらいで切りたいという気持ちまでには至らない。
「おにいちゃん、髪ながいねぇ」
 そして足元に視線を移せば、既に朝食も済ませて可愛らしい部屋着に着替えたマヒナの姿。乱れた髪を手で乱雑に整えるリナルドにきらきらした羨望の眼差しを向けていた。
「髪ながいのいいな、いろんな髪型にできるんでしょ?」
「そう言っても適当にまとめるくらいしかしないがな」事実、リナルドは今右手でポニーテール状にまとめてみせたように、今まで一つの髪型にしかした事がない。
「でもししょーはアップにしたり、あんだりもするんだよ!マヒナもああやりたい!」
「髪が伸びたらな」
 そう言ってリナルドはソファに座りマヒナの白く、ふわふわしたセミロングの髪を撫でる。共に暮らす事になってからだいぶ経ち、昔よりある程度髪は伸びてきたがそれでも彼女の理想とする長さには足りないらしい。
「昔はね、このくらいになったらパッと切られてたんだよ。おにいちゃんはしないよね?」
 マヒナが首元に水平にした手を当てる。彼女の父親の方針は今となっては知るすべが無い。だが現状彼女がそうしたいと願うなら、リナルドはその通りにしようと考えていた。第一マヒナ相手でも、自分以上に気を使うだけで基本的におしゃれには無頓着なのだから。
「マヒナの好きなようにさせるさ」
 だから無愛想に放った言葉でマヒナがとびきりの笑顔を見せた時、リナルドは不躾に言ったことを少し後悔した。彼女が女の子である事をリナルドは時々頭から抜け落ちるのである。価値観の違いを改めて思い知ると、まだこちらをじっと眺めるマヒナが小さく首を傾げた。
「そうだ、おにいちゃんの髪いじっていい?」
「髪を?」
「マヒナ髪のびるのまだ時間かかるから……だめ?」
 どうやら、今の話題ですっかりその気になってしまったらしい。切る事が面倒くさく、伸ばすがままにしていた髪も多少は役に立つようだ。ましてマヒナの小さなお願いなら、断る理由はない。
「ああ、構わないが……」と、丁度良いタイミングで腹の虫が音を立てる。「……朝飯食って着替えたらな」
 ばつの悪い表情でソファから立ち上がったリナルドとは反対に、マヒナは無邪気な表情でぴょんとその場で跳ねた。


 ふんふん鼻息を荒くしながらブラシを手に取るマヒナの姿と、長い髪を垂らしながら欠伸をする自分が鏡に映る。マヒナの為にと購入した可愛らしい意匠の施された薄紫の鏡台の前に座り、リナルドは手にした魔法の学術誌と鏡に映ったマヒナの姿を交互に眺めていた。まだ幼く不器用で、一つに結わえる事が限度な彼女のヘアセットなど、他人からすればままごとの延長にしか見えないだろう。実際そうであってもリナルドはマヒナが自分のために何かしてくれる、という事だけで不快には感じなかった。きっと不恰好な見た目になるだろうが、そもそも見てくれを気にしないので結果はどうでもいい。
「ヘアゴムとヘアピンはここに置いた、生憎ヘアジェルは切らしているが、マヒナの使える魔法でも代用できるだろう。氷魔法をうんと弱く使って……」
「おにいちゃん、リボンってある?」
「リボン」予想外の質問に目を丸くしつつ、思い当たるのは一つしかない。「マヒナ用のやつなら、ある」
 上から二番目の棚からリボン入れに使っているレトロな絵柄の缶を取り出し、ヘアゴムの隣に置く。一体自分は何をされるのか、不安がよぎったが瞬時にマヒナへの信頼感で打ち消される。
 ぱあっと目を輝かせてブラシを髪に入れ始めるマヒナを確認すると、手元の学術誌を読み始める。床屋なんてろくに行かない自分にとっては新鮮だ。髪を切る訳ではないが、不思議とむず痒さを感じてしまう。それがくすぐったくて雑誌の論文に意識を集中させていると、ヘアピンの先端が頭に直撃した痛みが走った。前途多難、リナルドの脳裏をそんな言葉が過ぎる。
「おにいちゃん、なんの本をよんでるの?」真剣に髪を弄りながらもマヒナの話ぶりは軽やかだ。
「魔法学の雑誌だ、毎月本屋に連れて行ってるだろう、その時買っているんだ」
「マヒナもよめる?」
「大きくなったらな」
 流石に今のマヒナには早すぎる。自分は少年の頃から読み漁っていたが、本来ならば大学生乃至専門の職業に就いた者からが対象年齢となってくる代物だ。魔法に興味を持つマヒナもきっとそれくらいの年齢になれば、家にある過去の雑誌を読み始めるに違いない、そう思うとリナルドは頬を緩めずにいられなかった。きっとその頃になれば、マヒナはチャーミングな笑顔を振りまく美人に成長しているだろう。恐らくその頃には進化して、赤紫の瞳で周りを見回しながら薄紫色の艶やかな長い髪を揺らしているに違いない。彼女は美女に成長するという確かな自信がリナルドにはあった。その姿を想像するだけで、生きる気力も湧いてくる。不安定な自分にとってのマヒナは支えだった。
「おおきくなったマヒナ……きっと、すごい魔法使いになれてるかな?」
「ああ、きっとなれてるさ」
 髪が左側に寄せられ、ヘアゴムが結わえられる。そう言えば普段サイドに結った事が無かったなとぼんやり考えながら目線は鏡のマヒナを捉えている。きっと、もっと美人になっているに決まってるとは言いそびれたものの、そのうち彼女自身が身をもって知るに違いない。そうなるとやはりエルミニアに倣って様々な髪型を楽しんでいくのだろう。
 不思議な事が起きたのは白いリボンを不器用に結んでいくマヒナと、結ばれる自分の水色の髪を眺めて目を閉じたその時だった。リナルドの脳内に突如ギブソンタック姿の美しい薄紫のキュウコンの娘が鮮明に思い浮かんだのだ。髪をリボンを模した銀のピンで留め、リボンがふんだんにあしらわれた帽子を被り、風変わりなアシンメトリーのドレスを纏ってアンティーク調の傘を携えた具体的なビジュアルに思わずリナルドは前のめりになりながら目をこすったが、次の瞬間にその姿は醒めた夢のように急速に輪郭がぼやけ始めていた。
「もー、うごかないで」
「いや、すまない」
 むう、と頬を膨らませる小さな子供のマヒナに安堵する。今脳裏に映った姿は未来予知か幻覚か。ぱちぱち瞬きし思い出そうとしてももうその姿は先程よりも鮮明に脳内に浮かばなかった。そうしているうちマヒナがリナルドの髪に息を吹きかけ、魔法で氷の結晶を散りばめていく。そして最後に仕上げとばかりにサイドテールをくしゃっと手で軽く乱し「できた!」と彼女が声をあげた。奇しくもその声で先程視た未来のマヒナらしき姿が影も形も記憶から消え失せたのをマヒナ自身は知る由もない。
「……悪くはない」
 リナルドの言葉はお世辞でもない、心からの言葉である。確かにマヒナが整えた事で不器用さと女の子らしさは全面に現れているが、意外と今の自分と調和がとれているように見える。加えて、普段シンプルにまとめるだけのところにこの姿をお出しされた時の新鮮さは、意外にも悪いものではなかった。
「えへへっ、マヒナがんばったんだよ!」
「たまには良いかもな」
 ふっと思わずリナルドにも微笑みが浮かぶ。ブラシを持ちながらマヒナはぴょんぴょん跳ね始めた。
「ししょーもタンクレディさんも、おにいちゃんはきれいだから、もっとみためをよくしたらカッコよくなるっていってたんだよ!」
「……そうか」
 話題に出された二人から耳にタコができるくらい言われている言葉に顔をしかめようとして、いやいやと首を振る。事情を知らないマヒナにひどい表情は見せられない。それに今ならなんとなくその言葉の末端が分かるような、と微かに自分ならざる者が囁いた気がしたのだ。断じてそれはない、マヒナのヘアセットで思いの外浮かれているだけだ、と言い聞かせる。
「そんな事より、マヒナだって可愛いから大きくなったら俺なんか目じゃないくらい美人になるんじゃないか」
「マヒナ、おにいちゃんもきれいだなーっておもうけど」
「いや、俺は大した事ないさ。だから……」慣れないサイドテールを撫でながら本心を口にする。「こんな俺にありがとうな」
 今はそれだけで十分だった。マヒナの頑張りが今の自分には何よりも嬉しく、彼女の成長を肌で感じる貴重な瞬間を拝めて幸せだから、それでいい。リナルドは学術誌を鏡台に置くとマヒナを膝の上に置き、目一杯彼女の白い髪を撫でてやった。自分や未来がどうであれ、今のマヒナが愛らしいことは不変なのだから。

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リナルドは自己評価が低いという話を書こうとしたら、マヒナちゃん側に重点を置いた話になっていた。
絶対にちゃん付けしない、言葉を噛み砕いて伝えようとしない、とリナルドが子供目線を投げ捨ててマヒナちゃんに接しているところを書くのは楽しいなっていつも思っています。目線は少しずつ彼女に合わせるようにしているけれど。
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